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揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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 ここは水の楽園だと書いたお尻から、先日はとうとう当地にも大雨洪水警報が発令された。ここは楽園だと何度思い込もうとしても、現実のもう一方の面と直面せざるを得ないときもある。その逆境的側面は、少なからず人間の営みのひずみによってもたらされている。で、なおのこと重たい心持ちとなってしまう。

 世界中の自然の循環の輪が乱れてきている。季節の流れが、水の循環が乱れてきている。そして、その原因が現代人の営みであることがいよいよ確かになってきている。
 自然の循環の輪を守るために小さな自分に何ができるのか? この基本的問いかけをないがしろにしては未来はないと思うものの、まことにたいしたことはできないように思える。

 あらゆる節約をする・・・これはなかなかストレスがたまる。
 できるだけあちこちへ出かけないようにする・・・でも仕事は減らしたくないな。
 出かけるときは自転車に乗る、歩く・・・荷物が多くて遠距離移動が多くて公共の交通が充実していない暮らしではムズカシイ。ロバを飼いたいのだが、ロバにまたがってリアカーを引かせて国道を行くのははた迷惑だろうか。

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 電気の節約のために早寝早起きをする・・・長年実現していないし、今後も無理っぽい。
 家の中でもできるだけ動かないようにする。じっとしている。すわったまま即身成仏を目指す・・・これではいったいなんのために生きているのだらふ。

 しょせん、いいわけばかりが先行してしまう。

 資本主義は大量生産・大量消費・大量廃棄というサイクルをストップさせたとたんに失速するという。ゆえに世界中で果てしなく大規模公共事業が行なわれ、そのひとつに戦争が位置付けられている。しかし、現代人が望む暮らしを維持するためにこのまま世界規模で資本主義経済システムをつづけるならば、必ず資源は枯渇し、自然のサイクルは完全に破壊されてしまう。そのことにいち早く気がついた人たちは、一日も早い循環型社会への転換を訴えてきた。
 - - - 念のため。循環型社会とは、資源の無計画な消費と廃棄によって地球環境と人体に負荷を与えないようにするために、すべての資源の消費と廃棄を自然の循環システムの中に組み込んだ、「持続可能な社会」のことだ。この社会では、資源は単純に消費され廃棄されるのではなく、再利用することを大前提としている。
 すべての資源は絶対量に限りがあることを知ることが循環型社会へと移行する第一歩であることは言うまでもない。そして、これまで有効利用されてこなかった資源の利用方法を開発することもこの社会へと至るための課題のひとつだ。

 閑話休題。オカリナを吹くときは息をいかに有効に使うかが大きなポイントだが、肺活量は限られている。で、容量が限られた肺にいかにたくさん息を吸い込むか、そしてその息をいかに無駄なく使うかに心をくだかなければならない。同時に、息だけではなく、「気」という未知のエネルギーの有効利用を・・・神秘主義に興味のある人は追求してみてください。
 管楽器の特殊奏法で「循環呼吸法」というものもあるにはあるが、オカリナで使うのはほぼ無理ね。

 10数年前のことだが、京都に本拠地を置く環境保護団体「環境市民」の会合へ招かれて演奏した。その日のメインイベントは、「持続可能な社会」への一日も早い転換の必要性を持論として展開しておられ、「21世紀も人間は動物である」の著者である小澤徳太郎氏の講演であった。氏はさまざまなデータをもとに現代の資本主義社会の問題点を明らかにするとともに、スウェーデンを始めとした北欧諸国でのいち早い取り組みを紹介された。
 このときワタシは講演に感銘を受けた一方で、無力感にもさいなまれることとなってしまった。その思いは講演につづいた演奏の際のMCでため息のごとくに流れ出てしまった。
「資源も製品も国境を越えて移動する時代なのに、現時点では循環型社会の実現を国という単位で考えなければならない点に問題を感じる、そりゃそうだ、日本の山村では30年前に嫁いできた人をいまだによそ者あつかいするところもあるのだから無理もない」
 と口走ってしまったのだ。ずいぶん皮肉っぽい調子だが、率直な思いだった。
 循環型社会の実現には。当然のことながら地球規模で取組まれなければならない。しかるにこの日本でも、偏狭な地元意識にとらわれて他との関わりに背を向ける土地柄がいたるところにあることを当時の山村暮らしの中で思い知っていたワタシは、循環型社会というすばらしい未来に対して憧憬を抱くとともに、言わば理想と現実との距離を苦々しくかみしめていたという次第であったのだ。

 どのようなすばらしいシステムも、それを用いる人間の意識が着いていかなければ絵に描いたもちになってしまう。世の中、絵に描いたもちはいっぱいあり、梅雨時はカビだらけになっている。

 ロバは排気ガスを(ほとんど)出さないし、家の周りの草も食べてくれるし、力仕事も手伝ってくれそうだし、飼いたいなー。こんな話もしたが、さすが環境保護団体、たくさんの人が笑顔で歓声を送ってくれた、ように思う。

 循環型社会の実現の前提は、新しい公共心の誕生だと思われる。
 この楽園はだれのものでもない。すべての人のものだ。それゆえに、すべてが自分のものでもあるとも言える。しかしその「自分」という存在は、#96で書いたが、自然から分かたれた存在なのだ。自分と呼んでいる存在は自然と分かたれてはいないことを知るときに、独占欲も排他的態度も消え去り、新しい、世界が共有する、真の公共心が生まれるのではないだろうか。

「自分と呼んでいる存在は自然と分かたれてはいない」のだとして、それをどうすれば知ることができるんだって? 単純なことじゃないか。資源や食べ物がなくなったり自然のサイクルが乱れたりすれば、人間は生きてゆけない。つまり人間と資源すなわち自然とは別々ではない。それだけのこと、見ればわかることですがな。
 このことをお釈迦様のように深く深く実感できるかどうかはともかく、知るだけで十分じゃないか。

 おしまい。 

口梔子
口梔子

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管理人について

HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
 
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)

コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。

特 技/晴れ男であること。

オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。

2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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