揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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#264 舞台袖にて
ここ数年、年に何度かずつ、舞台袖で出演者を送り出す機会を持っている。送り出す出演者はたくさんのガチョウさんたちだ。舞台を夢見て、上達を夢見てオカリナに取り組むその姿は、「オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ”」の名にふさわしく、ひたむきでファンタジックだ。自分の生徒さんたちを舞台に送り出し、迎えることの喜び、切なさ、緊張感は、ワタシの音楽ライフに欠かせないスパイスとなりつつある。
ここ数年、年に何度かずつ、舞台袖で出演者を送り出す機会を持っている。送り出す出演者はたくさんのガチョウさんたちだ。舞台を夢見て、上達を夢見てオカリナに取り組むその姿は、「オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ”」の名にふさわしく、ひたむきでファンタジックだ。自分の生徒さんたちを舞台に送り出し、迎えることの喜び、切なさ、緊張感は、ワタシの音楽ライフに欠かせないスパイスとなりつつある。
6月1日の オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 3rd. Concert は、盛況のうちに終わった。40名を次々に舞台に送り出すことの重圧は、自分が演奏するときの比ではない。自分が演奏する時間になったときの開放感の大きいことといったらなかった。我が家に帰ってきたような安堵感もある。安堵しすぎて、何をしに舞台に出てきたのかを忘れてしまって、しばし立ち尽くしたりもする。
リハーサルの前、ガチョウさんたちを前にして「自信を持って演奏してちょ」と、えらそうに訓示を垂れた。それでいて、みなさんを見守るときの心境といえば、「あわてるなよー」「こけるなよー」「倒れるなよー」「生きて帰ってこいよー」と、祈らんばかりだった。自信を持っていなかったのはほかでもない、ワタシ自身だったようだ。失敗に涙を飲んだ人がいたとしたら、きっとワタシの自信のなさが伝わったせいだろう。土下座。
ただのアマチュアの発表会ではないのがこのコンサートの眼目だ。そこには、アマチュアながら聴く人に楽しんでいただこう、人様のために吹こうとの殊勝な思いが込められている。
アマチュアの武器は、「無欲」これしかない。「純粋さ」と言うと少々こっぱずかしい気がする。「ひたむきさ」くらいなら言ってよいかな。
「無欲」「ひたむきさ」が「無心」につがればいいのだが、これがなかなかそうはいかない。
本番の数日前から手がふるえ出し、急性不眠症となり、意に反したダイエットが始まり、当日は夜明け前に頭痛とともに目覚め、身体にどこか痛いところはないか無理矢理見つけ出そうとするが健康体であることにがっかりし、ふるえる手でトースターからパンを取り出し、寝ているだんなをうらめしく横目で見ながら熱すぎるコーヒーでこげたパンを流し込もうとして火傷し、息子が「飯はまだか」とでも言おうものなら逆ギレし、三度も化粧をやり直し、結局いつもよりひどい顔で駅に駆けつけ、待ち合わせた仲間のひきつった顔を見てようやく我が身を振り返り、車中で取りあえず昼食の段取りを相談し、相談がまとまったころに忘れ物が気になり出し、会場を目前に人目をさけつつそっとバッグを改め、ひと安心したら改札で切符が見つからない、きょうは ICOCA を使っていたことを思い出してほっとし、混み合うエスカレーターの前では突然元気になって猪突猛進し、通りがかったブティックの前ではつい赤札に目が行き、前から来た茶髪の女子高生にぶつかってにらまれ、憤然として会場に到着すると他のグループのメンバーの真っ青な顔に迎えられ、自分はあの人よりはましだと言い聞かせ、なぜこんなに緊張しているのかわからなくなってしまったままホールに入り、その広さと立派さにちぢみあがり、時計を見て出番まであと3時間以上あることを知って耐えがたくなり、とりあえずWCを探して飛び込み、鏡を見て笑おうとするがひきつった笑いに顔をそむけ、のどがからからになっていることに気づいてペットボトルを取り出すがすでに中身はなく、自販機を探しにいこうかどうしようかと迷っているうちに説明会が始まり、のどの乾きでセンセイの言葉は耳に入らず、配られた進行表を見ても字を目で追っているだけ、となりのメンバーに「今なんて言ったの?」