揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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「楽しくなければ発表会ではない」に賛成。
加えて、いろんな思いを胸に秘めて舞台に臨む人もいる。
決意であったり、不安であったり、目標であったり、それらすべてであったり。
また言葉にできない複雑な思いを携えて登場する場合だってあるだろう。
いずれにしてもそれらは、楽しみたいという気持ちが姿を変えただけなのだと思う。
開演のあいさつをするために登壇するとき、そんな様々な思いが満ち満ちたたくさんのきらきらしたまなざしを一身に受けることになる センセイ。
それは、山の音楽会の中で センセイ こと司会者ことわたしだけが知るハイライトシーンなのだ。
加えて、いろんな思いを胸に秘めて舞台に臨む人もいる。
決意であったり、不安であったり、目標であったり、それらすべてであったり。
また言葉にできない複雑な思いを携えて登場する場合だってあるだろう。
いずれにしてもそれらは、楽しみたいという気持ちが姿を変えただけなのだと思う。
開演のあいさつをするために登壇するとき、そんな様々な思いが満ち満ちたたくさんのきらきらしたまなざしを一身に受けることになる センセイ。
それは、山の音楽会の中で センセイ こと司会者ことわたしだけが知るハイライトシーンなのだ。
舞台に上がってくる人の表情をつぶさに見ることができるのも、司会者の特権かもしれない。
みなさんとはもうつきあいが長いのに、いまだに「この人のこんな表情初めて見た」というときもある。
そんなとき、その人はどんな思いを胸に秘めているのか、とても気になる。
で、いざ演奏が始まればその思いがわかるときもある。
さっきまでのつかみ所がない表情からは想像できないほど生き生きとした音色。
そうか、あの人はさっきまで、この瞬間のために省エネしていたんだ、と悟る。
そして期するものの大きさがこちらの胸に迫ってくる。
そういう人がいるグループは、不思議と何人かの人が同じような「症状」になっている。
終了後に「きょうはちょっと元気がないなと思ってたんですが…」などとつい MC で言ってしまうと「そんなことはありませんでした!」とうれしい反撃をされたりする。
(省エネと言えば、発表会当日午前中の センセイ ことわたしもサンプルになるだろう。いつになく無愛想、不要なことは一切言わない、最小限の指示しか出さない、そして動きがどことなく緩慢で、きっとやや近寄りがたい空気を醸し出している。心の中では ミナサン ゴメンナサイ、ゴメンナサイ と言いつつ、本番を成功させるために省エネに徹するのであった。)
リハーサルで緊張している人ほど、本番では落ち着いているという法則(?)がある。
リハーサルで手がふるえるほど緊張してしまうのはなぜなのか。
リハ中のその人の胸にはどんな思いが去来しているのか。
わからん。
まあ、たぶん、大したことは考えてないんだろう、などと。
が、そんな人は本番では落ち着いていい演奏をすることが多い。
これがその人なりの本番に臨む有り様なのだらふ。
結果オーライだ。
そういえば、舞台へ上がって来る時の顔だけど、大半の人が笑顔だな。
が、終わった時のはじけるような笑顔とはちがって、たいていどこか弱々しい笑いだ。
照れ笑い?愛想笑い?やる前から苦笑い?よもや陰謀渦巻く含み笑い?笑う門には福来たる?
とにかく、むっとした顔の人は見たことがない。ひとりくらいいてもよさそう
ところが、楽譜を譜面台に置き、楽器を背後のテープルに置くときになると、一転して師走と年度末がいっぺんにやって来たような悲壮感漂うお顔となられる。
きっと頭の中ではその後の段取りが目まぐるしくプレイバックされているのだらふ。
ゆうべ秘かに噛みしめた高尚なる決意と覚悟はどこへ行ってしまったのか。
それはきっと、次回の山音の前夜まで思い出されることはないにちがいない。
ところで、今回の山音は、初めてゲスト奏者を迎えた。
ロスアンジェルス在住のサックス奏者の井上知香さん。
彼女が、マイ生徒さんである母上を通じて友情出演したいと伝えてきてくれたとき、こんな機会は滅多にあるまいと思い快諾した。
アメリカから帰日する翌日の演奏となってしまったが、それでもかけつけてくれた知香さんは、これまでずっと母上のオカリナライフを気にかけ、励ましてきた。
この日もゲスト然として本番までどこかに隠れてしまうのではなく、開演前からみんなが練習しているホールを屈託なく歩き回って、自分のことよりも終始母上を気遣っていた。
彼女にはきっと、自分が発表会の場に行くことで少しでも母上の力になりたいという思いがあったにちがいない。
そう思うのは、以前初めて母娘でオカリナ合奏を聴かせてくれたとき、母上はそれまでわたしには見せたことがないリラックスした表情でやわらかな音色を奏でたからだ。
わたし「安心し切ってるって音やね~」
果して母上のこの日の演奏や如何に。
終演後、「まだまだ固い!」というような会話があったとかなかったとか。
知香さん、ソロではアルトサックスで「タイスの瞑想曲」を演奏した。
当日まで知らされてなかったが、わたしが大好きな曲だったので三倍感動した。
