揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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#263 満月の夜にピアノが吠えた−7
陽が長くなっていくに連れて、緑が濃くなっていく。こんな風に太陽エネルギーが大地に充填されていってピークを迎えるのが今月の夏至だ。そんな頃合いに雨がもっとも多くなる。自然の移ろいはほんとうにうまくできている。
そんな中、満月の夜の体験を書きつづるうちに月も移り変わり、まもなく新月となる。キース・ジャレット体験記もいよいよおしまい。
陽が長くなっていくに連れて、緑が濃くなっていく。こんな風に太陽エネルギーが大地に充填されていってピークを迎えるのが今月の夏至だ。そんな頃合いに雨がもっとも多くなる。自然の移ろいはほんとうにうまくできている。
そんな中、満月の夜の体験を書きつづるうちに月も移り変わり、まもなく新月となる。キース・ジャレット体験記もいよいよおしまい。
ところで、きのうはワタシのオカリナの生徒さんたちとワタシの合同コンサートだった。京都アバンティホールは満員とはいかなかったがたいへん多くのお客さまにめぐまれ、総勢40数名は命の限り、と言うほどではないが、力の限り、いや、力を入れすぎるとだめなのだが、息の続く限り、いや、ブレスは余裕を持ってできるようにしなければならないのだが、とにかく音に心をこめてがんばった。
多くのお客さまがおられるということは、そこから舞台に向けて発せられるものもたいへん多いということだ。その目に見えない実体のない「何物か」がどんな感じのもので、自分にどんな影響を与えるのかはそれこそ毎回ちがうので、いざ舞台に立ってみなければわからない。経験が少ない人や心臓がない人は、舞台に立ったとたんに客席に圧倒されて気絶してしまう。経験豊富で心臓がたくさんある人でも、ときには自分が何をするためにそこにいるのかを見失ってオカリナをくわえたままで失神してしまう。そんなおそろしい経験をなぜ進んでしたがるのか、客席で楽しむこと・批評すること・野次ること専門の人にはまったく理解できないが、実はこんなこと、おそろしい経験でもなんでもない。
千人を越える聴衆の前で2時間以上即興で演奏することの重圧は、想像を絶する。普通の人間だったら何度死んでも足りない。それを何十年も続けている人は、自分と同じ人間だとはほとんど信じがたい。自分たちと同じように話し、同じように食べ、同じように笑っていても、きっと何かが決定的にちがうのではないか。K. J. と普通人とは何が決定的にちがうのだろう。それはまず、集中力だと言う人が多い。
人間には大きく分けてふたつの能力があるとされる。それは「実行の能力」と「創造の能力」だ。実行の能力はバソコンを操作する能力で、創造の能力はバソコンで何を作るかの能力のことだ。超一流の演奏家とはこれらの両面に秀でていてそれらを磨きあげた人だと捉えれば、少し理解しやすくなる。
さて、演奏においては、音への集中力と自分の演奏行為への集中力が要求される。それは、創造への集中と実行への集中だと言い換えられる。そして集中力こそが、「能力を磨き上げる能力」なのだとワタシは思う。
だがこれまで書いてきたように、演奏家の音への集中力とは、群衆のざわめきの中でそれらを排して己がこれから行なうことに意識を集める集中力のことではない。むしろ己を無くし、周囲のすべてを包み込むような、全方向の集中力のことだ。これが、前便に書いた「普通の集中とは逆方向の集中力」ということだ。会場のすべての響きを聴きながらそれを次の音に反映させるためには、この全方向の集中力が要求される。K.J. の常人ばなれしたそれは、「瞑想」という言葉を想起させる。瞑想の中で作り出される音は、当然聴く者をもまた瞑想へといざなう。そのガイドは、リズムのうねりによって導入され、最終的には響きによってなされるように感じる。そのガイドは新たな精神的地平の創造へ人をいざなうという意味で「癒し」を超えている。
打鍵の瞬間の音しか聴いていないのではないかと思わせるピアニストも多い。そこでは響きはあたかも価値がないものであるかのように、次々と踏みにじられていく。
あの満月の夜のすさまじいまでの演奏。それは、まさに天上からのめくるめく啓示であるとともに、大地の化身と化したピアノが吠えているようだった。それは、客席の止まぬ咳払いの渦の中で実現された。そのような環境の中ですら世界一の即興演奏をやってのける K.J. の偉大さ。どうすればあのような能力を磨くことができるか、などと考えもしたが、K.J. に近づくには、われわれはまず裸にならなければならないだろう。
多くのお客さまがおられるということは、そこから舞台に向けて発せられるものもたいへん多いということだ。その目に見えない実体のない「何物か」がどんな感じのもので、自分にどんな影響を与えるのかはそれこそ毎回ちがうので、いざ舞台に立ってみなければわからない。経験が少ない人や心臓がない人は、舞台に立ったとたんに客席に圧倒されて気絶してしまう。経験豊富で心臓がたくさんある人でも、ときには自分が何をするためにそこにいるのかを見失ってオカリナをくわえたままで失神してしまう。そんなおそろしい経験をなぜ進んでしたがるのか、客席で楽しむこと・批評すること・野次ること専門の人にはまったく理解できないが、実はこんなこと、おそろしい経験でもなんでもない。
千人を越える聴衆の前で2時間以上即興で演奏することの重圧は、想像を絶する。普通の人間だったら何度死んでも足りない。それを何十年も続けている人は、自分と同じ人間だとはほとんど信じがたい。自分たちと同じように話し、同じように食べ、同じように笑っていても、きっと何かが決定的にちがうのではないか。K. J. と普通人とは何が決定的にちがうのだろう。それはまず、集中力だと言う人が多い。
人間には大きく分けてふたつの能力があるとされる。それは「実行の能力」と「創造の能力」だ。実行の能力はバソコンを操作する能力で、創造の能力はバソコンで何を作るかの能力のことだ。超一流の演奏家とはこれらの両面に秀でていてそれらを磨きあげた人だと捉えれば、少し理解しやすくなる。
さて、演奏においては、音への集中力と自分の演奏行為への集中力が要求される。それは、創造への集中と実行への集中だと言い換えられる。そして集中力こそが、「能力を磨き上げる能力」なのだとワタシは思う。
だがこれまで書いてきたように、演奏家の音への集中力とは、群衆のざわめきの中でそれらを排して己がこれから行なうことに意識を集める集中力のことではない。むしろ己を無くし、周囲のすべてを包み込むような、全方向の集中力のことだ。これが、前便に書いた「普通の集中とは逆方向の集中力」ということだ。会場のすべての響きを聴きながらそれを次の音に反映させるためには、この全方向の集中力が要求される。K.J. の常人ばなれしたそれは、「瞑想」という言葉を想起させる。瞑想の中で作り出される音は、当然聴く者をもまた瞑想へといざなう。そのガイドは、リズムのうねりによって導入され、最終的には響きによってなされるように感じる。そのガイドは新たな精神的地平の創造へ人をいざなうという意味で「癒し」を超えている。
打鍵の瞬間の音しか聴いていないのではないかと思わせるピアニストも多い。そこでは響きはあたかも価値がないものであるかのように、次々と踏みにじられていく。
あの満月の夜のすさまじいまでの演奏。それは、まさに天上からのめくるめく啓示であるとともに、大地の化身と化したピアノが吠えているようだった。それは、客席の止まぬ咳払いの渦の中で実現された。そのような環境の中ですら世界一の即興演奏をやってのける K.J. の偉大さ。どうすればあのような能力を磨くことができるか、などと考えもしたが、K.J. に近づくには、われわれはまず裸にならなければならないだろう。
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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