揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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きょう、こんなひと言に出会った。
「もちろん反核は必要です。しかし、反核だけでは、芸術のなかに潜んでいる爆発的なものを否定することになる。そのことを岡本太郎は危惧していました。私たちは、芸術によって、核というものを越えていくことができるのではないか」
(中沢新一「超核の神話 岡本太郎について」より)
宗教学者中沢新一と、「芸術は爆発だ」の岡本太郎。
両巨頭は言う。
芸術とは、創造とは、破壊と一体でなければならない、
体内に渦巻くマグマが爆発し、既製のあれこれを破壊する、
真の創造行為は、その先にある、
その先にしか、ない、
ないと言ったらないっ。
破壊の現代的象徴である核。
が、その破壊の先に、創造はない。
それゆえに、否定されねばならない。
が、単純素朴に否定するだけでは、この世の最も創造的なエネルギーそのものまで否定してしまうことになりかねない。
核エネルギーは、神のエネルギーなのだ。
神の破壊は、神の創造と一体だ。
だから、人間レベルで素朴に否定してしまっては、本質を見誤るような気がする。
中沢氏は言う。
「地球の表面に張り付いている生き物の世界は、生態圏である。太陽のエネルギーが直接降り注ぐ宇宙の世界は、太陽圏である。原子力は太陽圏のエネルギーなので、生態圏とは相容れない」~日本の大転換(上)より
地球上の熱エネルギーは、すべて太陽に由来する。
が、石油も石炭も天然ガスも炭も木材も何もかも、それらは生態圏中の何かが太陽エネルギーをいったん「媒介」して生成されたものだ。
一方核エネルギーは、何物も媒介せず、太陽エネルギーを直接取り出したものだ。
それゆえに、この生態圏とは相容れない。
さて、芸術。
してみると、すべて芸術は、神のエネルギーを人間が媒介して誕生したものではないか。
時々刻々生成と消滅をくり返す不滅のエネルギー。
それこそがこの世の実相であると、般若心経は言う。
すなわち、色即是空、空即是色。
そして、現代物理学。
この世の実相すなわちエネルギーであるという理解。
これすなわち、色即是空、空即是色。
科学はようやくその地点まで到達した。
電子は素粒子であり、同時に波動すなわちエネルギーである、と。
原子核と中性子が生み出す核分裂エネルギーは、太陽エネルギーだ。
それを礼賛すること自体は、何も間違いではないのだらふ。
が、それは、神秘なのだ。
神秘ゆえ、礼賛はしても手出し無用。
アンタッチャブル。
見るのはタダ、か。
それはそうと。
人間存在というハプニングもまた、太陽エネルギーの所産やも。
太陽エネルギーを何かが媒介し媒介され、果てしなくつながった生命の環。
その果てに、人類が立っているのやもしれない。
であれば、人類は太陽の子。
「Nous Sommes du Soleil 〜 我々は太陽の子ども」(“Ritual” by Yes)
さて、エネルギーを自ら媒介し、宇宙に発露させる。
岡本太郎は、それを「爆発だっ」と言ったにちがいない。
爆発によって破壊されるものは、人間界のあらゆる「古い」もの。
旧態依然とした、手垢の付いた、生気のない、ありとあらゆるもの。
破壊と創造は一体でなければならない。
それゆえの、爆発。
それゆえの太陽エネルギー礼賛。
岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」には、核爆発で焼かれる人間が描かれている。
太陽エネルギーを礼賛する人類。
果てに、神秘に手を出し深く傷ついた人類。
太郎画伯は、人類にとって核エネルギーとは何か、どう向き合うべきなのかを、身をもって示した。
「奇跡のリンゴ」の木村秋則氏は、原発についてこう言われた。
「太陽はひとつでいい」
中沢氏の言葉に戻る。
「私たちは、芸術によって、核というものを越えていくことができるのではないか」
さて、そのココロは。
梅棹忠男は言った。
人間は科学技術において、破局に至るまで探求の手を緩めようとしない宿業を背負っている、と。
なるほど、中沢氏の言葉は、その宿業を超えるための提言として響く。
核エネルギーという生態圏にとって破滅的な事象に「直接に」触れるのではなく、人間の心によって媒介し、芸術として発露させる、
それにより、人間社会の旧いあれこれを常に破壊、すなわち更新し、日々新たに生気に満ちて暮らす…
中沢氏のココロをこう解いてみた土民その一。
そうか、更新され続けるべき筆頭は、まちがいなく人間のマインドだらふな。
てことで、人間が掲げるべきは安全神話ではなく、太陽神話であるという噺というか備忘録でありましたとさ。
