揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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友が急逝した。
同い年の、高校時代からの音楽仲間だった。
何の前ぶれも無く、何も言い残さず、唐突にいなくなってしまった。
この世を去る直前に何を思っただろう?
怖かっただろうか?
悔しかっただろうか?
それとも、自分が死んだということになかなか気づかなかっただろうか?
同い年の、高校時代からの音楽仲間だった。
何の前ぶれも無く、何も言い残さず、唐突にいなくなってしまった。
この世を去る直前に何を思っただろう?
怖かっただろうか?
悔しかっただろうか?
それとも、自分が死んだということになかなか気づかなかっただろうか?
ベーシストだった。
細身にプレシジョンベースがよく似合っていた。
器用な方ではなかったが、基礎からコツコツ積み上げて確実に技術を習得していくタイプだった。
高校時代のバンド仲間の中では、いちばん先に社会に出て、いちばん先に演奏でギャラを手にしていた。
一時は信奉者も集めていた。
が、確かわたしがギターを揚琴に持ち替えた頃くらいに、ベースを置いた。
二十代半ばのことだっただろうか。
その後は電気技術者として生きて家族を支えてきた。
早くに結婚し、四十の声を聞くと共におじいちゃんとなった。
こんな風に、人生においてはわたしより数段ませていたのに、ある面では数段子どものようなヤツだった。
そんなところが女性にモテる要因だったのかもしれない。
彼とのバンドは、音楽を中心とした、何物にも囚われない純粋なコミュニケーションの場であった。
ドラマーと共に三人で狭い部屋で即興的セッションに明け暮れ、何度も朝まで話し込んだ。
同じ釜のラーメンを食べた。
その月日を振り返ってみたが、驚くほど短かったことがわかった。
それはほんの一年半ほどの出来事だったのだ。
が、わたしは今の今まで、それを五年にも六年にも感じていた。
バンマスでドラマーからの電話の声は、ただごとではない何かを知らせるそれだった。
「……、きのう、死んだんや。」
詳しいことはまだわからないと言う。
電話を切り際にこう訊ねていた。
「もう一回言ってくれ、いつ死んだって?」
「…きのうや」
抑揚の無い声で「わかった」としか言えなかった。
現実感がない。
状況が飲み込めないし、悲しみも湧いてこない。
わたしの中心は生きた言葉を失って沈黙し、感情も失なったかのように呆然として、しかしそれをたぶん誰にも悟られることなく、日常の業務に携わり続けた。
が、次第に大きな喪失感に支配されていくのを感じ始めた。
悲しみは移ろいゆく。
一方、死という事実は不動のものだ。
しかし、事実をありのままに認め他者と共有することのなんと難しいことか。
ではあっても、死という事実を速やかに認定し、関係者と共有しなければならない。
そうして初めて、死者や残された関係者との間に真の共感が生まれる。
悲しみを、そして希望を共にできる。
残された者は新しい生活を始めることができる。
これが今のわたしの悲しみ、そして死についての認識のように思う。
その背景には、二十年前に母を、その五年後に父を送った経験があるのだと思う。
万人にとって変わらぬ事象だけが、事実と呼ばれる。
であるのに、人はたびたび、事実を共有することの困難さに直面する。
その困難さは、目の前の事象をあるがままに受け入れることの困難さだと言い換えられる。
人は事実に接すると、即座に解釈を与えてしまう。
つまり自分の目線でのみ事実を見よう、聴こうとする。
すると、事実は曇らされてしまう。
あるいは都合が良いように歪曲されてしまう。
しかし人は、そのようにして見たもの聴いたものを、事実であると認定してしまう。
解釈されて個人的経験へと変質したものを、事実であると錯覚してしまう。
(事実と共に在れないことで生じる不安ゆえに。)
すると当然そこには、他者との事実の共有はあり得ない。
真の共感もない。
それでは居心地が悪くなるがために、人々は共通の事実に接したとき、まず感情を共有してしまう。
過去の経験から発する定型的な感情の虜になり、それを共有し、そのことをもって共感した、事実を共有したと考えてしまうのだ。
こうして事実は、あるときは永遠に看過されてしまう。
その日の仕事を終えて、夜半に一人で通夜の会場に着くと、すでに概ね落ち着きを取り戻しておられたご親族に迎えられた。
家族ぐるみの付き合いだった。
細君に彼の棺の前に通されると、案の定そこには、二年ぶりに会う、ただ静かに眠っているだけの彼がいた。
そのあまりの変わらなさゆえにか、彼との対面は予想に反して、わたしをいきなり深い悲しみの縁へと連れて行くことは無かった。
逆に、わたしを苛み始めていた喪失感からわたしを、一旦は救い出した。
「なんだ、まだここにいるじゃないか。」
が、時折ゆらゆらと揺れ動くろうそくの灯の横でぴくりとも動かない彼の傍らに佇んでいると、彼がもうここにはいないことを認めざるを得なくなっていった。
そこで眠っている彼は、もう彼ではなかった。
状況に不似合いなほど明るい部屋に設えられた立派な祭壇は、多くの献花の匂いと香の香りに包まれている。
その前で、細君と立派に自立したご息女から、彼が亡くなった際の状況説明を聞いた。
聞いているうちに、その一連の話は臨死という彼にとっての人生最大のドラマの伝聞であるばかりではなく、わたしにとってのひとつの「体験」へと変容していった。
苦しかっただろうか?