とたずねたら「さあ、あとでだれかに聞けばわかるでしょ」と言われ、呼ばれるままにリハーサルとなり、夢遊病者のように演奏し、「伴奏は聴こえにくくないですか」とたずねられても伴奏がどこから聴こえていたのかわからず、テーブルの上でぶつかりあってカチカチ鳴るオカリナ、うまくめくれずガサガサいう楽譜、ひねってもひねっても動かない譜面台のネジ、すべてが呪われているように思え、ここへ来たことを後悔するが時すでに遅し、それでいてお昼のサンドイッチを7切れもほうばり、冷たいお茶をがぶ飲みし、ゲップを押さえているうちに気分が悪くなり、うすぐらいホールの席に倒れ込んでしばし目を閉じれば、まぶたに浮かぶは子供の頃学んだ学校の講堂の舞台、セリフをまちがえて笑われた学芸会、締めつけられる胸を深呼吸でなだめ、もう一度楽譜に目を通すが目に入るのは注意書きばかり、「本番では注意書きは役に立たんぞ」と言ったセンセイの顔が勝ち誇ったように笑いだす、「まず楽しまなくっちゃ」と自分に言い聞かすが、もう一人の自分が「そんなことできっこないわ」と嘆き、にぎりしめた手のひらの汗をひざでふいていると開場のしらせ、まだロビーで練習しているグループにあせり、時計を見れば出番まであと30分余り、どうするのがよいか思案しているうちに客席で開演を迎え、スポットを浴びる司会者を見て生つばを飲み、最初のグループの演奏する姿を見て自分もあそこで演奏するとはますます信じがたくなり、もう一度生つばを飲んだときにうしろから仲間に肩をたたかれてむせ返り、出番にそなえて楽屋へ走れば楽屋の明るさに現実感を失い、舞台袖へとさまよい出ればその暗さにますます現実感が失せ、かけたイスの固さまでがうらめしく、センセイの「いらっしゃい」の笑顔が憎らしく、誰とも目を合わせる気になれず、うつむいているとにわかに靴がきつく思えてきた、目の前から聴こえてくる他のグループのうわずった音に緊張はピークとなり、もはや生つばを飲もうにも飲み込めず、ひくひくと鳴るのどの奥に何物かが巣食っているように思え、帰りたいもどりたい今すぐ安息な日々を取り戻したいと願い祈るうちに出番。
ガチョウのみなさん、まことにおつかれさまでした。そして、身をけずっての演奏、ありがとうございました。
リハーサルの前、ガチョウさんたちを前にして「自信を持って演奏してちょ」と、えらそうに訓示を垂れた。それでいて、みなさんを見守るときの心境といえば、「あわてるなよー」「こけるなよー」「倒れるなよー」「生きて帰ってこいよー」と、祈らんばかりだった。自信を持っていなかったのはほかでもない、ワタシ自身だったようだ。失敗に涙を飲んだ人がいたとしたら、きっとワタシの自信のなさが伝わったせいだろう。土下座。
ただのアマチュアの発表会ではないのがこのコンサートの眼目だ。そこには、アマチュアながら聴く人に楽しんでいただこう、人様のために吹こうとの殊勝な思いが込められている。
アマチュアの武器は、「無欲」これしかない。「純粋さ」と言うと少々こっぱずかしい気がする。「ひたむきさ」くらいなら言ってよいかな。
「無欲」「ひたむきさ」が「無心」につがればいいのだが、これがなかなかそうはいかない。