「もちろん反核は必要です。しかし、反核だけでは、芸術のなかに潜んでいる爆発的なものを否定することになる。そのことを岡本太郎は危惧していました。私たちは、芸術によって、核というものを越えていくことができるのではないか」
(中沢新一「超核の神話 岡本太郎について」より)
宗教学者中沢新一と、「芸術は爆発だ」の岡本太郎。
両巨頭は言う。
芸術とは、創造とは、破壊と一体でなければならない、
体内に渦巻くマグマが爆発し、既製のあれこれを破壊する、
真の創造行為は、その先にある、
その先にしか、ない、
ないと言ったらないっ。
破壊の現代的象徴である核。
が、その破壊の先に、創造はない。
それゆえに、否定されねばならない。
が、単純素朴に否定するだけでは、この世の最も創造的なエネルギーそのものまで否定してしまうことになりかねない。
核エネルギーは、神のエネルギーなのだ。
神の破壊は、神の創造と一体だ。
だから、人間レベルで素朴に否定してしまっては、本質を見誤るような気がする。
中沢氏は言う。
「地球の表面に張り付いている生き物の世界は、生態圏である。太陽のエネルギーが直接降り注ぐ宇宙の世界は、太陽圏である。原子力は太陽圏のエネルギーなので、生態圏とは相容れない」~日本の大転換(上)より
地球上の熱エネルギーは、すべて太陽に由来する。
が、石油も石炭も天然ガスも炭も木材も何もかも、それらは生態圏中の何かが太陽エネルギーをいったん「媒介」して生成されたものだ。
一方核エネルギーは、何物も媒介せず、太陽エネルギーを直接取り出したものだ。
それゆえに、この生態圏とは相容れない。
さて、芸術。
してみると、すべて芸術は、神のエネルギーを人間が媒介して誕生したものではないか。
時々刻々生成と消滅をくり返す不滅のエネルギー。
それこそがこの世の実相であると、般若心経は言う。
すなわち、色即是空、空即是色。
そして、現代物理学。
この世の実相すなわちエネルギーであるという理解。
これすなわち、色即是空、空即是色。
科学はようやくその地点まで到達した。
電子は素粒子であり、同時に波動すなわちエネルギーである、と。
原子核と中性子が生み出す核分裂エネルギーは、太陽エネルギーだ。
それを礼賛すること自体は、何も間違いではないのだらふ。
が、それは、神秘なのだ。
神秘ゆえ、礼賛はしても手出し無用。
アンタッチャブル。
見るのはタダ、か。
それはそうと。
人間存在というハプニングもまた、太陽エネルギーの所産やも。
太陽エネルギーを何かが媒介し媒介され、果てしなくつながった生命の環。
その果てに、人類が立っているのやもしれない。
であれば、人類は太陽の子。
「Nous Sommes du Soleil 〜 我々は太陽の子ども」(“Ritual” by Yes)
さて、エネルギーを自ら媒介し、宇宙に発露させる。
岡本太郎は、それを「爆発だっ」と言ったにちがいない。
爆発によって破壊されるものは、人間界のあらゆる「古い」もの。
旧態依然とした、手垢の付いた、生気のない、ありとあらゆるもの。
破壊と創造は一体でなければならない。
それゆえの、爆発。
それゆえの太陽エネルギー礼賛。
岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」には、核爆発で焼かれる人間が描かれている。
太陽エネルギーを礼賛する人類。
果てに、神秘に手を出し深く傷ついた人類。
太郎画伯は、人類にとって核エネルギーとは何か、どう向き合うべきなのかを、身をもって示した。
「奇跡のリンゴ」の木村秋則氏は、原発についてこう言われた。
「太陽はひとつでいい」
中沢氏の言葉に戻る。
「私たちは、芸術によって、核というものを越えていくことができるのではないか」
さて、そのココロは。
梅棹忠男は言った。
人間は科学技術において、破局に至るまで探求の手を緩めようとしない宿業を背負っている、と。
なるほど、中沢氏の言葉は、その宿業を超えるための提言として響く。
核エネルギーという生態圏にとって破滅的な事象に「直接に」触れるのではなく、人間の心によって媒介し、芸術として発露させる、
それにより、人間社会の旧いあれこれを常に破壊、すなわち更新し、日々新たに生気に満ちて暮らす…
中沢氏のココロをこう解いてみた土民その一。
そうか、更新され続けるべき筆頭は、まちがいなく人間のマインドだらふな。
てことで、人間が掲げるべきは安全神話ではなく、太陽神話であるという噺というか備忘録でありましたとさ。
おしまい。
11.06.13 記
11.06.13 記
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
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