揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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#454 煩 悩(#453「他 力」のつづき)
テキトーに掘ったたくさんの穴の数とそこに植え付けるべく用意されていた数知れぬ苗の数がぴたりと一致し、驚きのうちに田植えが終わった。その直後、よく知ったご婦人が諸事片付けてやってきた。ワタシは興奮気味にまくしたてた。「姐さん、実はかくかくしかじか」「じゃあこの田んぼはきっとうまくいくわさ」「ってことなんでしょうかね」「お天道様はちゃんと見ておいでだよ」
テキトーに掘ったたくさんの穴の数とそこに植え付けるべく用意されていた数知れぬ苗の数がぴたりと一致し、驚きのうちに田植えが終わった。その直後、よく知ったご婦人が諸事片付けてやってきた。ワタシは興奮気味にまくしたてた。「姐さん、実はかくかくしかじか」「じゃあこの田んぼはきっとうまくいくわさ」「ってことなんでしょうかね」「お天道様はちゃんと見ておいでだよ」
まもなく夏至とはいえ、7時を過ぎれば足下は暗くなってくる。後の作業を急がねばねば。
「あっしは植えた苗の間に草を敷いていきやすから、姐さんは道具の始末と、それから植えた苗が何本あったのかを数えておくんなさい」
「合点承知だよ」
「百八本あったりしてね」
「ほほほ、そうだね〜」
人間の煩悩は百八個あるという。除夜の鐘はそれらをはらうために百八回撞かれる。百八の煩悩のひとつひとつが何であるのかは知らない。百八という数字はものの例えやもしれない。とにかく、人間は煩悩の百貨店であることはまちがいない。
ワタシが苗の数を「百八本あったりして」などと茶化したのは、田んぼに関わる様々な作業に勤しむとき、煩悩がはらわれて無我の境地へと至っていくような心地になるときがあるからだ。むろん、そんな簡単に煩悩削除済的仏さま的存在になれるはずもないのだが、気分、気分。
田んぼで田植えや草引きや穴掘りをしているとき、いつしか頭の中がとりとめもない想念に支配されているときがある。が、そのうち自分が想念にとらわれなくなっているのに気づく。作業に夢中になっている。このくり返し。
自然を相手にする作業に夢中になるときには、パソコンでの作業や楽器の練習に夢中になるときとは全く違う状況が生まれる。そこには、自然に溶け込んでいる自分がいる。「生きた静寂」が自分の中で息づいている。
が、想念にとらわれてしまうと、それが世間的にはまともな想念であろうと、よこしまなものであろうと、作業は苦痛になり、おろそかになる。もっともとらわれやすいのは、先を急ごうとする想念だ。そんなとき、作業は必ず失敗する。
では、人をして想念のとりこにしてしまうものが煩悩なのだろうか。
いずれにしても、想念にとらわれていないときにこそ、オタマジャクシは生きる歓びに満ちて見え、イカルの歌声は耳に心地よく、カワセミのブルーは目に鮮やかだ。そして、さまざまなアイデアや曲想は、想念から自由であるときにのみ生まれてくるように思う。
だから、煩悩が人をして想念のとりこにしてしまうものなのであれば、煩悩とは美と知を妨げるものであると言える。
煩悩を無くすことはできそうにない。が、人は知らず美にひたっていることもあれば、素晴らしいアイデアを得ることもある。だから、煩悩を無くすことはできなくとも、少しずつでも想念・煩悩から自由なひとときをふやしていくことができれば、まずはそれでOKなのではなかろうか。
そんなことを噛みしめながら苗の間に草を敷いていると、ご婦人がすっとんきょうな声を発した。
「え゛〜〜〜っ」
「どうなさいやしたか」
「・・・苗、ちょうど百八本あった」
「あっしは植えた苗の間に草を敷いていきやすから、姐さんは道具の始末と、それから植えた苗が何本あったのかを数えておくんなさい」
「合点承知だよ」
「百八本あったりしてね」
「ほほほ、そうだね〜」
人間の煩悩は百八個あるという。除夜の鐘はそれらをはらうために百八回撞かれる。百八の煩悩のひとつひとつが何であるのかは知らない。百八という数字はものの例えやもしれない。とにかく、人間は煩悩の百貨店であることはまちがいない。
ワタシが苗の数を「百八本あったりして」などと茶化したのは、田んぼに関わる様々な作業に勤しむとき、煩悩がはらわれて無我の境地へと至っていくような心地になるときがあるからだ。むろん、そんな簡単に煩悩削除済的仏さま的存在になれるはずもないのだが、気分、気分。
田んぼで田植えや草引きや穴掘りをしているとき、いつしか頭の中がとりとめもない想念に支配されているときがある。が、そのうち自分が想念にとらわれなくなっているのに気づく。作業に夢中になっている。このくり返し。
自然を相手にする作業に夢中になるときには、パソコンでの作業や楽器の練習に夢中になるときとは全く違う状況が生まれる。そこには、自然に溶け込んでいる自分がいる。「生きた静寂」が自分の中で息づいている。
が、想念にとらわれてしまうと、それが世間的にはまともな想念であろうと、よこしまなものであろうと、作業は苦痛になり、おろそかになる。もっともとらわれやすいのは、先を急ごうとする想念だ。そんなとき、作業は必ず失敗する。
では、人をして想念のとりこにしてしまうものが煩悩なのだろうか。
いずれにしても、想念にとらわれていないときにこそ、オタマジャクシは生きる歓びに満ちて見え、イカルの歌声は耳に心地よく、カワセミのブルーは目に鮮やかだ。そして、さまざまなアイデアや曲想は、想念から自由であるときにのみ生まれてくるように思う。
だから、煩悩が人をして想念のとりこにしてしまうものなのであれば、煩悩とは美と知を妨げるものであると言える。
煩悩を無くすことはできそうにない。が、人は知らず美にひたっていることもあれば、素晴らしいアイデアを得ることもある。だから、煩悩を無くすことはできなくとも、少しずつでも想念・煩悩から自由なひとときをふやしていくことができれば、まずはそれでOKなのではなかろうか。
そんなことを噛みしめながら苗の間に草を敷いていると、ご婦人がすっとんきょうな声を発した。
「え゛〜〜〜っ」
「どうなさいやしたか」
「・・・苗、ちょうど百八本あった」

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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
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オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
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