揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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先日のマイオカリナ的生徒さんたち「オカリナ倶楽部・夢見るガチョウ」の発表会で、数少ない男性生徒さんたちによる「男はつらいよ」の演奏・扮装のパフォーマンスがあった。
男子生徒さんたちの、女子優位のオカリナ界ゆえの苦難の日々を表現しようという試みだったという。
大ウケに終わってそれはよかったが、その後日談を。
この件がきっかけで、思いがけず日本のオカリナの知られざる歴史にふれてしまったというお噺。
男子生徒さんたちの、女子優位のオカリナ界ゆえの苦難の日々を表現しようという試みだったという。
大ウケに終わってそれはよかったが、その後日談を。
この件がきっかけで、思いがけず日本のオカリナの知られざる歴史にふれてしまったというお噺。
このたびの男組5名による「男はつらいよ」の発表に携わって、ワタシはある古いテレビ番組を思い出していた。
「泣いてたまるか」という。
これは、やはり渥美清が主演のテレビドラマだった。
男はつらいよの源流となった番組とされているそうで、1966年から68年まで、日曜日の夜に放映されていた。
当時年端もいかないガキだったワタシだが、親父といっしょにこの番組と主題歌を愛好していた。
ストーリーはまったく思い出せないのだが、主題歌だけは今も歌える。
で、夢見るガチョウ男組による男はつらいよの一件で、なつかしくなってネットで「泣いてたまるか」について調べてみた。
で、出てきたのが「泣いてたまるか」の主題歌の音源。
ぶったまげた。
イントロ、そして歌の5小節目からのオブリガード、その後間奏、後奏にも現れる印象的な音色の管楽器。
こ、これは、まぎれも無くオカリナではないかっ。
今から40年以上も前から自分がオカリナの音色を聴いていた、それも大好きだったテレビ番組の主題歌で毎週聴いていたとは。
そして、その頃から日本でオカリナの音色がテレビで流れていたことに驚かされた。
さて、吹いていたのは誰だらふ???
日本で最初にオカリナを普及せしめた「オカリナの父」と呼ばれる人がいる。
12穴オカリナを創り出した明田川孝だ。
アケタオカリーナの創始者であり、現在の全ての国産オカリナの源流を創った人と言っても過言ではない。
1966年頃はまだ現役だっただろうと思いきや、1958年に49歳の若さで没していた。
では、あと考えられるのはこの人だ。
火山久。
明田川孝の弟子であり、日本中に第二次オカリナブームを巻き起こした宗次郎氏の師匠だ。
やはり自らオカリナを焼き、演奏した。
アケタオカリーナの歴史について書かれたサイトには、
「1959 /(明田川)孝の死後は妻・カヅがレル民族楽器研究所の代表となり、孝の弟子であった高橋美則、火山久、中塚純二が支える体制で再出発」
とある。
(日本におけるオカリナの歴史の全体像についても、このサイトがわかりやすかった)
また、
「火山久がレル民族楽器研究所(今の「アケタオカリーナ」)から独立してオカリナ製作を始めたのは、『栃木県の山中に拠点を移し』た1969年だった」
という記述がある。
てことは、火山氏は69年以前のオカリナ演奏には、アケタオカリーナを使っていたということになる。
火山久と明田川孝のつながりを示す記録は少ない。
が、明田川孝の息子で現在のアケタオカリーナのオーナーである明田川荘之氏はこう書いている。
「また、父の死後オカリーナを守ってくれた恩人として故・火山久氏にもこのCDを捧げます」
息子さんがこう言うのだから、おふたりに強い結びつきがあったことは間違いないだろう。
そして、火山氏が69年に独立する以前に使用していたオカリナも、おそらくアケタオカリーナ製作者の一員として自身の手で作ったものだったと推測できる。
であれば、「泣いてたまるか」のオカリナ奏者が火山久であったならば、そのオカリナもまた火山氏の自作のアケタオカリーナだったということになろう。
