揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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#312 無用の用
ふと空いてしまった時間に浸ることで、大きな喜びに出会うことがある。普段やらないことをしてみることで、幸運を手にすることがある。が、このような機会がどれほど少ないことか。空白の時間や普段とちがうことをしてみる時間は、もしや創り出さないと生まれないのだろうか。
ふと空いてしまった時間に浸ることで、大きな喜びに出会うことがある。普段やらないことをしてみることで、幸運を手にすることがある。が、このような機会がどれほど少ないことか。空白の時間や普段とちがうことをしてみる時間は、もしや創り出さないと生まれないのだろうか。
高気圧がたいへん優勢だったこの日、たまたま予定より早く仕事の現場に付いたもので、近くのコンビニで冷たい飲み物をもう一本買うことにした。用を済ませてさっさと外に出ようとしたが、まだ時間が余っている。何気なく書棚に目をやった。一冊の文庫本の背表紙に、ワタシの目が止まった。それは老子と荘子の言葉についての本だった。きゅうくつで騒々しいコンビニで文庫本を手にすることなどかつてなかったのだが、実はこの日はあることで心が乱れており、現場に向かうのが少々気が重たかった。で、少し心を静めようと思ったのだろう、含蓄あり人生のガイドである老荘の世界に手を伸ばしてみた。
ぱらぱらとページをめくり、自然に手が止まったところに目を落とした。するといきなり、そのときのワタシの心の乱れを静めるばかりか、仕事の新しい展望を与えてくれる一文が目に飛び込んできた。
この幸運な出会いのおかげで、その日の仕事はたいへんおだやかで充実したものとなった。新しい試みに、前向きに取り組むことができた。
もし、このとき現場への到着がもうしばらく遅れていたら、この本との出会いはなく、ワタシの乱れた心が、必ずぎくしゃくした結果を招いていたと思うのだ。その乱れた心とは、自己中心的な思い込み、すなわち一種の妄想に取りつかれた心だった。妄想にとりつかれた人間の相手をさせられる人は、まことに不幸だと言わざるを得ない。
してみれば、ワタシがいつもより少し早く家を出たことで得た出会いは、ワタシのみならず何人かの関係者をも不幸から救ったことになる。
このときに出会った荘子の言葉はもちろん大切にしたい。が、それよりも、ふと生まれた空白の時間の有用性をこそ、ワタシは胸にとどめようと思った。
荘子が師と仰いだ老子の言葉に「無用の用」というものがある。茶碗でも家でも、中にスペースがあるからこそ役に立つ、物を詰め込んでしまっては、それらはなんの役にも立たなくなってしまう、物の内部のスペースのような、一見無用のものこそが用を為すのだ、という教えだ。
空白の時間からこそ、新たな物事を創り出すエネルギーを得られるのではないだろうか。ぎゅうぎゅう詰めになった時間と頭からは、過去の遺物の焼き直しとマンネリしか生まれないように思える。そんなことを改めて感じさせた出来事だった。
冒頭に「もしや空白の時間や普段とちがうことをする時間は、創り出さないと生まれないのだろうか」と書いた。が、そのような時間を意図的に創り出したのでは、それは「有用の用」となってしまう。処世術として見た無用の用の要点とは、予定の外で軽やかに生きる術を知ることなのやもしれない。
この本、買ってしまった。で、まだ読んでないのにさっそく人に借りられてしまったとはこれいかに。
ぱらぱらとページをめくり、自然に手が止まったところに目を落とした。するといきなり、そのときのワタシの心の乱れを静めるばかりか、仕事の新しい展望を与えてくれる一文が目に飛び込んできた。
この幸運な出会いのおかげで、その日の仕事はたいへんおだやかで充実したものとなった。新しい試みに、前向きに取り組むことができた。
もし、このとき現場への到着がもうしばらく遅れていたら、この本との出会いはなく、ワタシの乱れた心が、必ずぎくしゃくした結果を招いていたと思うのだ。その乱れた心とは、自己中心的な思い込み、すなわち一種の妄想に取りつかれた心だった。妄想にとりつかれた人間の相手をさせられる人は、まことに不幸だと言わざるを得ない。
してみれば、ワタシがいつもより少し早く家を出たことで得た出会いは、ワタシのみならず何人かの関係者をも不幸から救ったことになる。
このときに出会った荘子の言葉はもちろん大切にしたい。が、それよりも、ふと生まれた空白の時間の有用性をこそ、ワタシは胸にとどめようと思った。
荘子が師と仰いだ老子の言葉に「無用の用」というものがある。茶碗でも家でも、中にスペースがあるからこそ役に立つ、物を詰め込んでしまっては、それらはなんの役にも立たなくなってしまう、物の内部のスペースのような、一見無用のものこそが用を為すのだ、という教えだ。
空白の時間からこそ、新たな物事を創り出すエネルギーを得られるのではないだろうか。ぎゅうぎゅう詰めになった時間と頭からは、過去の遺物の焼き直しとマンネリしか生まれないように思える。そんなことを改めて感じさせた出来事だった。
冒頭に「もしや空白の時間や普段とちがうことをする時間は、創り出さないと生まれないのだろうか」と書いた。が、そのような時間を意図的に創り出したのでは、それは「有用の用」となってしまう。処世術として見た無用の用の要点とは、予定の外で軽やかに生きる術を知ることなのやもしれない。
この本、買ってしまった。で、まだ読んでないのにさっそく人に借りられてしまったとはこれいかに。
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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