揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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2012年6月29日、総理官邸前に20万人が集まって(主催者発表)、大飯原発再稼働反対の声を上げた。
そして7月1日には、再稼働を阻止すべく大飯原発前に集まった人は数百人を数えた。
この大飯原発前での抗議行動の模様を伝えるいくつもの動画を見ながら、ワタシは24年前のある日のことを思い出していた。
あまりにもあの日の模様と重なる大飯原発前の映像。
鳴り響き続ける太鼓、カーニバルのような場を作り出す若者たち、思い思いにマイクで告げられる市民の心の叫び、押し寄せる機動隊に対して非暴力を貫く市民、それを押し倒し引き回す権力の番人たちの姿。
それらを見てワタシは、再稼働を阻止しようとする若者たちの本気に感動しながらも、あの日を振り返らざるを得なかった。
ワタシが現在の反原発運動について考える際の土台のひとつとなっているあの日の出来事のことを記したい。
そして7月1日には、再稼働を阻止すべく大飯原発前に集まった人は数百人を数えた。
この大飯原発前での抗議行動の模様を伝えるいくつもの動画を見ながら、ワタシは24年前のある日のことを思い出していた。
あまりにもあの日の模様と重なる大飯原発前の映像。
鳴り響き続ける太鼓、カーニバルのような場を作り出す若者たち、思い思いにマイクで告げられる市民の心の叫び、押し寄せる機動隊に対して非暴力を貫く市民、それを押し倒し引き回す権力の番人たちの姿。
それらを見てワタシは、再稼働を阻止しようとする若者たちの本気に感動しながらも、あの日を振り返らざるを得なかった。
ワタシが現在の反原発運動について考える際の土台のひとつとなっているあの日の出来事のことを記したい。
1988年の二月のある日。
ワタシは高松の四国電力本社前にいた。
この日予定されていた、伊方原発の出力調整実験に反対する抗議行動に参加していたのだ。
前日におんぼろ車で四国に渡り、栗林公園の駐車場で震えながら車中泊してその日を迎えた。
当日は、厳寒期ではあったが温かな日ざしに包まれた一日だったと記憶している。
そしてこの日は、ワタシが初めて体験した「権力との対決の日」だった。
と書くと勇ましいが、当時のワタシは原発には反対ではあったものの、その思いはわざわざ高松まで行って抗議行動に参加することを決意するまでには至らない程度の深さであったことを告白する。
が、友人たちが次々に現地に向かうのを知り、何かに焚き付けられるかのように、遅ればせながら高松に赴いたのだった。
出力調整実験とは、原理的に昼夜フル稼働するしかない原発を、夜間だけ出力を落として効率化を図るための実験だ。
原子炉が不安定になるので、非常に危険な実験だ。
時はチェルノブイリ原発事故から2年足らず。
そのチェルノブイリも、出力調整実験中に大爆発事故を起こしたのだった。
それをまったく顧みないかのような伊方原発の実験計画。
当然、全国の人々が猛反発した。
伊方原発は、愛媛県の西端の半島に、瀬戸内海、伊予灘に面して立地している。
が、この抗議行動、主たる現場は高松市の四国電力本社前となっていた。
伊方原発に詰めかけた人々もいたのだが、少数だったようだ。
つまり、抗議行動参加者の大多数には、実験を実力で阻止しようという意図はなかったということだ。
この点が、このたびの大飯原発前での再稼働阻止行動とは異なる。
大飯原発前では、再稼働のスイッチを計画指導者たちに押させまいと、多くの若者たちが大飯原発へと続く一本道を封鎖した。
鎖で自らをつなぎ、人間バリケードを作った。
それは非暴力的手法ではあったが、紛れもなく実力行使であった。
それでいて、四電前と大飯原発前の抗議行動は、よく似た様相を呈する結果となった。
さて24年前のその日、四国電力本社前の大通りに着いたワタシ。
現場が異様な空気に包まれているのを感じた。
激しい太鼓の音と叫び声が耳に飛び込んでくる。
大勢の人々が通りにあふれ、口々に何か叫んでいる。
その数、百や二百ではない。
そして、制服の警官隊が散在している。
人々の抗議行動は、警察の監視の元で行なわれている形だ。
が、人々はそこに警察官などいないかのように振る舞っている。
と、一台のボロトラックが走り込んできた。
