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揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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 新月の夜の9時4分に願い事をよっつすると叶うんだって。しらなかった。

 今宵は新月。竹や木を切るのは新月の日がいい。新月の日は竹や木の成長がいちばん少なくなる日なので、切ったあとでそりやゆがみがいちばん小さくなるという。
 そして、新月の日はスタートの日。きょうは新しいことが始まる予感が生まれた。

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 ここは水の楽園だと書いたお尻から、先日はとうとう当地にも大雨洪水警報が発令された。ここは楽園だと何度思い込もうとしても、現実のもう一方の面と直面せざるを得ないときもある。その逆境的側面は、少なからず人間の営みのひずみによってもたらされている。で、なおのこと重たい心持ちとなってしまう。

 世界中の自然の循環の輪が乱れてきている。季節の流れが、水の循環が乱れてきている。そして、その原因が現代人の営みであることがいよいよ確かになってきている。
 自然の循環の輪を守るために小さな自分に何ができるのか? この基本的問いかけをないがしろにしては未来はないと思うものの、まことにたいしたことはできないように思える。

 あらゆる節約をする・・・これはなかなかストレスがたまる。
 できるだけあちこちへ出かけないようにする・・・でも仕事は減らしたくないな。
 出かけるときは自転車に乗る、歩く・・・荷物が多くて遠距離移動が多くて公共の交通が充実していない暮らしではムズカシイ。ロバを飼いたいのだが、ロバにまたがってリアカーを引かせて国道を行くのははた迷惑だろうか。

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 #66で「現代人は、予定にしたがって生きている。予定をこなすことが生きることだと言ってもいい」と書いた。現代人とはまことにお疲れさまなものだ。
 さて、現代人は常に何かを選択して生きている。選択することが生きることだと言ってもいい。選択することができなくなれば、現代人はたちどころに立ち往生してしまうかもしれない。まことにご苦労さまな現代人。
 選択するには、選択肢があることと、選択の自由が保障されていることが前提になる。現代では、職業からテレビのチャンネルまで選択の自由は基本的人権として保障されている一方で、実際には選択の余地がない場合もある。テレビのチャンネルも家庭内ヒエラルキーによって選択がゆるされない場合がある。とまれ、商品や情報について言えば、こんなに多くの選択肢が必要なのだろうかと疑問に思うこともよくある。

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 いそがしい一週間だった。ようやくちょっと一息。この一週間で緑はますます深くなり、天と地はH2 Oをたっぷりと含み、この島は水の楽園となっている。そしてそこには、ある法則が働いていることが見てとれる。ただ、この法則自体は今便の本題ではないのだが。

 切り花を花びんなどに活けると、どうしてもななめになってしまう。ところがしばらく時間がたつと、切り花は茎の途中からぐっと折れ曲がり、真上に向かう。切り花とはいえ生きていることの証しだ。
 地面に生えている植物はもちろん真上をめざして生えている。風にあおられても、風がおさまればまっすぐに上に伸びる。雪にへし曲げられても、雪が解ければ真上に向かう。

「真上」とは「真下」の反対のことだ。で、地球上のすべてのものには等しく真下に引っ張る力が作用している。だから、「真上に向かう力」とは言い換えれば「真下に引っ張る力に逆らう力」のことになる。
 ここから教訓や詩情を感じ取るのは好きずきだが、実は植物たちはただ楽をしようとしているだけなのではないだろうか。

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 自分が誰よりも尊敬して母のように慕ってもいる上司が、むかし死んだ母親の親友だったとわかったときの驚きと喜びとはいかほどのものだろう。
 自分が誰よりも信頼して娘のように可愛がっている部下が、むかし死んだ親友の娘だったとわかったときの驚きと喜びとはいかほどのものだろう。
 共鳴するふたつの魂が、ふたつの肉体となって出会う。再放送で放映中のこの「宮廷女官・チャングムの誓い(原題/大長今)」という韓国製ドラマの中で、ワタシがもっとも好きなシーンのひとつだ。チャングムとハン尚宮(サングン)が共有した幸福感、安堵感、絆の強さは、自分がこれまで体験したことがない種類のものであるはずなのに、あたかも自分の体験から生まれたかのような感動をともなって胸に迫ってくる。そしてしばしの後に、自分がこのような出会いへの憧れを持っていることに気づかされる。