そして、火山久のオカリナ演奏のアルバム「土の詩」で聴ける音楽表現は、このときすでに出来上がっていたことが伺える。
仮定に仮定を重ねての話になってしまっているが、ワタシの中にはすでに確信が根付いてしまっていて申し訳ないことです。
また、前出のサイトには…
「1965/ この頃オカリーナの認知度が高まりつつあったことに加えて、カヅの才と、火山がTV番組にレギュラー出演するなどオカリーナの演奏シーンのTV・マスコミ進出・・・」
とある。
すると、こうした流れの中で、当時は数少なかったオカリナ奏者であった火山久が、66年から放映された「泣いてたまるか」の主題歌録りに参加することとなった可能性はいや増す。
また、あるサイトにはこうある。
「作曲家の山本直純氏がオカリナの音色に魅せられてから、好んで放送等に使い、オカリナ奏者として注目されるようになる」
そして別のサイトでは…
「森永製菓のCMソングの後に続く『ピッポッポッピィ』のメロディーは、火山さんのオカリナ演奏によるもののようです」
思い出した。
山本直純が作曲し自ら出ていたコマーシャル「大きいことはいいことだ」を。
その末尾は
「♪森永エールチョコレート・・・『ピッポッポッピィ』」
となっていたっけ。
(これ、きっとSC管で「ソラソド」って吹いてるね)
このCM制作の際に火山久と山本直純との縁が生まれたのやもしれぬな。
1967~68年頃の放映だそうだ。
てことは、「泣いてたまるか」の主題歌録りより後のことだな。
ちなみに「泣いてたまるか」の音楽担当と主題歌の作・編曲は、作曲家の木下忠司氏だ。
山本直純ではない。
さて、「泣いてたまるか」のオカリナの演奏は、火山久のアルバム「土の詩」を何度も聴いたワタシの耳にこびりついている氏のオカリナ的表現そのものだと思える。
音色、タンギング、スラー(ポルタメント)、ビブラート、低音部の表情…これまであちこちで受け継がれて今やすっかり定着している表現方法がそこに現れていると、ワタシには思えてならないのだ。
ん、明田川孝の演奏の音源は見つからないが、もしやこの表現方法もまた、火山氏が明田川氏から受け継いだものなのだらふか?
それとも、火山が独自に打ち立てたスタイルなのだらふか?
…ああ、仮定に仮定を重ねた上に疑問符で終わってしまってそれはよかったのだらふか?
追 記:森永の「ピポピポ」について
あのサウンドロゴの制作を担当したプロデューサーの談話を載せたこんな記事があった。
「森永のCMでエンゼルマークに付ける音を2秒以内で、という依頼だった。20~30人のオーケストラや合唱団などを使ってたくさん音を作ったが、どうしてもエンゼルマークに合わない。そこで、たまたまオーケストラのフルート奏者がオカリナで遊んでいたのを聴いて『それだ!』ということになり、できたのが“ピポピポ”」
1960年代後半のことだそうだ。
なお、このオーケストラのフルート奏者は火山久ではない。
火山氏はオカリナ奏者になる前はチェロ奏者だったのだから。
にしても、オカリナ、想像以上にこの国に浸透していたのですな。
「泣いてたまるか」という。
これは、やはり渥美清が主演のテレビドラマだった。
男はつらいよの源流となった番組とされているそうで、1966年から68年まで、日曜日の夜に放映されていた。
当時年端もいかないガキだったワタシだが、親父といっしょにこの番組と主題歌を愛好していた。
ストーリーはまったく思い出せないのだが、主題歌だけは今も歌える。
で、夢見るガチョウ男組による男はつらいよの一件で、なつかしくなってネットで「泣いてたまるか」について調べてみた。
で、出てきたのが「泣いてたまるか」の主題歌の音源。
ぶったまげた。
イントロ、そして歌の5小節目からのオブリガード、その後間奏、後奏にも現れる印象的な音色の管楽器。
こ、これは、まぎれも無くオカリナではないかっ。
今から40年以上も前から自分がオカリナの音色を聴いていた、それも大好きだったテレビ番組の主題歌で毎週聴いていたとは。
そして、その頃から日本でオカリナの音色がテレビで流れていたことに驚かされた。
さて、吹いていたのは誰だらふ???
