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揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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高松四電前での抗議行動での、「一般市民」が思い思いに自然発生的な歌舞音曲を取り入れて抗議するというスタイルは、後に「運動が祭祀へと変質した画期的で歴史的な出来事」とまで言われた。
「祭祀」つーと、ほとんど神がかりだな。
「祭り」くらいにしといてよ。
が、帰路に着いたワタシは、出力調整実験が実施されてしまったことを別にしても、どうにもすっきりしない心境だった。
というのは、あの日参集した人々の多くの中に、自己陶酔と選民意識(死語?)を見た気がしたからだった。
それと、少しの神がかりと…

拍手[2回]


口を開けば「原発についてみんな意識が低い」「意識が高い人だけが状況を変えていく」「わかる人にはわかる」と言い合う人々。
その人たちは、太鼓を打ち鳴らし、歌い、踊り、叫び、警察と四電関係者に罵声を浴びせ、どんどん高揚し、機動隊に立ち向かう人々となっていった。
自分たちは正義である、高い次元の意識の持ち主である…。

が、しばし時を経てから、ワタシは同じものを自分自身の中にも見いだすこととなる。
「このように言うワタシ自身もまた、自分を特別視しているじゃないか」
自己陶酔と選民意識に対する批判は、ある二項対立から別の二項対立へと移動したに過ぎないことに気がついたのだ。
その無意識がなす自損的詐術からは、けっして逃れられないように思えた。
が、かろうじて、自己陶酔と選民意識を元に人に何かを訴えることは不適切であることは理解できた。
それゆえに、ワタシの心は反原発運動から離れてしまったのだ。
なんともショートカット・ブレインであったワタシ。

そんなワタシがどのような経緯で再び反原発の声を上げるようになったか。
それは別の機会に譲る。
…譲ってまで書かなくてもいいってか、はいはい。

抗議行動の目的は何なのか。
ただただ感情を吐き出しぶつけることではあるまい。
実験を阻止することではなかったか。
それが叶わないまでも、問題提起をし、広く思考と情報の場を作ることが目的ではなかったか。

そのような抗議行動は、他者とのコミュニケーションという文脈で考えたい。
自分の主張を、誰に、どうやって伝え、実現するか。
「敵」に向かって叫ぶという形を採りながらも、まだ見ぬ同志やあと一歩を踏み出せずにいる人に呼びかける。
願わくば、電力会社や国家機構の中の人々も共感の渦に巻き込む・・・。
88年の高松四電前での抗議行動が機動隊との衝突という事態に至ったのは、このような視点が欠けていたことによるのではなかったか。

抗議行動参加者は、真の敵を見失い、ただの障碍物ないし記号にすぎない警察と機動隊を敵視してしまった。
このことはおそらく、自己陶酔・選民意識と無関係ではなかったのだろう。

お囃子、歌、踊りなどの「表現行為」については、今はある程度理解できる気がしている。
大勢が集まって景気付けに音楽や踊りを行なう。
人々は一体感を持つ。
あの数々の少々突飛な行ないは(それらには大道具小道具まで事前に用意されていたのだが!)、参加者の「止むに止まれぬ思い」から生まれたものだったのだと、今は理解できる。

が、それでも、それらの行ないが景気付けの範囲を超えて自己陶酔となり、機動隊との衝突の遠因となった面もあるんじゃないかと、今も思っている。
また、ただの景気付けを「祭祀」などと持ち上げる人が現場内外にいたものだから、余計に自己陶酔・選民意識があおられたことも否めない、とも。

・・・・・・・

昨今の抗議行動のあり方が「表現の自由」などという文脈で語られ出したのを見るにつけ、そこに自己陶酔と選民意識が透けて見える気がする。
「止むに止まれぬ思い」から生まれる「止むに止まれぬ表現」を全否定するつもりはない。
が、抗議行動の場で「止むに止まれぬ思い」から生まれるものをすべて肯定してしまえば、ついには「止むに止まれぬ暴力」という言い訳にまで行き着いてしまう恐れがある。
抗議行動参加者がどこで自分の行動に線引きをするか。
それは各自が決めることだが、本人が意図するしないに関わらず、参加者は集団として視られることを知っておくことも必要だと思う。

大飯原発前再稼働阻止行動と前後して、ネット上には、再稼働反対派容認派双方の選民意識が発する排他的な言葉が飛び交った。
が、あちらとこちらの自己陶酔と選民意識には、何も違いはない。
自分の価値観の維持にとって都合のいい事実だけを強調し、単色的な信条にしがみつくことで自己の立場を特別視し、守ろうとしている点で何も違わない。
この意味で、互いが互いの一部であると言える。
が、そのことに気づかない人々は、二項対立のわなに落ち、他者を排除しようとする。
自己陶酔も選民意識も、二項対立そのものなのだ。
かくして闘争は内外で永遠につづくかのように思われる。


【またまた記録映像を発見】
88年2月、高松・四国電力本社前抗議行動。
「公務執行妨害で検挙する!」
警官隊と対峙する肝っ玉な女性たち。
「原発なくてもええじゃないか」踊り。
機動隊投入、市民との押し合い。この中のどこかに筆者も。
警察によって次々に排除される市民。



・・・・・・・ 次回、最終回。



12.07.11〜12 記 




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動画が、、
面白すぎるといえば不謹慎ですね、、。
まさしく私も88年当時現地に赴いたひとりなのですが、記憶がほとんどないのです。詳しい記述、解説に今更ながら納得します。思えばあの時感じた違和感が反原発という「何ものか」から私を遠ざけたような気がします。
対立から身を引き、普通の市民として当たり前の暮らしを当たり前に生きよう、、と思ったのです。
でも原発はいったん事故になれば、そんな当たり前の暮らしを脅かすのですね。

それを嫌というほど見せられた。

さて、、

さて、、

置き去りにしたものを回収するときが来たのですね。
町内のi.k EDIT
at : 2012/07/14(Sat) 11:51:35
Re:動画が、、
町内の i.k さま

はい、面白すぎます。
もしあのときの仲間たちといっしょに見たら、きっとみんな大笑いするでせうww
で、次に口々に言うのです。
「あのときは原発が無事でよかったな」
「笑い話で済めばよかったのにな」
「悔しいな」
…と。

あのときと今は違います。
福島前と福島後という大きな違い。
が、再稼働と瓦礫拡散を許してしまえば、我々の意識はまた福島前に戻ってしまいかねないのです。
その切迫感がいっそうの真剣さを生み、知恵を生み、様々な局面での二項対立から我々を、行きつ戻りつしつつも連れ出しつつあるのだと思ってます。

> さて、、さて、、 置き去りにしたものを回収するときが来たのですね。

うん、言い得て妙ですね。
回収してリサイクルするときでしょう。

…町内の t.k. さんによろしくw

 巴だ
at : 2012/07/14 15:35
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演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)

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特 技/晴れ男であること。

オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。

2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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