 さて、自分が望む境遇・世界というものは、他者への憧れの中にしか存在しないものなのだろうか。 

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 ほんとうにあった、三人の会話。

「ゆうべから蒸し暑いわね」
「蒸し暑くなったわね」
「ゆうべ寝てるときにねー、ムカデが出たの」
「えーっ、ムカデが出るの?」
「Aさんの家は山際だからね」
「そうそう」
「蒸し暑くなると出るのよね」
「で、刺されたの?」
「刺されなかった」
「よかったね」
「でも、首の方に上がってきた」
「えーっ、首に上がってきたの?」
「えーっ」
「でも、刺されなかった」
「よかったねー」
「大きかったの?」

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 やっと辞めてくれた。辞めた大臣閣下の任命者は、最後まで彼をかばいつづけたことでまたしても異常思想の持ち主であることを暴露したが、いずれ彼にふさわしい悲惨な末路をたどるだろう。

 それにしても、大臣閣下、いや、もう閣下ではなくなったのだが、かのおっさんの属する集団のお歴々は、口をそろえて「誤解を招くような発言だった」とおっしゃるが、あの発言からほかにどのような「真意」を汲み取れというのか。ワタシ程度の国語力ではあの発言をどのように曲解しても、原爆投下を容認しているという意味以外には解釈できないのだが。やはり彼らは「解釈」の達人のようだ。

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 ワタシのアマチュア時代の音楽仲間の中には、うれしいことに今も音楽で飯を食っている人が何人もいる。先生だったり技術者だったり演奏家だったり作曲家だったりいろいろだが、個性的な子供時代を送った人が多かったようだ。
 そんなことを思い出す出来事があった。

かつてはどこの小学校にもあった二宮金次郎さんの石像
ninomiya.jpg

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「あれで戦争を早く終わることができたんだから、しょうがない」
 防衛大臣閣下の言葉である。この人はわが国に原爆を落とした国との軍事的協力関係を維持・発展させることに熱心なのだから、このようにその国をかばうのは筋が通っている。

 さて、たとえどんな理由であれ、原爆を肯定することは、非核三原則を否定することになるのだから、わが国が容認できるはずはない。であるのに、防衛大臣が平然と、臆面もなく、上のような発言をする。

 原爆投下がしょうがなかったのならば、あの戦争で300万人もの国民が死んだこともまた「あれで日本が現在の繁栄への道を歩み始めることができたのだからしょうがなかった」と言いうるではないか。アジアへの侵略も「あれでアジア諸国を欧米列強の植民地化から解放することができたのだからしょうがなかった」と言いうるではないか。なんでもかんでも、しょうがなかったと言いうるではないか。

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 実は、梅雨時は大好きなのだ。変わってると言われるかもしれない。しかし、多くの植物・生き物のパワーが全開になっていくのを感じ、天候も空気の色もにおいもドラスティックに変化するし、自分の意識もハイになり、梅雨から夏にかけてが自然の神秘をいちばん感じる時節なのだ。
 夜型のくせに日が長いのも気持ちがいい。夜は極楽の余り風をいただく。
 はだしではだかで暮らせる季節到来。野生に還る。マムシもムカデも、なんでもいらっしゃい。♪ みんなみんな生きているんだ、ともだちなんだ ♪
 でも、蚊は少ない方がいいな。血を分けた兄弟という心境にはなれない。

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 五輪書についてはもう終わろうと思っていたが、もう少しだけ。古人の「拍子」感について興味深い言説があったのだ。

 武蔵はこの書の「水の巻」で、「拍子」という言葉を用いている。拍子は一般的にはリズムと訳されるが、武蔵がここで言う拍子は、敵に刀を打ち込むタイミングというか、間合いの詰め方を表わしているのだ。武蔵はいわゆる間合いの詰め方を、より動的に、躍動的に感得させるために拍子という表現を用いているのだとワタシは思う。
 敵がどのような意図を持っていて、次の瞬間どのような行動に出るかを瞬時に見極めて、「予備動作なしに一気に」打ち込んで先手を取る。この「予備動作なしに一気に」という動きを、武蔵は「一拍子」と表現している。
 1拍子というものは、拍子という言葉を用いるが、連続性がない動きなので、厳密にはリズムであるとは言えない。やはり「間」の概念と言うべきだろう。

azami.jpg

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 前便で、兵法の修得の道は、オカリナなどの楽器の演奏の修得の道に通じる、と書いた。今便ではそのあたりのことを。