日本で最初にオカリナを普及せしめた「オカリナの父」と呼ばれる人がいる。
12穴オカリナを創り出した明田川孝だ。
アケタオカリーナの創始者であり、現在の全ての国産オカリナの源流を創った人と言っても過言ではない。
1966年頃はまだ現役だっただろうと思いきや、1958年に49歳の若さで没していた。
では、あと考えられるのはこの人だ。
火山久。
明田川孝の弟子であり、日本中に第二次オカリナブームを巻き起こした宗次郎氏の師匠だ。
やはり自らオカリナを焼き、演奏した。
アケタオカリーナの歴史について書かれたサイトには、
「1959 /(明田川)孝の死後は妻・カヅがレル民族楽器研究所の代表となり、孝の弟子であった高橋美則、火山久、中塚純二が支える体制で再出発」
とある。
(日本におけるオカリナの歴史の全体像についても、このサイトがわかりやすかった)
また、
「火山久がレル民族楽器研究所(今の「アケタオカリーナ」)から独立してオカリナ製作を始めたのは、『栃木県の山中に拠点を移し』た1969年だった」
という記述がある。
てことは、火山氏は69年以前のオカリナ演奏には、アケタオカリーナを使っていたということになる。
火山久と明田川孝のつながりを示す記録は少ない。
が、明田川孝の息子で現在のアケタオカリーナのオーナーである明田川荘之氏はこう書いている。
「また、父の死後オカリーナを守ってくれた恩人として故・火山久氏にもこのCDを捧げます」
息子さんがこう言うのだから、おふたりに強い結びつきがあったことは間違いないだろう。
そして、火山氏が69年に独立する以前に使用していたオカリナも、おそらくアケタオカリーナ製作者の一員として自身の手で作ったものだったと推測できる。
であれば、「泣いてたまるか」のオカリナ奏者が火山久であったならば、そのオカリナもまた火山氏の自作のアケタオカリーナだったということになろう。
そして、火山久のオカリナ演奏のアルバム「土の詩」で聴ける音楽表現は、このときすでに出来上がっていたことが伺える。
仮定に仮定を重ねての話になってしまっているが、ワタシの中にはすでに確信が根付いてしまっていて申し訳ないことです。
また、前出のサイトには…
「1965/ この頃オカリーナの認知度が高まりつつあったことに加えて、カヅの才と、火山がTV番組にレギュラー出演するなどオカリーナの演奏シーンのTV・マスコミ進出・・・」
とある。
すると、こうした流れの中で、当時は数少なかったオカリナ奏者であった火山久が、66年から放映された「泣いてたまるか」の主題歌録りに参加することとなった可能性はいや増す。
また、あるサイトにはこうある。
「作曲家の山本直純氏がオカリナの音色に魅せられてから、好んで放送等に使い、オカリナ奏者として注目されるようになる」
そして別のサイトでは…
「森永製菓のCMソングの後に続く『ピッポッポッピィ』のメロディーは、火山さんのオカリナ演奏によるもののようです」
思い出した。
山本直純が作曲し自ら出ていたコマーシャル「大きいことはいいことだ」を。
その末尾は
「♪森永エールチョコレート・・・『ピッポッポッピィ』」
となっていたっけ。
(これ、きっとSC管で「ソラソド」って吹いてるね)
このCM制作の際に火山久と山本直純との縁が生まれたのやもしれぬな。
1967~68年頃の放映だそうだ。
てことは、「泣いてたまるか」の主題歌録りより後のことだな。
ちなみに「泣いてたまるか」の音楽担当と主題歌の作・編曲は、作曲家の木下忠司氏だ。
山本直純ではない。
さて、「泣いてたまるか」のオカリナの演奏は、火山久のアルバム「土の詩」を何度も聴いたワタシの耳にこびりついている氏のオカリナ的表現そのものだと思える。
音色、タンギング、スラー(ポルタメント)、ビブラート、低音部の表情…これまであちこちで受け継がれて今やすっかり定着している表現方法がそこに現れていると、ワタシには思えてならないのだ。
ん、明田川孝の演奏の音源は見つからないが、もしやこの表現方法もまた、火山氏が明田川氏から受け継いだものなのだらふか?
それとも、火山が独自に打ち立てたスタイルなのだらふか?
…ああ、仮定に仮定を重ねた上に疑問符で終わってしまってそれはよかったのだらふか?
追 記:森永の「ピポピポ」について
あのサウンドロゴの制作を担当したプロデューサーの談話を載せたこんな記事があった。
「森永のCMでエンゼルマークに付ける音を2秒以内で、という依頼だった。20~30人のオーケストラや合唱団などを使ってたくさん音を作ったが、どうしてもエンゼルマークに合わない。そこで、たまたまオーケストラのフルート奏者がオカリナで遊んでいたのを聴いて『それだ!』ということになり、できたのが“ピポピポ”」
1960年代後半のことだそうだ。
なお、このオーケストラのフルート奏者は火山久ではない。
火山氏はオカリナ奏者になる前はチェロ奏者だったのだから。
にしても、オカリナ、想像以上にこの国に浸透していたのですな。
おしまい。
13.06.11 記
13.06.11 記
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
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