本番の数日前から手がふるえ出し、急性不眠症となり、意に反したダイエットが始まり、当日は夜明け前に頭痛とともに目覚め、身体にどこか痛いところはないか無理矢理見つけ出そうとするが健康体であることにがっかりし、ふるえる手でトースターからパンを取り出し、寝ているだんなをうらめしく横目で見ながら熱すぎるコーヒーでこげたパンを流し込もうとして火傷し、息子が「飯はまだか」とでも言おうものなら逆ギレし、三度も化粧をやり直し、結局いつもよりひどい顔で駅に駆けつけ、待ち合わせた仲間のひきつった顔を見てようやく我が身を振り返り、車中で取りあえず昼食の段取りを相談し、相談がまとまったころに忘れ物が気になり出し、会場を目前に人目をさけつつそっとバッグを改め、ひと安心したら改札で切符が見つからない、きょうは ICOCA を使っていたことを思い出してほっとし、混み合うエスカレーターの前では突然元気になって猪突猛進し、通りがかったブティックの前ではつい赤札に目が行き、前から来た茶髪の女子高生にぶつかってにらまれ、憤然として会場に到着すると他のグループのメンバーの真っ青な顔に迎えられ、自分はあの人よりはましだと言い聞かせ、なぜこんなに緊張しているのかわからなくなってしまったままホールに入り、その広さと立派さにちぢみあがり、時計を見て出番まであと3時間以上あることを知って耐えがたくなり、とりあえずWCを探して飛び込み、鏡を見て笑おうとするがひきつった笑いに顔をそむけ、のどがからからになっていることに気づいてペットボトルを取り出すがすでに中身はなく、自販機を探しにいこうかどうしようかと迷っているうちに説明会が始まり、のどの乾きでセンセイの言葉は耳に入らず、配られた進行表を見ても字を目で追っているだけ、となりのメンバーに「今なんて言ったの?」とたずねたら「さあ、あとでだれかに聞けばわかるでしょ」と言われ、呼ばれるままにリハーサルとなり、夢遊病者のように演奏し、「伴奏は聴こえにくくないですか」とたずねられても伴奏がどこから聴こえていたのかわからず、テーブルの上でぶつかりあってカチカチ鳴るオカリナ、うまくめくれずガサガサいう楽譜、ひねってもひねっても動かない譜面台のネジ、すべてが呪われているように思え、ここへ来たことを後悔するが時すでに遅し、それでいてお昼のサンドイッチを7切れもほうばり、冷たいお茶をがぶ飲みし、ゲップを押さえているうちに気分が悪くなり、うすぐらいホールの席に倒れ込んでしばし目を閉じれば、まぶたに浮かぶは子供の頃学んだ学校の講堂の舞台、セリフをまちがえて笑われた学芸会、締めつけられる胸を深呼吸でなだめ、もう一度楽譜に目を通すが目に入るのは注意書きばかり、「本番では注意書きは役に立たんぞ」と言ったセンセイの顔が勝ち誇ったように笑いだす、「まず楽しまなくっちゃ」と自分に言い聞かすが、もう一人の自分が「そんなことできっこないわ」と嘆き、にぎりしめた手のひらの汗をひざでふいていると開場のしらせ、まだロビーで練習しているグループにあせり、時計を見れば出番まであと30分余り、どうするのがよいか思案しているうちに客席で開演を迎え、スポットを浴びる司会者を見て生つばを飲み、最初のグループの演奏する姿を見て自分もあそこで演奏するとはますます信じがたくなり、もう一度生つばを飲んだときにうしろから仲間に肩をたたかれてむせ返り、出番にそなえて楽屋へ走れば楽屋の明るさに現実感を失い、舞台袖へとさまよい出ればその暗さにますます現実感が失せ、かけたイスの固さまでがうらめしく、センセイの「いらっしゃい」の笑顔が憎らしく、誰とも目を合わせる気になれず、うつむいているとにわかに靴がきつく思えてきた、目の前から聴こえてくる他のグループのうわずった音に緊張はピークとなり、もはや生つばを飲もうにも飲み込めず、ひくひくと鳴るのどの奥に何物かが巣食っているように思え、帰りたいもどりたい今すぐ安息な日々を取り戻したいと願い祈るうちに出番。
ガチョウのみなさん、まことにおつかれさまでした。そして、身をけずっての演奏、ありがとうございました。
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
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オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
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