揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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#394 作曲 vs. 演奏
暖かくなってきたら車の窓を開けて走る。と、目がかゆくなりのどがいがらっぽくなる。少し花粉症の気があるやもしれないワタシ。で、花粉症には杉の葉茶が効くと聞いて飲み、柿の葉茶が効くと聞いて飲む。症状は改善されるが、これではどっちが効いたのかわからんじゃないか。
暖かくなってきたら車の窓を開けて走る。と、目がかゆくなりのどがいがらっぽくなる。少し花粉症の気があるやもしれないワタシ。で、花粉症には杉の葉茶が効くと聞いて飲み、柿の葉茶が効くと聞いて飲む。症状は改善されるが、これではどっちが効いたのかわからんじゃないか。
さて、前便では編曲に対する作曲の優位性について書いた。では、作曲と演奏とではどっちがランクが上なのか。
作曲家の言い分。
「演奏屋は曲がなければただのでくの坊なり」
演奏家の言い分。
「作曲屋が書いた楽譜は演奏する者がいなければただの紙切れなり」
このようなすれちがいが起こってきたのは、作曲と演奏が分業になってしまったからだ。昔は作曲家は自らも演奏した。バッハもモーツァルトもベートーベンもリストもショパンも、自身が一流の演奏家だった。マーラーは指揮者だったし、世界各地の吟遊詩人的音楽家は自分で作った歌を歌っていた。それが、いつの頃からか分業化が進んだせいで、専業作曲家・演奏家という職種が生まれた。
専業作曲家が音楽についての広範な知識を持っているのは当然だろう。それは多くの場合、専業演奏家に勝るのやもしれない。それゆえに作曲家は現代の巷でも、演奏家からも先生扱いされることが多い。が、その手による楽譜は、しょせん演奏する者がいなければ紙切れにすぎないのだ。だから、先生扱いされるのは良いとしても、あまりえらそうにしないでいただきたいものだ。
ところで、演奏家には強力な武器がある。即興演奏だ。楽譜なんかいらないよん。これぞ作曲家不要音楽。
ところが、たとえばこの国には、即興だけではなかなか食えないという文化的背景がある。
ついでながら、即興演奏ができないプロ演奏家の多いこと。ワタシにはこれはほとんど信じられない。そのような人がプロとして食っていける文化的背景を訝しく思う。
ちなみに、即興演奏は演奏家の専売特許ではない。作曲家も当然できる。できなきゃ作曲ができるはずがない。だから、即興演奏をモノサシにして作曲家と演奏家の優劣を計ることはできない。
そろそろまとめを。
作曲家は演奏家やプログラマーがいなければ食えない。演奏家は楽譜なしでも演奏できるが、それだけでは食えない。また、駄曲が名演奏によって輝くこともあれば、下手くそな演奏でもみんなが知ってる名曲であればウケることもある。
結論。今も昔も、自作自演できる人がいちばんエライ。
エライというのはモノの例えで、別に偉くはないんだけれど、とにかく、作曲家 vs. 演奏家という図式はナンセンスだということですな。で、分業がいけないとは思わないが、どちらがいなくてもお互いが食えないのだから、お互いに敬意を持ってつき合うべきだろう。
どっちにしても、聴く側にとっては、ある曲を自分が好きになったとき、それが曲の魅力によるものなのか演奏の力によるものなのか、はたまた編曲の効果によるものなのかの判断などどうでもよい。一般聴衆は、花粉症に杉の葉茶と柿の葉茶のどちらが効いたのか的議論が好きだが、真相を客観的に追求することには興味がない。
作曲家の言い分。
「演奏屋は曲がなければただのでくの坊なり」
演奏家の言い分。
「作曲屋が書いた楽譜は演奏する者がいなければただの紙切れなり」
このようなすれちがいが起こってきたのは、作曲と演奏が分業になってしまったからだ。昔は作曲家は自らも演奏した。バッハもモーツァルトもベートーベンもリストもショパンも、自身が一流の演奏家だった。マーラーは指揮者だったし、世界各地の吟遊詩人的音楽家は自分で作った歌を歌っていた。それが、いつの頃からか分業化が進んだせいで、専業作曲家・演奏家という職種が生まれた。
専業作曲家が音楽についての広範な知識を持っているのは当然だろう。それは多くの場合、専業演奏家に勝るのやもしれない。それゆえに作曲家は現代の巷でも、演奏家からも先生扱いされることが多い。が、その手による楽譜は、しょせん演奏する者がいなければ紙切れにすぎないのだ。だから、先生扱いされるのは良いとしても、あまりえらそうにしないでいただきたいものだ。
ところで、演奏家には強力な武器がある。即興演奏だ。楽譜なんかいらないよん。これぞ作曲家不要音楽。
ところが、たとえばこの国には、即興だけではなかなか食えないという文化的背景がある。
ついでながら、即興演奏ができないプロ演奏家の多いこと。ワタシにはこれはほとんど信じられない。そのような人がプロとして食っていける文化的背景を訝しく思う。
ちなみに、即興演奏は演奏家の専売特許ではない。作曲家も当然できる。できなきゃ作曲ができるはずがない。だから、即興演奏をモノサシにして作曲家と演奏家の優劣を計ることはできない。
そろそろまとめを。
作曲家は演奏家やプログラマーがいなければ食えない。演奏家は楽譜なしでも演奏できるが、それだけでは食えない。また、駄曲が名演奏によって輝くこともあれば、下手くそな演奏でもみんなが知ってる名曲であればウケることもある。
結論。今も昔も、自作自演できる人がいちばんエライ。
エライというのはモノの例えで、別に偉くはないんだけれど、とにかく、作曲家 vs. 演奏家という図式はナンセンスだということですな。で、分業がいけないとは思わないが、どちらがいなくてもお互いが食えないのだから、お互いに敬意を持ってつき合うべきだろう。
どっちにしても、聴く側にとっては、ある曲を自分が好きになったとき、それが曲の魅力によるものなのか演奏の力によるものなのか、はたまた編曲の効果によるものなのかの判断などどうでもよい。一般聴衆は、花粉症に杉の葉茶と柿の葉茶のどちらが効いたのか的議論が好きだが、真相を客観的に追求することには興味がない。
おしまい。
09.02.23 記
09.02.23 記
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
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