揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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#525 演 説
何事も、もともとはどうだったのか、そもそもの始めはどうだったのかを忘れないことが大切だと思う。音楽とは、感動を伝えたいという止むに止まれぬ思いに駆り立てられ、心血注いで曲を作り、汗水流して楽器の練習をし、その発露として演奏し、聴く人は音楽からそのプロセス全体を感じて、心からの拍手を送るものだったはずだ。
何事も、もともとはどうだったのか、そもそもの始めはどうだったのかを忘れないことが大切だと思う。音楽とは、感動を伝えたいという止むに止まれぬ思いに駆り立てられ、心血注いで曲を作り、汗水流して楽器の練習をし、その発露として演奏し、聴く人は音楽からそのプロセス全体を感じて、心からの拍手を送るものだったはずだ。
それが今は、多くの音楽は機械で作られ、スイッチひとつで手に入れることができる。作る方も聴く方も、いかに手軽にスピーディーに音楽とつき合うかが至上命題となっているかのようだ。
我々の暮らしはどうか。ここまで発展したこの国の経済の原動力は、もっと便利に、もっと快適に、もっと速く、もっと手軽にと唱えつづける思想ではなかったか。その思想は、我々を機械に、道路に、ダムに投資させてきた。その結果、文明の利器は全国津々浦々まで概ね行き渡った。が、それとともに、もっと便利にという思想も行き渡ってしまった。
そして田舎では、命の源である自然は傷つき、人々はより便利な都会へ「もっと、もっと」と移動し、どんどん人がいなくなった。子どもが減り、年寄りばかりになった。職場は減り、病院も減り、バスの本数も減り、ますます暮らしにくくなる一方だ。それが、機械に、道路に、ダムに投資してきた結果だ。
都会でもとうとう仕事がなくなり、給料は下がり、では田舎でやり直そうとしても、田舎には勤め先が足りない。
音楽も、お米も野菜も、学校も病院も、もともとはどうだったのか。機械に投資しつづけるうちに、我々はわからなくなってしまったのではないか。
もともとはどうだったのかを忘れてしまうと、なぜ問題なのか。それはひとつには、誤りに気がついたときに方向修正ができなくなってしまうからだ。工場と化した田んぼで作られた農薬まみれの米に疑問を感じたとき、稲とはそもそもどういう植物で、お米とはそもそもどうやって作られ、人の世でどのような存在だったのかを忘れてしまっていては、どこで過ちを冒したのか、どうやって軌道修正すればいいのかがわからないのではなかろうか。
同じように、田舎から人がいなくなってしまったとき、人はもともとは何に幸せを感じていたのかを見失ってしまっていれば、人を呼び戻すことはできないのではないだろうか。物や作物を作るときにはひとつひとつ手作りで丹精込めて作り、だからこそ物を大事にし感謝し、だからこそ、暮らしに欠かせない物を作り命を吹き込む人と人とが尊重し合える。そんな社会では、人々は草の根で支え合う。そして投資する先は機械や道路やダムではなかったことだろう。人は、他ならぬ「人」にこそもっとも多くを投資してきたはずだ。「人」とは、人のもともとの幸せを支えるあらゆる存在のことだ。
「人」に投資することこそが、人の世のもともとの姿であり、その投資は現代では教育・医療・福祉・環境・農政の分野に端的に反映される。
人の世のもともとの姿を見失わず、「人」への投資を何より大切にする○○さんだから、心から応援したい。
・・・てなことを、明日の町議会議員選挙の応援演説では話そうかな。にしても、いくら田舎には人がいないったって、なんでワタシなんぞがこんなことをする羽目になるのだらふ。
ブログ書きで演説原稿を練るだなんて、それはよかった。
我々の暮らしはどうか。ここまで発展したこの国の経済の原動力は、もっと便利に、もっと快適に、もっと速く、もっと手軽にと唱えつづける思想ではなかったか。その思想は、我々を機械に、道路に、ダムに投資させてきた。その結果、文明の利器は全国津々浦々まで概ね行き渡った。が、それとともに、もっと便利にという思想も行き渡ってしまった。
そして田舎では、命の源である自然は傷つき、人々はより便利な都会へ「もっと、もっと」と移動し、どんどん人がいなくなった。子どもが減り、年寄りばかりになった。職場は減り、病院も減り、バスの本数も減り、ますます暮らしにくくなる一方だ。それが、機械に、道路に、ダムに投資してきた結果だ。
都会でもとうとう仕事がなくなり、給料は下がり、では田舎でやり直そうとしても、田舎には勤め先が足りない。
音楽も、お米も野菜も、学校も病院も、もともとはどうだったのか。機械に投資しつづけるうちに、我々はわからなくなってしまったのではないか。
もともとはどうだったのかを忘れてしまうと、なぜ問題なのか。それはひとつには、誤りに気がついたときに方向修正ができなくなってしまうからだ。工場と化した田んぼで作られた農薬まみれの米に疑問を感じたとき、稲とはそもそもどういう植物で、お米とはそもそもどうやって作られ、人の世でどのような存在だったのかを忘れてしまっていては、どこで過ちを冒したのか、どうやって軌道修正すればいいのかがわからないのではなかろうか。
同じように、田舎から人がいなくなってしまったとき、人はもともとは何に幸せを感じていたのかを見失ってしまっていれば、人を呼び戻すことはできないのではないだろうか。物や作物を作るときにはひとつひとつ手作りで丹精込めて作り、だからこそ物を大事にし感謝し、だからこそ、暮らしに欠かせない物を作り命を吹き込む人と人とが尊重し合える。そんな社会では、人々は草の根で支え合う。そして投資する先は機械や道路やダムではなかったことだろう。人は、他ならぬ「人」にこそもっとも多くを投資してきたはずだ。「人」とは、人のもともとの幸せを支えるあらゆる存在のことだ。
「人」に投資することこそが、人の世のもともとの姿であり、その投資は現代では教育・医療・福祉・環境・農政の分野に端的に反映される。
人の世のもともとの姿を見失わず、「人」への投資を何より大切にする○○さんだから、心から応援したい。
・・・てなことを、明日の町議会議員選挙の応援演説では話そうかな。にしても、いくら田舎には人がいないったって、なんでワタシなんぞがこんなことをする羽目になるのだらふ。
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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