#397 夢中になれば

#397　夢中になれば

「そこで何をしてるんですか」
「散歩しているのである」
「なぜこの家をのぞいているのですか」
「これは異なことを。梅の木を拝見していただけである」
「お住まいはどこですか」
「この近くである」
「顔を見せてもらえますか」
「何故にそのような無礼を申すか」

　おまわりさんは職務に忠実だ。なんでも、帽子を目深にかぶり、サングラスをかけ、マスクをした不審人物がうろうろしているとの通報があったとのことだった。
　だから、こんな格好で歩くのはイヤだと言ったんだよ。寒い日の翌日に暖かくなったら杉の花粉がいっぱい飛ぶって言うからこんな重装備で散歩に出たんだけど。

　きのう散歩に出たのは暖かくなったからだけではなかった。正月明けからの怒濤の日々が一段落したからでもあった。日がな一日仕事に追われつづける毎日だった。あー、これで少しはマイペースが取り戻せたらいいな。まずは散歩。

　怒濤の日々のメインは、果てしなくつづいた生徒さんのための教材作り。その数３０数曲。これだけあると、すぐに入り込める曲もあればそうでもない曲もある。が、いったん作業に入り込めれば、それこそ夢中になってしまう。なかなか入り込めない曲でも、作業の途上でこれまでにない面白さや手法を発見できるときもある。そんなとき、ますます夢中になり、作業ははかどる。

　夢中になっているとき、人は幸せなのだと言う。それは、そこにある種の熱狂があるからだろう。そんなとき、脳は安心している。すなわち安定している。で、人は脳の安定を幸せと呼ぶことがある。が、果たしてそうか。
　人は、案外何にでも夢中になれる。ゲーム機にも夢中になれば、悪女やギャンブルにも夢中になってしまう。それにのめり込めば身を滅ぼすとわかっていても、夢中になってしまうことがある。そして、戦争にまでも熱狂し、夢中になる。

　だから、夢中になる対象を吟味しなければ、いとも簡単に不幸へと邁進してしまう。
　人は常に、完全な安心・安定を求めている。それゆえに、夢中になれることを一所懸命に探す。が、夢中になることだけが幸せだとは言えないように思う。むしろ、夢中になることを越えたところに、本当の、落ち着き満ち足りた幸せがあるのではなかろうか。それはおそらく、無心という状態の継続なのだろう。

　夢中と無心はよく似ている。ちがいは、夢中には終始動機となんらかの欲が付いて回るが無心にはないことと、夢中はいずれ冷めるが無心は自身の中にしっかりと根を下ろすことだ。

　ワタシの仕事は、人を満ち足りた気持ちにさせることだ。そんな仕事に夢中になれるときは、幸せへの途上にあると、この夢中は無心への扉を開くものであると思いたい。

　そんなはかない幸せの一段落に、不審人物にされてしまった。そこら中を不審人物が如きいでたちの人々がかっぽしているこの季節。むやみに通報しないでよ。

　おしまい。　
09.03.01 記　

2009/03/02 (Mon) 雑　感 TRACKBACK() COMMENT(0)