揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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独創的と言っても、艱難辛苦の末に閃いたとは限らないし、必ずしも画期的とは言えないこともある。
きょうから始めた田植えが、まさにそう。
成り行きに従っただけの行為が、結果的に独創的になったにすぎない。
それはともかく、世にも珍しい田植えの模様をリポートいたしまする。
誰のためにともなくするリポートだけど、記録すべき内容だと考える根拠あってのことでもあったり。
きょうから始めた田植えが、まさにそう。
成り行きに従っただけの行為が、結果的に独創的になったにすぎない。
それはともかく、世にも珍しい田植えの模様をリポートいたしまする。
誰のためにともなくするリポートだけど、記録すべき内容だと考える根拠あってのことでもあったり。
この荒れ地のような土地、田植え前のマイ田んぼなのであります。
この中に朝陽を浴びてすっくと立っているたくさんの青草。
すべて、こぼれ種が発芽して野生化した稲なのだ。
左端に伸びている水路の中にも、水田よろしく何本かの稲が生えている。
前々便「#859 似てヒエなるもの」で書いた通り、徹底的に稗(ヒエ)を駆除したので、もう稗は無い。
すべて、こぼれ種が発芽して野生化した稲なのだ。
左端に伸びている水路の中にも、水田よろしく何本かの稲が生えている。
前々便「#859 似てヒエなるもの」で書いた通り、徹底的に稗(ヒエ)を駆除したので、もう稗は無い。
この辺りなどはほとんど苗代状態やんか。
これは、見つけた中ではいちばん大きな個体。
すでに30㎝を超えている。
これは、見つけた中ではいちばん大きな個体。
すでに30㎝を超えている。
こんな状態の田植え前の田んぼ、一般の田んぼならあり得まい。
これらがみんな稲だとわかったときは、このままなんの手間も費用もかけずに幾ばくかでも米が穫れればそれはめでたい、と小躍りした。
それはさておき、渇水で水が無い半自然状態の田んぼでこれだけたくさんの稲が育つという事実は、記録しておくべきだと考えた。
これからも現代人が未体験の気候変動は続くだろう。
従来の米作りの手法と危機管理だけでは間に合わなくなる可能性は高い。
ことに渇水対策は、ハードとソフトの両面から進められる必要があると思う。
カラカラ田んぼでのこぼれ種の成長の記録は、これからの米作りの渇水対策創出のソフト面、すなわち育成方法、作付方法のヒントになるような気がしてならないのだ。
稲の育て方についてはかれこれ5年間素人なりにあれこれ考え試し続けて現在の手法に落ち着きなおも試行錯誤中であるが、稲や野菜のこぼれ種が荒れ地や田畑以外のエリアで不耕起無除草無施肥の自然状態で育ったものを見るたびにその立派さに驚き、田んぼとは、畑とはなんだらふ??と思案する日々。この点、去年はツイッターで何度もつぶやいたなあ。
で、農作とは原始の頃から人間の定住的営みの原点ではあるが、効率主義の揺籃でもあったというのが、現時点の見解。
田植えの意味については後述。
付け加える。
効率主義を否定するのではない。
生態系内の循環から離れて効率を求めることが誤りなのだと考える。
それゆえの自然農なのである。
話逸れ気味。
さて、マイ田んぼ一面に広がった野生化稲の行く末やいかに。
実はなんの手間も費用もかけずに米が穫れればめでたいと喜んでばかりはいられないのだ。
このままでは苗代で待機中の苗の田植えのじゃまになるばかり。
夏の草取りもしにくいし。
バラバラに生えたままで穂を垂れては稲刈りもはかどらん。穂を垂れてくれればだけど…
だいいち、密集して苗代状態で生えているものも多いし、逆に皆から離れてぽつんと一人きりで突っ立っているか細い子も多いときて、いずれもそのままではたいした生育は望めない。
が、考えた。
すべて生かせば田植えの手間が減ると考えればいいではないか、と。
さらに。
今後の野生化稲の処遇こそ、限りなく野生に近くて強い直播き稲の育成手法確立のヒントになるのではないか、と。
(※ 直播き=じかまき。田畑に直接種を播く栽培手法。一般に稲は困難とされている)
こうして、おのれの欲にまみれたタダ苗収穫願望は、前述の如く人類救済のための高邁な思想へと昇華されていったのであったのだった。
田植えにはいろんな意味理由があるが、苗を確実に育てること、これこそが苗代作りから田植えに至るという人間の英知が生んだ稲作手法の最大の目的になっていると思う。
そして、田植え直前の代掻きによる除草効果。
さらに田植えのもうひとつのメリット。
等間隔に整然と植えれば雑草の処理と稲刈りをしやすくする、ことに稗対策が容易になる。
田植えより直播きの方が効率的に思えるやもしれないが、以上の点だけを見ても、必ずしもそうではないことがわかる。
さて、ここに稗はもうない。
他の雑草は当初から極力生かす方針。
そして、野生化稲の多くは苗代稲より大きく育っている。
研究対象にまでなり得る。
邪魔にする理由は何も無い。
ふははははは。
てことで、マイ田んぼは野生化稲万歳的田んぼという新たなフェーズへと進んだのであった。
このような状況に応じた方針の大転換は、自然農の醍醐味のひとつだと思っている。
旅行中のプラン変更と同じくへんたい楽しい。
問題は、大きく育たないことがわかっている「密集して苗代状態で生えているもの」と「皆から離れてぽつんと一人きりで突っ立っているか細い子」だが、さてどーする?
