揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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大地震・大津波・原発事故から半月が過ぎた。日ごとにダメージを深めていく段階はまだまだ続きそうだ。が、ここで、自分なりにこの半月間を総括してみることにした。被災地から遠い地域で暮らしてはいるが、ボランティア活動も動き始めた今を一般人が受動から能動に転じる時期と捉え、震災に対する自分のスタンスを少しは確かなものにし、今後の展望を持ちたいとの思いがあるからだ。
震災発生と同時に、全国で多くの支援システムが発動した。それらは国や自治体で定められた支援態勢だけではない。民間の、有志による、目には見えない支援のシステムも立ち上がった。それらを発動させたエネルギーは、この国が培ってきた「助け合い」の精神だと言える。
常々感じていることなのだが、助け合いの精神の背景には、広義の合理的精神があるのだと思う。この国の国民は、各々がばらばらで行動するよりも、助け合った方が安心して暮らせること、事が起こっても効率的に対処できることを、経験から学び、その合理性を理解しているのではないだらふか。
で、この合理的精神は、歴史上おそらく同情や共感といった感情より上位に置かれることで、暮らしを導いてきた、そしていつの頃からか、その合理的精神と感情が一体化して、助け合いの精神というモラルとなって結晶し根付いたのではないかと想像している。
が、助け合い精神の一斉発動に際しては問題もある。それは、災害を実際に体験してしまった被災者と未体験の第三者との間の心理的ギャップだ。心理的ギャップは、しばしば第三者の不適切な言動を生み、被災者を困惑させる。
阪神や中越の地震などの大災害を体験した人々の手による支援が、このたびは特に期待されている。それは、まさにその人たちと今回の被災者との間に心理的なギャップが存在せず、それゆえに適切な支援が期待できるからだ。
そして支援の場では、経験を生かす力のみならず、経験からさらに学ぶ力がこそ問われる。
この国では、近い将来、国土がいくつかの大災害に見舞われることが想定されている。が、それがどのような規模で起こりどのような被害をもたらすのか、必ず「想定外の事態が起こることを想定すべき」だ。それが、このたびの大震災が与えた最大の教訓ではないだろうか。
それゆえに、今後の大災害の被害の予防と復興の中心的パワーとなるべき知恵と行動は、科学的データに基づくものではなく、過去の経験から得たものでなければならない。その経験とは、ひとえに過去の被災者とその支援に携わった人々のものなのだ。そのかけがえのない財産と専門家の知見が手を携えて行動し、行政とメディアがそれらを確実に迅速にバックアップするというあり方が、防災と復興のひとつの理想型ではないかと思う。
したがって、このたび被災された膨大な数の人々とその支援に携わる人々は、今後のこの国の防災の支えとなる人々なのだと言える。したがって、このたび直接の被災をしなかった人々は、家族と子孫のために少しでも安全で安心な未来を築くためには、現在の被災者を精一杯支援し立ち直りを助けることで、経験を共有し蓄積する必要があるということになる。
常々感じていることなのだが、助け合いの精神の背景には、広義の合理的精神があるのだと思う。この国の国民は、各々がばらばらで行動するよりも、助け合った方が安心して暮らせること、事が起こっても効率的に対処できることを、経験から学び、その合理性を理解しているのではないだらふか。
で、この合理的精神は、歴史上おそらく同情や共感といった感情より上位に置かれることで、暮らしを導いてきた、そしていつの頃からか、その合理的精神と感情が一体化して、助け合いの精神というモラルとなって結晶し根付いたのではないかと想像している。
が、助け合い精神の一斉発動に際しては問題もある。それは、災害を実際に体験してしまった被災者と未体験の第三者との間の心理的ギャップだ。心理的ギャップは、しばしば第三者の不適切な言動を生み、被災者を困惑させる。
阪神や中越の地震などの大災害を体験した人々の手による支援が、このたびは特に期待されている。それは、まさにその人たちと今回の被災者との間に心理的なギャップが存在せず、それゆえに適切な支援が期待できるからだ。
そして支援の場では、経験を生かす力のみならず、経験からさらに学ぶ力がこそ問われる。
この国では、近い将来、国土がいくつかの大災害に見舞われることが想定されている。が、それがどのような規模で起こりどのような被害をもたらすのか、必ず「想定外の事態が起こることを想定すべき」だ。それが、このたびの大震災が与えた最大の教訓ではないだろうか。
それゆえに、今後の大災害の被害の予防と復興の中心的パワーとなるべき知恵と行動は、科学的データに基づくものではなく、過去の経験から得たものでなければならない。その経験とは、ひとえに過去の被災者とその支援に携わった人々のものなのだ。そのかけがえのない財産と専門家の知見が手を携えて行動し、行政とメディアがそれらを確実に迅速にバックアップするというあり方が、防災と復興のひとつの理想型ではないかと思う。
したがって、このたび被災された膨大な数の人々とその支援に携わる人々は、今後のこの国の防災の支えとなる人々なのだと言える。したがって、このたび直接の被災をしなかった人々は、家族と子孫のために少しでも安全で安心な未来を築くためには、現在の被災者を精一杯支援し立ち直りを助けることで、経験を共有し蓄積する必要があるということになる。
つづく。
11.03.25 記
11.03.25 記
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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