揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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ある問題について、多くの人々が声を上げる。
それによって、より多くの人々が考える。
そこには、ひとつの「思考と情報の場」が形作られる。
その思考と情報の場を見渡したとき初めて、問題の全貌、すなわち人々のどのような関わりによって問題が引き起こされたのかが明らかになってくる。
抗議行動は本来、抗議によって問題を直接解決してしまおうとする行動だが、このようなたいへん重要な副産物も生む。
それによって、より多くの人々が考える。
そこには、ひとつの「思考と情報の場」が形作られる。
その思考と情報の場を見渡したとき初めて、問題の全貌、すなわち人々のどのような関わりによって問題が引き起こされたのかが明らかになってくる。
抗議行動は本来、抗議によって問題を直接解決してしまおうとする行動だが、このようなたいへん重要な副産物も生む。
高松四電前に集結した市民の止むに止まれぬ思いは、記事・映像となり全国に伝わっていき、この抗議行動に対する賛否両論を生んだことだろう。
それらの論に、現場にいた者の論を加えたとき、果たしてこの伊方原発出力調整実験という事件の全貌が明らかになるのかどうか。
それはむろん、明らかにならねばならない。
事件の全貌が市民によって明らかにされることで、事実が広く共有され始める。
放射能のこと、原発のこと、原子力ムラのことなどなど、事実が知らされてなかったことを知り、憤慨する。
自分は事件に無関係だと思っていた人が、自らの責任について考え始める。
原発立地地域と自分との関わり方がこの事件の背景にあることを見抜き始める。
そうして、この事件がけっして一部の人々だけが関係する事件ではないことを理解する。
(以上、どれもワタシ自身のことだw)
・・・・・・・
さて、権力は暴力を行使する。
四電前の抗議行動のもうひとつの過ちは、権力の暴力を甘く見た、過小評価したことではなかったかと#843に書いた。
子どもを含めた負傷者が出たことは、このことと無関係ではないと思う。
で、権力が本気で暴力を行使したとき、一般市民などほぼ無力だ。
天安門事件は、世界のどこででも、いつでも起こりうる。
ほどほどの所で自らが退くのであれば、その場で抵抗すること自体にはほとんどなんの意味もない。
眼前の暴力を敵視しても始まらない。
危険な状況になれば、さっさと退くに限る。
それでも、抗議を続けることはできる場合もあるだろうし、少なくとも権力の暴力発動という理不尽な行ないを公開し記録に残すことはできる。
市民の自立心にトラウマを刻み込む天安門事件をけっして起こしてはならないと思う。
権力に対しては、暴力を使わせないことが肝要なのではないだろうか。
抗議はする。
心から、激しく、徹底的に行なう。
が、けっして権力に暴力を使わせない。
市民の声で権力を沈黙させる。
その方法を考え、実践する。
「力によらない問題解決の方法」を。
力による政治、力による問題解決は、この世界でとっくに破綻しているではないか。
力で相手を否定するのではない問題解決の方法を探りつづけ、実践していく。
政治レベルでも、個人対個人のレベルでも。
と言いつつ、「力によらない問題解決の方法」とは何なのか、ワタシにはわからない。
わからないが、考え続けたい。
事実を知り、理に添い、その上で戦わずして勝利するに足る人々が参集することはできないだらふか、と。
数ではない。
情によるのでもない。
事実と理を手にする人こそが真に強いのだと、ワタシは思う。
『戦わずして勝利するに足る人々』の一人でありたい。
少しでも事実を知り、少しでも理に添った生き方をしたい。
せめて自分の足下から未来を実践したい。
…とますます思いつのるきょう、今、ここ。
それらの論に、現場にいた者の論を加えたとき、果たしてこの伊方原発出力調整実験という事件の全貌が明らかになるのかどうか。
それはむろん、明らかにならねばならない。
事件の全貌が市民によって明らかにされることで、事実が広く共有され始める。
放射能のこと、原発のこと、原子力ムラのことなどなど、事実が知らされてなかったことを知り、憤慨する。
自分は事件に無関係だと思っていた人が、自らの責任について考え始める。
原発立地地域と自分との関わり方がこの事件の背景にあることを見抜き始める。
そうして、この事件がけっして一部の人々だけが関係する事件ではないことを理解する。
(以上、どれもワタシ自身のことだw)
・・・・・・・
さて、権力は暴力を行使する。
四電前の抗議行動のもうひとつの過ちは、権力の暴力を甘く見た、過小評価したことではなかったかと#843に書いた。
子どもを含めた負傷者が出たことは、このことと無関係ではないと思う。
で、権力が本気で暴力を行使したとき、一般市民などほぼ無力だ。
天安門事件は、世界のどこででも、いつでも起こりうる。
ほどほどの所で自らが退くのであれば、その場で抵抗すること自体にはほとんどなんの意味もない。
眼前の暴力を敵視しても始まらない。
危険な状況になれば、さっさと退くに限る。
それでも、抗議を続けることはできる場合もあるだろうし、少なくとも権力の暴力発動という理不尽な行ないを公開し記録に残すことはできる。
市民の自立心にトラウマを刻み込む天安門事件をけっして起こしてはならないと思う。
権力に対しては、暴力を使わせないことが肝要なのではないだろうか。
抗議はする。
心から、激しく、徹底的に行なう。
が、けっして権力に暴力を使わせない。
市民の声で権力を沈黙させる。
その方法を考え、実践する。
「力によらない問題解決の方法」を。
力による政治、力による問題解決は、この世界でとっくに破綻しているではないか。
力で相手を否定するのではない問題解決の方法を探りつづけ、実践していく。
政治レベルでも、個人対個人のレベルでも。
と言いつつ、「力によらない問題解決の方法」とは何なのか、ワタシにはわからない。
わからないが、考え続けたい。
事実を知り、理に添い、その上で戦わずして勝利するに足る人々が参集することはできないだらふか、と。
数ではない。
情によるのでもない。
事実と理を手にする人こそが真に強いのだと、ワタシは思う。
『戦わずして勝利するに足る人々』の一人でありたい。
少しでも事実を知り、少しでも理に添った生き方をしたい。
せめて自分の足下から未来を実践したい。
…とますます思いつのるきょう、今、ここ。
おしまい。
12.07.08~14 記
12.07.08~14 記
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
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