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揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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 五輪書についてはもう終わろうと思っていたが、もう少しだけ。古人の「拍子」感について興味深い言説があったのだ。

 武蔵はこの書の「水の巻」で、「拍子」という言葉を用いている。拍子は一般的にはリズムと訳されるが、武蔵がここで言う拍子は、敵に刀を打ち込むタイミングというか、間合いの詰め方を表わしているのだ。武蔵はいわゆる間合いの詰め方を、より動的に、躍動的に感得させるために拍子という表現を用いているのだとワタシは思う。
 敵がどのような意図を持っていて、次の瞬間どのような行動に出るかを瞬時に見極めて、「予備動作なしに一気に」打ち込んで先手を取る。この「予備動作なしに一気に」という動きを、武蔵は「一拍子」と表現している。
 1拍子というものは、拍子という言葉を用いるが、連続性がない動きなので、厳密にはリズムであるとは言えない。やはり「間」の概念と言うべきだろう。

azami.jpg

拍手[0回]


 武術家の甲野善紀さんは、この「予備動作なしに一気に」攻撃することの重要性を説いておられた。予備動作とは、わかりやすく言えば、「せ〜の〜、どっこいしょ!」や「よ〜い、ドン!」の「せ〜の〜」「よ〜い」の部分のことだ。「じゃんけん、ぽん」もそうだろう。音楽で言うと「アウフタクト」。要は「前振り」ですな。
 甲野さんは、さまざまな武術においてこの予備動作として生まれる微妙な動きを「うねり」と呼んでいる。ほんのわずかの「うねり」であっても、その動きは敵に読まれ得るので、当然敵に遅れを取る可能性がある。したがって、うねりなしに即、攻撃に出る動きを身につける必要性を説いておられる。
 そんなことが可能なのだろうか? というのが、この説を最初に聞いたときのワタシの第一印象だった。で、簡単な動作で試してみたら、案外簡単にできた上に、その原理が理解できた。
 甲野さんが「うねり」と表現しておられる予備動作には、本動作をくり出すタイミングを計る意味と本動作に勢いを付ける意味があることは、どなたにでもおわかりいただけるかと思う。自分の日常を観察すれば、たいへん多くの動作にこのうねりが含まれていることがわかる。物を持ち上げるとき、立ち上がるとき、ひょいと飛ぶとき、包丁で野菜を切るとき、フライパンを振るとき、などなど。うねりと本動作がうまくつながっていないときには、その動作は失敗しやすい。
 逆に言えば、これらの動作をうねりなしに行なうことはむずかしいということになる。しかし、できないことではない。なぜなら、うねり自体には予備動作はないからだ。つまり、うねりのためのうねりはない、だから、本動作もうねりなしに行なうことは可能だ、と、こういうことになる。
 甲野さんは、このうねりを伴わない動きを、それが描くラインを平行四辺形に見立てて、「井桁(いげた)崩し」と呼んでおられた。四本の木の棒を釘で止めて組んで平行四辺形を作る。そのうち向かい合うふたつの角を持ってぐっと力を込めると平行四辺形の形が崩れる。井桁崩しとは、この様子に由来するとのことのようだ。
 大事なのは、この場合は平行四辺形は初めの形が崩れても平行四辺形のままであるということだ。つまり、敵に打ち込んでもバランスを崩さず、次の攻撃・防御の体勢を整えるということが重要なのだ。つまり、初めの動作と次の動作が一連の動きとなっていなければならない。

 甲野さんの言説についての話が長くなったが、実は甲野さんも武蔵の技をずいぶん研究されたそうだ。
 武蔵の剣術に話をもどす。
 剣を打ち込む際に予備動作なしで一気に打ち込むことを、武蔵は一拍子の動きとしている。この技は、刀というたいへん重い武器を予備動作なしに振り出すという、極めて困難な技である。一度、予備動作なしに腕をすっと振ってみてほしい。それだけでもまっすぐに振ることがむずかしいことがわかる。しかし、こうした単純な動作を体験することで、予備動作というものの大半が実は不要であることが理解できる。目に見える予備動作をなくしても、本動作をしっかりイメージしたのちに、言わば身体内の「気」の動きをもって予備動作とすることができることがわかる。

 楽器の演奏は、重心の連続的・音楽的移動であるリズムに乗って行なうので、ひとつの動きがそのまま次の動きの予備動作になっている必要がある。と言うか、そうしなければ演奏はできない。しかし、曲の冒頭やフレーズの変わり目では予備動作が必要となる。
 揚琴などのバチを用いて演奏する楽器の場合、指揮者の前振りよろしくバチを大きく振り上げるという予備動作を行なうことが多い。この動作はほとんどの場合は別段演奏の妨げにはならない。世の中には、演奏中の一切の無駄な動きは排除されるべきだと主張される向きもあるが、ワタシはむしろそうした動作も楽しく行なえば良いと思っている。しかし、テンポが非常に速い曲や、フレーズのつなげ方に微妙な動きが必要な場面にもたびたび出会う。このようなときには「うねり」を排した動きが要求される。そうした場面をうまく表現するにあたって、甲野氏の理論はたいへん有用であったし、武蔵の理論と出会うことによって、これまで用いていた甲野氏の理論の裏付けを取ることができた。

 話を拍子にもどすと、五輪書では古人の拍子感というものが武蔵の「一拍子」などの言葉によって表わされている。武蔵はほかに、少したどたどしい動きを「かとぅん、かとぅん」などと言って、やはり拍子として表現している。この場合は「間の悪い」拍子として引き合いに出していた。「かとぅん、かとぅん」はいわゆる二拍子に分類されるが、時間的法則性がある動きではないので現代的音楽的二拍子ではない。
 このように、古人の拍子感は「間」という概念とほぼ同一であり、それが武芸の世界にも定着していたことがうかがわれる。「間」とはひとことで言えば、内在する予備動作と外見に現われる本動作の一致した動きとして表現される、エネルギーの一連の流れのことであると言えるだろう。
 ・・・よけいにむずかしくしてしまった。「間」、なんとなくわかるでしょ?

 おしまい。 


※ エントリー#87で五輪書を「武蔵の唯一の自著である」と紹介しましたが、その後武蔵には五輪書以前に他の著作物もあったという説があることがわかりました。したがって、五輪書は「武蔵最後の自著」と言うべきであるのかもしれません。
 なお、本文中の五輪書の内容についての解釈は、甲野善紀氏の理論との関連を含めて、すべて筆者によるものであり、武道の専門的見地から発した解釈ではないことをお断りしておきます。



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所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)

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特 技/晴れ男であること。

オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。

2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
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