荷台には知った顔ぶれが乗り込んで、太鼓を打ち鳴らし、叫んでいる。
それを見て、ワタシの心の隅に巣食っていた迷いは、一瞬で吹き飛んだ。
ワタシは自分の立ち位置を求めて「戦場」をさまよい歩き始めた。
後日、新聞はこの日の模様をこのように伝えた。
「これまでのデモとはちがい、左翼系運動家だけではなく一般市民の参加が多く見られた」
近頃の官邸前や大飯原発での抗議行動は、ネットでの情報共有を起爆剤とした市民参加型の新しいタイプのものだとされている。
88年当時はネットこそ無かったものの、この日の抗議行動は市民参加型反原発デモの走りだったわけだ。
で、その一般市民の一人としてその場にいたワタシ。
が、「一般市民」とはずいぶん幅広い表現だ。
最も目立っていたのは、ワタシの友人たちとその友人たちの一群だった。
みな、アメリカ西海岸のヒッピーの血を正統に受け継いでいると思われる出で立ちだ。
またレゲエの洗礼を初めに受けた世代でもあるし、インドの精神文化の影響を強烈に体現した世代でもある。
カップルもたくさんいる。
小さな子ども連れも多い。
はっきり言って、大飯原発前に集まった若者たちより、はるかにキタナイ。
彼らを「一般市民」として括らざるを得なかった報道関係者に同情する。
次に目立ったのが、主婦層だった。
普通のおばちゃんたちが「げんぱつはんたーいっっっ」と叫ぶ。
中にはハンドマイクをつかんで長々と演説するご婦人もいる。
さっきまでエプロン姿で台所に立っていたような空気の人たちだ。
ほかに、左翼系インテリ百姓といった風貌のおっさんと若者たちも。
この人たちには自然食関係の仕事もしくは運動をしている人たちが多い。
そして、いかにもそれ風ののぼりとプラカードをそこここで掲げているのは、本職の左翼と思われる団体。
一般市民と本職左翼団体は、特に争うこともなく共存していた。
本職左翼が占める割合が多かったことが、昨今のデモとの違いだらふ。
四電前の大通りだったか広場だったか。
幅は30mほどだっただろうか。
そこに多数の人々が警官たちに監視されながら立ち、歩き回り、座り込んでいる。
ワタシは、四電の対面にある小高い場所に座って、しばらく全体を眺めていた。
突然、十四、五名の警官隊が隊列を作り、大通りを封鎖した。
これ以上人が入れないようにする措置だ。
と、一人の、コートを着た長身の三十歳くらいの男性が、警官隊の列に歩み寄った。
「通してくださ~い、報道で~す」
笑顔で声をかける。
警官隊は当然道を譲らない。
「通してくれよー…通せっ」
隊列を押しのけようとしては押し返される彼の口調は次第に激しくなっていった。
「そこをどけっ。どかないと俺のつばが飛ぶぞっ。いいか、これは憲法違反だぞ。集会・結社の自由を保障した憲法に違反する行為だっ、どけっ、どくんだっ」
にらみ合いがしばらく続いた。
間もなく背後から命令が入り、警官隊は散開し、彼は前に進んだ。
彼がどこの社の記者かはわからず終いだった。
・・・・・・・ つづく
12.07.05 記
ワタシは高松の四国電力本社前にいた。
この日予定されていた、伊方原発の出力調整実験に反対する抗議行動に参加していたのだ。
前日におんぼろ車で四国に渡り、栗林公園の駐車場で震えながら車中泊してその日を迎えた。
当日は、厳寒期ではあったが温かな日ざしに包まれた一日だったと記憶している。
そしてこの日は、ワタシが初めて体験した「権力との対決の日」だった。
と書くと勇ましいが、当時のワタシは原発には反対ではあったものの、その思いはわざわざ高松まで行って抗議行動に参加することを決意するまでには至らない程度の深さであったことを告白する。
が、友人たちが次々に現地に向かうのを知り、何かに焚き付けられるかのように、遅ればせながら高松に赴いたのだった。
出力調整実験とは、原理的に昼夜フル稼働するしかない原発を、夜間だけ出力を落として効率化を図るための実験だ。
原子炉が不安定になるので、非常に危険な実験だ。
時はチェルノブイリ原発事故から2年足らず。
そのチェルノブイリも、出力調整実験中に大爆発事故を起こしたのだった。
それをまったく顧みないかのような伊方原発の実験計画。
当然、全国の人々が猛反発した。
伊方原発は、愛媛県の西端の半島に、瀬戸内海、伊予灘に面して立地している。
が、この抗議行動、主たる現場は高松市の四国電力本社前となっていた。
伊方原発に詰めかけた人々もいたのだが、少数だったようだ。