 五輪書に書きつづられた兵法の修得の道の根底に流れるものは、どうやら「平常心」というもののようだ。戦いの場においていつもと変わらぬ心でいることが平常心だと誤解されやすいが、五輪書が言う平常心はそうではない。逆に日常においても戦いの場での心境を保ち続け、日常と戦いの場での心境を限りなく近づけてゆくことで得られる心境なのだ。このようにしていくことで、常に穏やかで何ものにも乱されない心境へと到れるという。
 本番の演奏で緊張のあまり練習の成果を発揮できないと感じる人は多い。よく言われるように「場慣れ」するということ。これは、単に非常時の心境を平常時の緊張感も集中力もない心境に近付けるという意味であり、五輪書の教えにしたがえば誤りだと言える。ワタシもまったく同感で、緊張感のまったくない演奏は人の心に届かない。

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 並行していくつもの本や文書に目を通していると、自分で何か書くということがなかなかできなくなりますな。そんな日々なのだ。

 その中の読みかけの一冊に、宮本武蔵の「五輪書」がある。武蔵の唯一の自著であるこの書は、武士の世界で「兵法」と呼ばれるものについての独自の見解をしたためた本だ。「兵法」とは剣術と、一対一または集団対集団の戦術、そしてそれらをいかに身につけるかの方法論のことである。
 武蔵は生涯独学の人だった。それだけに、不敗の体験を通して積み上げられた研究の成果にはたいへん説得力がある。そんな五輪書をいつかじっくり読んでみたいと思っていたのだが(学生の頃に立ち読みだけで挫折した)このたび突然義父から送られてきた。古書を整理してたら出てきたのでよかったら読んでみ、とのことであった。昨年、武蔵を題材にした劇画「バ☆ボンド」のバックナンバー20数冊を進呈したことへの返礼と言えなくもないかもしれない。

  ウツボ草とドクダミ
  utsubo-dokudami.jpg

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 この、ワタシにまつわる「16勝1敗」とはいかなる意味の数字か?
 これは、この6年間にワタシが参加した野外コンサートの晴天率なのだ。つまり、17回のうち雨で流れたのは一度だけということである。中には、降りそうになってきたので急きょ会場を屋内に移したが、結局降らなかったというものもある。ちなみに、2004年9月の京都府美山町のキャンプ場でのコンサートは台風がやってきて流れた。
 そして、これ以前の正確な記録には当たっていないが、揚琴の演奏活動を始めて20年、雨で流れた、または会場が急きょ屋内に移動した野外コンサートは、三度しか記憶にない。
 この数字は、ワタシを「晴れ男」と呼ばせるに十分ふさわしいものだと思っている。この6月には3度の野外コンサートがあった。梅雨時にこれだけ野外の企画が重なるのは珍しいが、空梅雨模様とはいえいずれも晴れ。ふはははは。
 ということで、野外コンサートの企画にはぜひ友枝良平をご指名くださいますようお願いいたします。

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 足掛け三日間の出稼ぎから帰ってきた。越前人たちはみんな両手でピースサインを出しながら横歩きをしていた。おおらかだけれどちょっとシャイな越前人たちとの仕事は楽しかった。
 6月16日の福井県護国神社での公演は、全国で行なわれている「100万人のキャンドルナイト」のひとつとして同神社の主催で行なわれた。ワタシの仕事は、俳優の人村朱美さんの作・構成・演出・主演の『幻想花さき山』というひとり芝居の作品のサポートだった。ワタシは揚琴と一部オカリナを担当。音楽はほかに和太鼓、笛、シンセサイザー、効果音という編成であった。ワタシ以外の奏者は地元の若手である。やる気に満ち有能な若きミュージシャンとの共演は新鮮だった。

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お問合せはホームページの "FAQ & Form" からしていただけます。
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管理人について

HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
 
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)

コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。

特 技/晴れ男であること。

オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。

2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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