この世を去る直前に何を思っただろう?
何が見えただろう?
何が聴こえただろう?
怖かっただろうか?
悔しかっただろうか?
満足していただろうか?
そもそも自分が今死ぬことがわかっただろうか?
そして自らの身体を離れたとき、自分が死んだことをすぐに理解できただろうか?
そんな様々な思いに頭を占められてしまったわたしは、確かに彼の臨死を共有し始めていた。
ついには、彼がもどってきて三途の川がどうのお花畑がどうの光のトンネルがどうのと、いつもの口調で臨死体験を語っている姿まで目に浮かんだが、ほどなく、その図を打ち消そうとするくらいにはこの「体験」と距離を取ることができた。
「たくさんの人に必要とされ、お役に立ち、音楽で多くの人の心を動かした彼は、人生を全うしたと思う」
少し自分を責め始めた細君とご息女に、わたしは確かそんな風に伝えた気がする。
その通り、彼はこの世での自分の役割を全うしたと思う。
何より、素晴らしい家庭を設け、最後まで家族と共にあった。
だから残されたみんなは、今は悲しくても、辛くても、決して不幸ではない。
このたびの非常時に細君を気丈に支え続けているご息女は言った。
「これからは母を大切にしようと決意しました。」
彼にとって何よりうれしい一言だろう。
近々再会するつもりだったベーシストは、何の前ぶれも無く、何も言い残すこと無く逝ってしまった。
わたしも何も言ってやれなかったし、何の力にもなれなかった。
と言って、もし彼とわたしが事前に別れを知っていたとして、何を言い残すことができ、何を言ってやることができただろう。
彼の前で家族と小一時間話す間にも、とうとうその答を見出すことはできなかった。
とまれ、彼の臨死を自分の体験として受け止めていくに連れて、一人の友の死はわたしの中で、解釈を与えられ感情で色付けされるのを待機していた不完全な「現実」から、一足飛びに、動かぬ「事実」として定着していったようだ。
彼は、いなくなったのだ。
もう、この世界のどこをどう探してもいない。
この世でのわれわれの言葉は、もう届くことはない。
そのことがようやく腑に落ちかけたわたしは、その場を辞する決意ができた。
それでも別れ際に、一言だけ、彼への手向けの言葉がわたしの口を突いて出た。
「ありがとう」
そしてわたしは、とうとう彼に向かって手を合わせた。
今もふっと思考が途切れるたびに、彼の最後の寝顔や過去の様々な表情、笑い声、怒った声、ベースを弾く姿、思い出深いシーン、加えて数々のまったく無意味なシーンが蘇る。
そして高校時代のあの狭い部屋でのセッションの音のうねり、臓腑を揺らしたベースとバスドラのユニゾンサウンド、脳天を貫くようなシンバルの音、地の底から噴き上がってくるかのようなベースライン、メンバー同士の一体感もまた、ついきのうのことのようにプレイバックする。
それらは、瞬間の中に永遠を見る体験の第一歩だったように思う。
つまり、彼は永遠なのだ。
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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