つまり、抗議行動参加者の大多数には、実験を実力で阻止しようという意図はなかったということだ。
この点が、このたびの大飯原発前での再稼働阻止行動とは異なる。
大飯原発前では、再稼働のスイッチを計画指導者たちに押させまいと、多くの若者たちが大飯原発へと続く一本道を封鎖した。
鎖で自らをつなぎ、人間バリケードを作った。
それは非暴力的手法ではあったが、紛れもなく実力行使であった。
それでいて、四電前と大飯原発前の抗議行動は、よく似た様相を呈する結果となった。
さて24年前のその日、四国電力本社前の大通りに着いたワタシ。
現場が異様な空気に包まれているのを感じた。
激しい太鼓の音と叫び声が耳に飛び込んでくる。
大勢の人々が通りにあふれ、口々に何か叫んでいる。
その数、百や二百ではない。
そして、制服の警官隊が散在している。
人々の抗議行動は、警察の監視の元で行なわれている形だ。
が、人々はそこに警察官などいないかのように振る舞っている。
と、一台のボロトラックが走り込んできた。
荷台には知った顔ぶれが乗り込んで、太鼓を打ち鳴らし、叫んでいる。
それを見て、ワタシの心の隅に巣食っていた迷いは、一瞬で吹き飛んだ。
ワタシは自分の立ち位置を求めて「戦場」をさまよい歩き始めた。
後日、新聞はこの日の模様をこのように伝えた。
「これまでのデモとはちがい、左翼系運動家だけではなく一般市民の参加が多く見られた」
近頃の官邸前や大飯原発での抗議行動は、ネットでの情報共有を起爆剤とした市民参加型の新しいタイプのものだとされている。
88年当時はネットこそ無かったものの、この日の抗議行動は市民参加型反原発デモの走りだったわけだ。
で、その一般市民の一人としてその場にいたワタシ。
が、「一般市民」とはずいぶん幅広い表現だ。
最も目立っていたのは、ワタシの友人たちとその友人たちの一群だった。
みな、アメリカ西海岸のヒッピーの血を正統に受け継いでいると思われる出で立ちだ。
またレゲエの洗礼を初めに受けた世代でもあるし、インドの精神文化の影響を強烈に体現した世代でもある。
カップルもたくさんいる。
小さな子ども連れも多い。
はっきり言って、大飯原発前に集まった若者たちより、はるかにキタナイ。
彼らを「一般市民」として括らざるを得なかった報道関係者に同情する。
次に目立ったのが、主婦層だった。
普通のおばちゃんたちが「げんぱつはんたーいっっっ」と叫ぶ。
中にはハンドマイクをつかんで長々と演説するご婦人もいる。
さっきまでエプロン姿で台所に立っていたような空気の人たちだ。
ほかに、左翼系インテリ百姓といった風貌のおっさんと若者たちも。
この人たちには自然食関係の仕事もしくは運動をしている人たちが多い。
そして、いかにもそれ風ののぼりとプラカードをそこここで掲げているのは、本職の左翼と思われる団体。
一般市民と本職左翼団体は、特に争うこともなく共存していた。
本職左翼が占める割合が多かったことが、昨今のデモとの違いだらふ。
四電前の大通りだったか広場だったか。
幅は30mほどだっただろうか。
そこに多数の人々が警官たちに監視されながら立ち、歩き回り、座り込んでいる。
ワタシは、四電の対面にある小高い場所に座って、しばらく全体を眺めていた。
突然、十四、五名の警官隊が隊列を作り、大通りを封鎖した。
これ以上人が入れないようにする措置だ。
と、一人の、コートを着た長身の三十歳くらいの男性が、警官隊の列に歩み寄った。
「通してくださ~い、報道で~す」
笑顔で声をかける。
警官隊は当然道を譲らない。
「通してくれよー…通せっ」
隊列を押しのけようとしては押し返される彼の口調は次第に激しくなっていった。
「そこをどけっ。どかないと俺のつばが飛ぶぞっ。いいか、これは憲法違反だぞ。集会・結社の自由を保障した憲法に違反する行為だっ、どけっ、どくんだっ」
にらみ合いがしばらく続いた。
間もなく背後から命令が入り、警官隊は散開し、彼は前に進んだ。
彼がどこの社の記者かはわからず終いだった。
・・・・・・・ つづく
12.07.05 記
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
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今も自然農見習い。
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