また、やはりすくすくと育っている苗代稲の田植えはどーなる?
何よりも、田んぼに水が無い状況をいったいどーする?
これらがみんな稲だとわかったときは、このままなんの手間も費用もかけずに幾ばくかでも米が穫れればそれはめでたい、と小躍りした。
それはさておき、渇水で水が無い半自然状態の田んぼでこれだけたくさんの稲が育つという事実は、記録しておくべきだと考えた。
これからも現代人が未体験の気候変動は続くだろう。
従来の米作りの手法と危機管理だけでは間に合わなくなる可能性は高い。
ことに渇水対策は、ハードとソフトの両面から進められる必要があると思う。
カラカラ田んぼでのこぼれ種の成長の記録は、これからの米作りの渇水対策創出のソフト面、すなわち育成方法、作付方法のヒントになるような気がしてならないのだ。
稲の育て方についてはかれこれ5年間素人なりにあれこれ考え試し続けて現在の手法に落ち着きなおも試行錯誤中であるが、稲や野菜のこぼれ種が荒れ地や田畑以外のエリアで不耕起無除草無施肥の自然状態で育ったものを見るたびにその立派さに驚き、田んぼとは、畑とはなんだらふ??と思案する日々。この点、去年はツイッターで何度もつぶやいたなあ。
で、農作とは原始の頃から人間の定住的営みの原点ではあるが、効率主義の揺籃でもあったというのが、現時点の見解。
田植えの意味については後述。
付け加える。
効率主義を否定するのではない。
生態系内の循環から離れて効率を求めることが誤りなのだと考える。
それゆえの自然農なのである。
話逸れ気味。
さて、マイ田んぼ一面に広がった野生化稲の行く末やいかに。
実はなんの手間も費用もかけずに米が穫れればめでたいと喜んでばかりはいられないのだ。
このままでは苗代で待機中の苗の田植えのじゃまになるばかり。
夏の草取りもしにくいし。
バラバラに生えたままで穂を垂れては稲刈りもはかどらん。穂を垂れてくれればだけど…
だいいち、密集して苗代状態で生えているものも多いし、逆に皆から離れてぽつんと一人きりで突っ立っているか細い子も多いときて、いずれもそのままではたいした生育は望めない。
が、考えた。
すべて生かせば田植えの手間が減ると考えればいいではないか、と。
さらに。
今後の野生化稲の処遇こそ、限りなく野生に近くて強い直播き稲の育成手法確立のヒントになるのではないか、と。
(※ 直播き=じかまき。田畑に直接種を播く栽培手法。一般に稲は困難とされている)
こうして、おのれの欲にまみれたタダ苗収穫願望は、前述の如く人類救済のための高邁な思想へと昇華されていったのであったのだった。
田植えにはいろんな意味理由があるが、苗を確実に育てること、これこそが苗代作りから田植えに至るという人間の英知が生んだ稲作手法の最大の目的になっていると思う。
そして、田植え直前の代掻きによる除草効果。
さらに田植えのもうひとつのメリット。
等間隔に整然と植えれば雑草の処理と稲刈りをしやすくする、ことに稗対策が容易になる。
田植えより直播きの方が効率的に思えるやもしれないが、以上の点だけを見ても、必ずしもそうではないことがわかる。
さて、ここに稗はもうない。
他の雑草は当初から極力生かす方針。
そして、野生化稲の多くは苗代稲より大きく育っている。
研究対象にまでなり得る。
邪魔にする理由は何も無い。
ふははははは。
てことで、マイ田んぼは野生化稲万歳的田んぼという新たなフェーズへと進んだのであった。
このような状況に応じた方針の大転換は、自然農の醍醐味のひとつだと思っている。
旅行中のプラン変更と同じくへんたい楽しい。
問題は、大きく育たないことがわかっている「密集して苗代状態で生えているもの」と「皆から離れてぽつんと一人きりで突っ立っているか細い子」だが、さてどーする?
また、やはりすくすくと育っている苗代稲の田植えはどーなる?
何よりも、田んぼに水が無い状況をいったいどーする?
つづく。
13.06.18 記
13.06.18 記
今の畑苗代
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
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