揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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いそがしい一週間だった。ようやくちょっと一息。この一週間で緑はますます深くなり、天と地はH2 Oをたっぷりと含み、この島は水の楽園となっている。そしてそこには、ある法則が働いていることが見てとれる。ただ、この法則自体は今便の本題ではないのだが。
切り花を花びんなどに活けると、どうしてもななめになってしまう。ところがしばらく時間がたつと、切り花は茎の途中からぐっと折れ曲がり、真上に向かう。切り花とはいえ生きていることの証しだ。
地面に生えている植物はもちろん真上をめざして生えている。風にあおられても、風がおさまればまっすぐに上に伸びる。雪にへし曲げられても、雪が解ければ真上に向かう。
「真上」とは「真下」の反対のことだ。で、地球上のすべてのものには等しく真下に引っ張る力が作用している。だから、「真上に向かう力」とは言い換えれば「真下に引っ張る力に逆らう力」のことになる。
ここから教訓や詩情を感じ取るのは好きずきだが、実は植物たちはただ楽をしようとしているだけなのではないだろうか。
切り花を花びんなどに活けると、どうしてもななめになってしまう。ところがしばらく時間がたつと、切り花は茎の途中からぐっと折れ曲がり、真上に向かう。切り花とはいえ生きていることの証しだ。
地面に生えている植物はもちろん真上をめざして生えている。風にあおられても、風がおさまればまっすぐに上に伸びる。雪にへし曲げられても、雪が解ければ真上に向かう。
「真上」とは「真下」の反対のことだ。で、地球上のすべてのものには等しく真下に引っ張る力が作用している。だから、「真上に向かう力」とは言い換えれば「真下に引っ張る力に逆らう力」のことになる。
ここから教訓や詩情を感じ取るのは好きずきだが、実は植物たちはただ楽をしようとしているだけなのではないだろうか。
あたりまえのことだが、からだを少しななめにして立ってみれば、たいへんしんどい。まっすぐに立てば楽だよね。これは植物とて同じだ。だから彼女たちは、真下に引っ張る力に対していちばん楽な姿勢を保とうとしているにすぎない。そうすることで、より高く、大きく育つことができる。自身が持つエネルギーの浪費を最小限に押さえることができるからだ。これが水の楽園を支配している法則のひとつなのだ。
さて、種は落ちる場所を選べない。人も生まれを選べない。そしてそれぞれが生を得た環境にはなんらかの自然の逆境がともなう。地球の引力からして逆境であると言えなくもない。
生命力が真上に向かう力、つまり引力に反する力なのであれば、生命力とは逆境に反する力だとも言えるのではないだろうか。というより、生命力もその逆境である引力や強い風雨や急激な天候の変化などもどちらも自然の力なのだから、逆境という言葉は相対的なものにすぎないことになる。またそれらは、互いに補い合っているようにさえ見える。
生き物はまっすぐに立つことがいちばん楽だからそうしていると書いた。「楽」と言うから語弊が生まれる。まっすぐに立つことが法則に適っているのだ。つまり「自然」なのだ。
力まずにまっすぐに立つことを自然体という。自然体を知ることで、逆境の意味が変わる。自然体を知る者にとって逆境とは、植物にとっての土中の石や枝葉をゆさぶる風雨にすぎない。自身の手でコントロールしようとあがいたりせず、う回し、やりすごせばいいのだ。そうすることでこそ、自身が生来持っている真上に向かう力が存分に働く。こざかしさをもって逆らわないことで逆境を順境とし、糧とできる。
「自ず(自然)」から「分かれた」から「自分」というのだそうだ。自ずから分かれない存在であれば、逆境というものはあり得ないことになる。
いつになったら自然体を会得できるのだろう。自然体でいることを多くの他人がさまたげていると感じるうちは、自然体にはまだまだ遠いのかもしれないな。
さて、種は落ちる場所を選べない。人も生まれを選べない。そしてそれぞれが生を得た環境にはなんらかの自然の逆境がともなう。地球の引力からして逆境であると言えなくもない。
生命力が真上に向かう力、つまり引力に反する力なのであれば、生命力とは逆境に反する力だとも言えるのではないだろうか。というより、生命力もその逆境である引力や強い風雨や急激な天候の変化などもどちらも自然の力なのだから、逆境という言葉は相対的なものにすぎないことになる。またそれらは、互いに補い合っているようにさえ見える。
生き物はまっすぐに立つことがいちばん楽だからそうしていると書いた。「楽」と言うから語弊が生まれる。まっすぐに立つことが法則に適っているのだ。つまり「自然」なのだ。
力まずにまっすぐに立つことを自然体という。自然体を知ることで、逆境の意味が変わる。自然体を知る者にとって逆境とは、植物にとっての土中の石や枝葉をゆさぶる風雨にすぎない。自身の手でコントロールしようとあがいたりせず、う回し、やりすごせばいいのだ。そうすることでこそ、自身が生来持っている真上に向かう力が存分に働く。こざかしさをもって逆らわないことで逆境を順境とし、糧とできる。
「自ず(自然)」から「分かれた」から「自分」というのだそうだ。自ずから分かれない存在であれば、逆境というものはあり得ないことになる。
いつになったら自然体を会得できるのだろう。自然体でいることを多くの他人がさまたげていると感じるうちは、自然体にはまだまだ遠いのかもしれないな。
おしまい。
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管理人について
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巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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