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揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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出力調整実験は、事故を起こすことなく終了した。
伊方原発出力調整実験に対する一連の抗議行動に、『東京に原発を』でワタシに反原発の視点を与えてくれた広瀬隆さんが加わっておられたことを知ったのは、それから少し後のことだった。
小出裕章さんが伊方原発訴訟で重要な役割を果たし続けてこられたことを知ったのは、それから22年後のことだった。
伊方原発は、その後2012年1月12日まで稼働し続け、現在、大飯原発につづいて再稼働が画策されている。
3号機では、福島第一原発の3号機と同じく、MOX燃料を装填したプルサーマル運転が計画されている。

拍手[2回]



ここまで高松での抗議行動について書いてきたのは、ワタシが現在の反原発運動について考えるためだった。
デモ、抗議行動、実力行使、署名、情報発信、街宣、勉強会や講演会の開催、対話、思索、ひとりごと、自炊、昼寝、etc.
それらをいかに有効なものにしていくか。
反原発運動とその周辺には、この生態系とは相容れない原子力という技術をめぐる様々な意見が集約されている。
で、ここからは反原発抗議行動のあり方を、次の三つの例を見渡しながら自分なりに整理してみようと思う。


・88年の伊方原発出力調整実験反対の抗議行動

この抗議行動の問題点のひとつは、当初は意図していなかった機動隊との衝突という「実力行使」へと至ったことだったと思う。
眼前の障碍を敵視し、小規模であったとは言え暴力で応じてしまった。
真の敵を見失ってしまった。
そしてもうひとつの問題点は、権力の暴力を過小評価したことだと思っている。

前々便で書いた通り、当初からこの抗議行動は、原発そのものに乗り込んで実力で実験を妨害ないし中止させようと企図したものではない。
加えて、抗議の人々が集まったのは、四電の敷地内ではなく、天下の公道であった。
が、それでも、機動隊は「一般市民」の前に立ちふさがり、蹴倒し、排除した。
そしてそれに対抗してしまうことで、行動の目的がそらされてしまったわけだ。

では、成果はあったのか。
参加者は、ある意味当然ながら、その場で実験を中止させるつもりでいた。
結果として実験は行なわれてしまったが、多くの人々が実験の当事者である四電前で反対の声を上げたことで、四電と政府の中枢部に直接に生の声を届け、その模様を全国に知らしめることができた。
このことは大きな成果として考えてよいと思う。
そして、このときの市民参加型抗議行動のあり方は、その後の反原発・原子力の抗議行動に引き継がれている。

うわ、きょうになってこんな笑える動画を見つけてしまった。88年1月、高松四電近辺。ワタシが到着する以前の日の模様だと思う。大飯原発前の抗議行動のルーツがここに。





実験開始の日、四電前。ダイ・イン、機動隊、坊さんなど。道幅は思ったより狭かったんだな。あっ、あの抗議の記者氏も出てくる。





・2012年6月29日の大飯原発再稼働反対の総理官邸前抗議行動

まさに「一般市民」が中心になった歴史上初めての抗議行動だと位置づけられた。
「紫陽花革命」と命名された。
この抗議行動もまた、目的は実力行使ではなかった。
20万人とも言われる「一般市民」がめいめいの意思で集まり声を上げるライブ映像を見ながら、たいへんな高揚感を覚えた。
が、感動はそこまでだった。

「解散予定」の20:00を迎える前に、突然主催者が解散の呼びかけを始めた。
予想を超える多数の参加者に向かって、主催者は「次回もより多くの人が安全に集まれるように、きょうは退いてください」と懇願した。
なんということだらふ。
「次がある」と、主催者が言うのだ。
再稼働予定日はこの二日後だというのに。
そして、ほとんどすべての参加者がこの呼びかけに「従った」ようだった。

そもそも、予想を超える参加者が集まったのであれば、喜ばしいことではないか。
それをどんな事態につなげるかは、参加者自身が決めることのはずだ。
なぜなら、主催者は「一般市民の個別の自由意志」に呼びかけたはずだったからだ。
それを自らが統制しようとする、つまり組織化しようとするところに大きな矛盾がある。
しかもその理由が「次のため」だと言う。

『全国民の自由意志による意思表示』である抗議行動において、主催者の責任の範囲はどこまでかという問題も残る。
ここに難しさがあることはわかる。
が、少なくとも言えることは、このような形態の抗議行動においては、主催者には一定の責任はあっても権限はないはずだということだ。
が、主催者が(警察のマイクを借りて)「次があります。(解散を)土下座してお願いします」という懇願という形で表現したものは、実は一方的な権限の行使ではなかったか。
そして、参加者は従うことで主催者の権限を認めた。
あるいは、「次がある」と納得させられてしまった。

思うに、あのまま主催者の呼びかけが行なわれなかったとすれば、おそらく参加者は増え続けたことだろう。
あの場は大混乱し、混乱が人を呼び、さらに混乱し、カオスとなる。
けが人も出たやもしれない。
主催者はそれを恐れたのだろう。
が、それこそが生きた抗議行動ではなかったのか。

素直に解散してしまった参加者にも問題があるが、ほとんどの参加者はその場で全体像を把握できずにいたのだ。
みんな「素人」なんだから、前線の人々が帰り始めれば「デモは終わった」と考えて流れに従っても責められない。

かくして、伝説の一ページを開くはずだった抗議行動は、なんとも冴えない形で歴史に残ってしまった感がある。
その場にいなかったのに勝手なことばかり言って申し訳なくもあるが。

…今気がついたが、「抗議行動」と呼び「阻止行動」と呼ばなかったのはたまたまなのか、それともその場その時に阻止する気が始めからなかったからなのか。
主催者と公安警察との事前交渉(打ち合わせ?)もあったと聞くし、どうも主催者の意図が不明瞭だな。


Ust周回中継車から撮った首相官邸周辺デモの状況





・同年7月1日の大飯原発前での再稼働阻止行動

再稼働のスイッチを計画指導者たちに押させまいと、多くの若者たちが大飯原発へと続く一本道を封鎖した。
鎖で自らをつなぎ、人間バリケードを作った。
それは非暴力的手法ではあったが、紛れもなく実力行使であった。
この点が、四電前そして官邸前の抗議行動とは決定的に異なっている。
では、彼らは「敵」を見失っていたのか。

そうではない。
機動隊に「あなたたちは敵ではない」「いっしょに反対しよう」と呼びかける若者たちがいた。
雨中に立ち続ける機動隊員を傘に入れたり、機動隊員の胸に花を挿す女性たちがいた。
それらはまさに、敵の内に仲間を見、敵を愛しようとする行為だった。
この国の市民による抗議行動が大きく成長したことを示す感動的な場面だった。

では、問題点はなかったのか。

ここでまたしても、少し告白めいたことを書かざるを得ない。
88年以降、ワタシが反核・反原発運動から退いてしまったことだ。
署名すらしなくなった。
それは、あの日この目で見たもの、そして心の目で見たものが、ワタシに永遠に続くかと思われた自問自答を要求したからだった。


ワタシの友人が撮った大飯原発再稼働阻止行動最前線の映像





・・・・・・・ もうちょいつづく。



12.07.08〜11 記 


カンゾウ


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管理人について

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巴だ リョウヘイ
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演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)

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特 技/晴れ男であること。

オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。

2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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