#259 満月の夜にピアノが吠えた−３

#259　満月の夜にピアノが吠えた−３

　ある演奏現場で戸外で静かに出番を待っていると、通りかかった関係者の一人の方にねぎらいの声をかけられた。
「（ぼーっと待つのは）たいくつですねー」
　これはたしかに慰労の言葉だったのだが、出番直前に退屈していることなどワタシにはありえない。よほど退屈そうに見えたようなので、気をひきしめ直した。
　キース・ジャレット（以下 Ｋ.Ｊ. ）は、出番の直前まで仲間や身近な人と冗談を言い合っているそうだ。そうすることで、これから始まることに対する重圧から逃れているのだという。Ｋ.Ｊ. のことを何も知らずにその出番直前の様子を見た人は、よもやその直後にあのようなすさまじい演奏が始まるとは想像だにできないにちがいない。ワタシの場合はどうだろうな。たいして変わらんか。

　さてあの夜、Ｋ.Ｊ. は何度かふっと、唐突とも言えるような演奏の終わり方をした。が、それは一瞬間後に夢からさめた我が心で振り返れば、しごく当然のエンディングだったと思えてくる。そのエンディングはその場の空気そのものだったという意味で、自然であり必然であった。

　どなただっけかが「Ｋ.Ｊ. の音楽は発展的ではなく生成的だ」とおっしゃっていたが、まことに的を得た表現だと思う。生成的とは、たとえば青空にどこからともなくふうっと白い雲がわき起こるようなさまだ。ベートーベンに象徴される発展的音楽が人間の精神に起こりうるドラマを表現しているものだとすれば、生成的音楽は自然界の姿を写実的に表現しているものだと言えるかもしれない。であれば、生成的な音楽が、消え入るときに自然消滅的な姿をとることには、なんの不思議もない。

　その一方、いくつかの曲で見せられた、ダイナミックなリズムと展開を締めくくったあまりにも鮮やかなエンディングは、「ここでこう終わるしかないっ。ないと言ったらないっ」と思わされるほど見事だった。鍵盤の中央で無調のまま一体となって戦うがごとき激しい動きを見せていた左右の手が、左右に分かれて流れるように両端へと駆け下り駆け上ると、次の瞬間「バンッ」と終わった。その鮮やかさは、「企図された奇跡」とでも言うしかない。

　会場のテンションが下がれば、演奏者であるＫ.Ｊ. はそれに反応する。これ以上テンションが上がらないとなれば、終わる。これが何を意味するかについては、別便にゆずりたい。

　テンションが下がった状態とは、演奏者にとっては一種のたいへん追いつめられた状態だ。ワタシなどがこのような状態に落ち入ったときには、「なんとか盛り返さねばっ」「終わりらしく見せ場を作らねばっ」と、ねばねばとした雑念のとりこになってしまうものだ。が、それはまさに雑念であり、演奏とはうまくまとめて終わられなければならないものだという既成概念と、客席の冷めた反応を恐れて体裁を整えようとする見栄ににとらわれているにすぎない。

　つづく。　
08.05.24　

緑色の糸トンボ。希少種かも。

2008/05/24 (Sat) 音　楽 TRACKBACK() COMMENT(0)