揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
#510 廃 校
ウチの地元の小学校は、あと一年半で廃校になることが決定している。かつては数百名いた児童がたった27名になってしまったことが理由だ。つまり、児童が極端に少なくなると、学校を維持するための諸経費に多くの無駄が出るということだそうだ。はたして、これはもっともな理由だろうか。
ウチの地元の小学校は、あと一年半で廃校になることが決定している。かつては数百名いた児童がたった27名になってしまったことが理由だ。つまり、児童が極端に少なくなると、学校を維持するための諸経費に多くの無駄が出るということだそうだ。はたして、これはもっともな理由だろうか。
ワタシの出身小学校は、京都市のど真ん中にあり、卒業時の児童数は180名そこそこだった。児童数はそれからたちまち激減し、ほどなく近辺のいくつかの小学校と統廃合されてしまった。母校の廃校を聞いたとき、ワタシはふるさとを失ったような気がした。
ふるさととは、家族と共に暮らした家であり、その地の風土であり建物であり文化であり、何よりもそこでずっと暮らす人々だと思う。が、自分が暮らした家も母校もすでになくしたワタシには、大きな喪失感がある。やはり、家や学校はふるさとのもっとも大きな一部だという思いがする。
学校、ことに小学校が地域からなくなる影響は、想像以上に大きいのではないか。学校という地域の交流と団結の中心的存在がなくなれば、子どもを媒介とした地域の交流は希薄になり、団結力も落ちるだろう。また、膨大な数の卒業生の心のよりどころのひとつがなくなることは、過疎の地域の求心力と元気の灯火がまたひとつ消えてゆくことのような気がする。
きょうはそんな小学校のグランドで、地域の運動会が行なわれた。なりゆきで、綱引きで旗ふりを勤めたワタシ。「そんなの、恥ずかしいからヤダ」とたじろいでいたが、始まってみれば「ヨーイショッ、ヨーイショッ」と声を限りに叫んでいた。
無邪気な子どもたちを見ていると、そこにかつての自分の姿が映る。親に守られ、学校に守られ、地域に守られ、安全に楽しく育てられた日々。その中心となる場こそが、小学校だった。地域のすべての人からの声援をエネルギーに変えて力いっぱい走る子どもたちの姿を見ていると、小学校はもっとも身近な人々が暮らす地域の中にあるべきだと、改めて思った。
過疎地域では、児童が減ったと言っては学校を減らし、利用者が減ったと言っては公営バスの本数を減らし、住民が減ったと言っては病院のベッドや医者や、ときには病院そのものを減らす。それらが消えていくことで広域自治体全体の財政は楽になっても、該当地域で暮らす人々にとっては暮らしにくくなるばかりだ。
その一方で、人間が増えすぎた地域でも暮らしにくい状況が生まれている。大都市では病院や保育所や適正な価格で手に入る住居の不足が深刻だ。
人口の分布には、適正な割合があることが明らかになってきている。が、便利さを求めて都市に人間が集中しつづけ、人間が減った地域はどんどん不便になり、ますます人が出て行くという現状。そして都会もまたますます不便になってきている。
大都市に果てしなく大量の人間が押し寄せる状況は、未来永劫変わりそうにない。どんどん車両編成が長くなった電車で駅と駅とはつながってしまい、人々はただのアーケードと化した電車の中を歩いて目的の駅まで行く、一度上がった高速道路からは渋滞で一生降りられなくなる、満杯になった無数のマンションはある日とうとう一斉にドミノ倒しになる、地下鉄と地下街は地上の重みでつぶされる、そして気がつけば人間はすべて白髪でよぼよぼの年寄りばっかりだったという図が見える。みんなふるさとを無くした浦島太郎だ。
ふるさととは、家族と共に暮らした家であり、その地の風土であり建物であり文化であり、何よりもそこでずっと暮らす人々だと思う。が、自分が暮らした家も母校もすでになくしたワタシには、大きな喪失感がある。やはり、家や学校はふるさとのもっとも大きな一部だという思いがする。
学校、ことに小学校が地域からなくなる影響は、想像以上に大きいのではないか。学校という地域の交流と団結の中心的存在がなくなれば、子どもを媒介とした地域の交流は希薄になり、団結力も落ちるだろう。また、膨大な数の卒業生の心のよりどころのひとつがなくなることは、過疎の地域の求心力と元気の灯火がまたひとつ消えてゆくことのような気がする。
きょうはそんな小学校のグランドで、地域の運動会が行なわれた。なりゆきで、綱引きで旗ふりを勤めたワタシ。「そんなの、恥ずかしいからヤダ」とたじろいでいたが、始まってみれば「ヨーイショッ、ヨーイショッ」と声を限りに叫んでいた。
無邪気な子どもたちを見ていると、そこにかつての自分の姿が映る。親に守られ、学校に守られ、地域に守られ、安全に楽しく育てられた日々。その中心となる場こそが、小学校だった。地域のすべての人からの声援をエネルギーに変えて力いっぱい走る子どもたちの姿を見ていると、小学校はもっとも身近な人々が暮らす地域の中にあるべきだと、改めて思った。
過疎地域では、児童が減ったと言っては学校を減らし、利用者が減ったと言っては公営バスの本数を減らし、住民が減ったと言っては病院のベッドや医者や、ときには病院そのものを減らす。それらが消えていくことで広域自治体全体の財政は楽になっても、該当地域で暮らす人々にとっては暮らしにくくなるばかりだ。
その一方で、人間が増えすぎた地域でも暮らしにくい状況が生まれている。大都市では病院や保育所や適正な価格で手に入る住居の不足が深刻だ。
人口の分布には、適正な割合があることが明らかになってきている。が、便利さを求めて都市に人間が集中しつづけ、人間が減った地域はどんどん不便になり、ますます人が出て行くという現状。そして都会もまたますます不便になってきている。
大都市に果てしなく大量の人間が押し寄せる状況は、未来永劫変わりそうにない。どんどん車両編成が長くなった電車で駅と駅とはつながってしまい、人々はただのアーケードと化した電車の中を歩いて目的の駅まで行く、一度上がった高速道路からは渋滞で一生降りられなくなる、満杯になった無数のマンションはある日とうとう一斉にドミノ倒しになる、地下鉄と地下街は地上の重みでつぶされる、そして気がつけば人間はすべて白髪でよぼよぼの年寄りばっかりだったという図が見える。みんなふるさとを無くした浦島太郎だ。
Chategory
太 陽 暦
12 | 2025/01 | 02 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
New Entry
(08/20)
(04/18)
(05/17)
(09/04)
(08/31)
(04/24)
(04/19)
New Comments
※ 非公開を希望される方はその旨お書きください。
[09/10 水戸ふぢ]
[09/05 森下知子]
[07/17 Kitty]
[05/31 Kitty]
[04/17 Kitty]
[03/13 巴だ]
[12/08 栗美]
ブログ内検索
New Track Back
Archives
ようこそ