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揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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「人生の99%は幻で後の1%に意味がある。信心をし、祭を行ない、歌い、踊ることが人生の意味」
これは「#810 祭とは」で紹介した、京都の祇園祭山鉾連合会の元会長さんの言葉だ。
京都の町衆が長い年月守り続けて来た祇園祭の心髄だと言える。
この数日来、二度もこの言葉を人に紹介する機会があった。
ワタシはこの成り行きを、ワタシ自身がこの言葉を再び胸に刻み直すべき時に来ているということなのだと受け止めている。

この言葉によれば、音楽は人生の真の意味が込められている1%の部分に属するものだということになる。
異論は無い。
音楽が生活の中心に据えられ、音楽を通して出会い、喜び、苦しみ、考え、壁を乗り越えて来た自分にとって、それは至極当然のことに思える。
また、自分の音楽時間のかなりの部分が、幻とされる世界との折り合いを付けることに費やされてきたことを思うと、人生の意味と幻の1:99という比率にも、比喩的表現としては的を得ているとうなずくものだ。

で、その1%の世界に関わる密度が人様に比べて濃厚過ぎたのだろうか、音楽することでずいぶん消耗もした。
が、その消耗は1%の世界そのものが生じさせたことは一度も無く、必ず99%の世界との軋轢に由来した。
そしてそれらを克服するには、1%の世界に関わる密度をさらに濃厚にすることで自身を強靭にしていくしかないという、パラドックス的な循環の環に取り込まれて久しい。
いや、もう、とっくに後戻りはできない地点まで来ていた。
が、その有様は、音楽と心中するなどというドラマティックなものではない。
ワタシ自身が演奏していようがいまいが、音楽に思いを巡らせていようがいまいが、すべての鳥の声はメロディーであり、すべての雨の音はリズムであり、この世界はそれらが創り出しているハルモニアであり、そこですべての存在が生成し、成長し、滅していく様を見届け、聴き届け、共に生きるという、ただそれだけのことにすぎない。

そんな風に音楽の中で漂い続けることで、自然農にも出会えた。
それは、ワタシにとってはこの世界との新たな関わり方だった。
そして1%の世界との関わり方において、音楽を越えるものは自然農しかないと思える。
が、しかし、自然農によって拓かれ見いだされるこの完全無欠な世界を最も端的に言い表す言葉もまた「ハルモニア」を置いてほかには無い。


さて、合奏は、人間集団によるハルモニアの具現化である。
したがって、その場を支配するルールもまた、1%の世界のものであるはずだ。
であるのに、99%の世界にがんじがらめになっている人は、合奏に99%の世界のルールを持ち込む。
合奏を行なう上で生じる様々な障碍を乗り越えるに当たって、巷のしきたりを持ち出す。
使い古され、その起源さえもはや定かでなく、とっくに機能不全に落ち入っていることを誰もが暗黙のうちに了解しているはずの数々のしきたり。
にもかかわらず、それこそがこの世の問題を解決し得る唯一の処方箋だと言わんばかりにしがみつく。
しかしその処方箋は、1%の世界においては、一度たりとも効いたことはない。

これは実は、原因と結果を入れ違えてしまっている。
処方箋であれ何であれ、99%の世界のあれやこれやを1%の世界に持ち込むからこそ、1%の世界でトラブルが生じてしまうというのが真相だ。
つまり、本来1%の世界には一切のトラブルは存在しないのだ。
矛盾もなければ葛藤も消耗もない。
あるはずがない。
完全無欠な世界なのだから。
そこに人間が不用意に踏み入る際、しきたりを持ち込んでしまう。
そのしきたりがトラブルを生じさせる。
人生の意味と光に満ちた1%の世界にふれて輝いている人々の心を、巷間のくすんだ色合いに染め替えてしまう。
どういうことか。
しきたりとは、人間間の信頼の欠如を補い、あらゆる衝突から人々を守るために存在するものだ。
したがって、信頼が存在する所には無用の長物。
つまり、信頼が存在する所にしきたりを持ち込むことは、不信を持ち込むことと同じだと言える。

合奏は、信頼が前提の営みである。
音楽に対する信頼。
他の奏者に対する信頼。
そして自分に対する信頼。
どれかひとつが欠けても、合奏は精気を失い、形だけのものに堕してしまう。
形だけの演奏に甘んじることは、合奏が目指すものとはけっして相容れない。
なぜなら形だけの演奏に甘んじることとは、不信に甘んじることだからだ。

1%の世界は、信頼に満ちている。
信頼こそがその世界の根源だとも言える。
そして信頼とは、自由の別の呼び方だ。
深く信頼するとき、人は初めて自由になる。
無限になる。
限りなくして、それゆえにハルモニアの一部となる。
1%の世界と運命を共にする。
それを束の間でも実現しようとする試みこそが演奏、ことに合奏であると位置づけられる。
生徒さんたちには、十年来、それだけを伝えようとしてきた。
そしてハルモニアへの入口は、ただ「聴くこと」によってのみ開かれる、と。

1%の世界、すなわち聖域に進む際、人は心身を浄める。
巷の一切の不浄を落とす必要がある。
でなければ、聖域を穢してしまう。
不浄とは、不信であり、背信であり、放埒であり、貪欲であり、無知である。

合奏の場は、聖域であってほしいと願っている。
音楽を教えることを求められている者として、音楽の心髄を伝えることが何よりも優先されるべきであると、ずっと考えてきた。
そしてその心髄とは、演奏の場とは、合奏の場とは、聖域であるということにほかならない。

結界の向こうに存在してきた非日常的時空間、それが聖域。
が、音楽は結界さえも取り払ってしまう。
人が設けた結界という境界線のフィクション性を暴き出してしまう。
聖なるものはすべてを越え、どこまでも広がり続けることを、いとも簡単に証明してしまう。


聖らかさを手に入れることは、けっしてできない。
なぜなら、それはすでに自身のうちにあるからだ。
できることは、聖らかさの発現を妨げないことだけだ。
自分を空しくすること。
馬鹿になること。
しきたりを捨てること。
過去を、未来を捨てること。
それこそを、束の間の合奏の場で求めたい。
そして、求めずには得られないが、求めてはけっして得られないもの、それが自由というものだと思っている。


きのう、ある別れがあった。
と言っても、遠くない未来での再会を誓い合った、前向きな別れだった。
その別れ際に、ごく自然に祇園祭の話にふれ、その心髄を一同の心にて分かち合う喜びに恵まれた。
遅過ぎたとは思わない。
この別れとこのタイミングでの分かち合いはむしろ、一同がより良き道へと進むための天の配剤であったと思えてならない。
で、そのより良き道とは、1%の世界とより深く関わるための道でしかあり得ないと、今のワタシは、そしてきっと彼女たちも感じている。
そして、天は決して違えない。


 おしまい。 
13.06.17 記 


古代米の苗



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管理人について

HN:
巴だ リョウヘイ
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非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
 
演奏活動歴/揚琴、27年。オカリナ、16年。
活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)

コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「Contact」のページからどうぞ。

特 技/晴れ男であること。

オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。

京都府下農村在住。
雨乞い師見習い。
自然農見習い。
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