セッションの曲としてわたしが選んだのは「鳥の歌」。
メールでこの曲の楽譜を送って打診したところ、なんとこの一年ほど、この曲をよく演奏していたとのことではないか。
カタルーニャ(カタロニア)民謡のこの曲を世界に広めたカザルスは、自身がカタルーニャ人だ。
国連平和賞受賞の際の演奏で、カザルスはこう述べた。
「この曲はカタルーニャ人の魂の歌です。カタルーニャの鳥はピース、ピースと鳴くのです」
このエピソードを共に知っていたわれわれは、カタルーニャの鳥の鳴き声を胸に演奏した。
フィナーレを飾るグランドハーモニーには、この春からレッスンを始めたいちばん新しい生徒さんも加わってくれた。
とても熱心で上達が早い人だが、初めて聴くマイ生徒さんたちの演奏にどんなことを感じただろう。
グランドハーモニー「夏は来ぬ」「茶摘み」に参加してくれたということは、そのときはもうオカリナを吹きたくてしょうがない気持ちだったにちがいない。
みなさんと共に舞台に立つ日もそう遠くないという気がした。
この方の加入も一粒万倍となることを祈る。
来る人もあれば、去る人もある。
この日を最後に解散することを決めていたデュオグループがあった。
もう十年近いお付き合いで、メンバーのお一人にはしばらく個人レッスンも受けていただいたことがあった。
練習でもっとも苦心することのひとつに、無駄な力を抜くことがある。
頭ではわかっていても、力は簡単には抜けない。
逆に、考えれば考えるほど力が入り、身体が固くなる。
演奏が人一倍固かったこの方、個人レッスンの時間の大半は、無駄な力を抜き柔らかく演奏することに費やされた。
少しも楽しくないレッスンだったに違いない。
が、その結果、数年後には見違えるほど柔らかくなられた。
無駄な力を抜くには、少なくともその間は、自分の思いや主義主張を捨てることを強いられる。
趣味のオカリナでそこまでできる人は少ないだろうと、経験的に思う。
それでも、いい演奏、柔らかい演奏をするためには、そうするしかない。
そこに気づき、わたしのアドバイスを信頼して実践してくださったこの方には感謝してもしきれない。
真の意味での上達とは何かを、身をもって示していただいた思いだ。
このデュオのお二人がどんな思いで最後の舞台に上がられたかは察して余りある。
わたしはいつも通りに迎えるしかできなかった。
そしておふたりの表情にも、いつもと違った様子は少しもなかった。
渾身の演奏は、尻上がりに磨きがかかっていき、ついには最高のハーモニーとなった。
演奏が終わった時、もう一人の方がわたしと何度も握手を交わしながら自ら発した言葉は「楽しかったです」だった。
その一言がきょうの演奏についてだけではなく、これまでのオカリナライフに、夢見るガチョウと共にした時間すべてに寄せる一言であることは、すぐにわかった。
わたしはこれまで、これほど多くの思いが詰まった「楽しかったです」を聞いたことがない。
お二人が舞台を降りられてからも、この一言が何度も蘇ってきて胸を一杯にし続けた。
さて、楽しさにもいろいろある。
人の数だけあると言ってもいい。
それらが発表会の場に結集するとき、なぜカオスと化してしまわないのか?
何が五十人もの人々の、様々な思いを一つにまとめているのか?
そこにこそオカリナの、音楽の力を感じる。
曲は違っても、好みやスタイルは違っても、演奏力が違っても、オカリナが大好きなみんなが共に一日を過ごす。
その中心にはいつもオカリナがある。
オカリナがみんなをひとつにまとめている。
そしてそのオカリナの中は空っぽだ。
夢見るガチョウの中心は、なんにもない空っぽの小さな小さな空間だということだ。
が、空っぽの器だからこそ、空気の流れによって管が共鳴を起こし、良き音楽を生み出すことができる。
これはとても象徴的だ。
こんな風に、集う人々が響き合うには、中心が何も無い、誰もいない空っぽのスペースであることが必要なのではないだろうかとわたしは思う。
オカリナ倶楽部夢見るガチョウもまた、いつまでも、集う人々の思いが共鳴を起こし、世界中に素敵な音色を響かせることができる空っぽの器でありたい。
満月の夜が明け、翌朝早く、今年初めてのホトトギスの声が我が里山に響いた。
山の音楽会が夏を連れてきた。
「黄昏のホトトギス」 小品集「鳥の気持ちがわからない」より オカリナSF管にて
ダウンロード
この日を最後に解散することを決めていたデュオグループがあった。
もう十年近いお付き合いで、メンバーのお一人にはしばらく個人レッスンも受けていただいたことがあった。
練習でもっとも苦心することのひとつに、無駄な力を抜くことがある。
頭ではわかっていても、力は簡単には抜けない。
逆に、考えれば考えるほど力が入り、身体が固くなる。
演奏が人一倍固かったこの方、個人レッスンの時間の大半は、無駄な力を抜き柔らかく演奏することに費やされた。
少しも楽しくないレッスンだったに違いない。
が、その結果、数年後には見違えるほど柔らかくなられた。
無駄な力を抜くには、少なくともその間は、自分の思いや主義主張を捨てることを強いられる。
趣味のオカリナでそこまでできる人は少ないだろうと、経験的に思う。
それでも、いい演奏、柔らかい演奏をするためには、そうするしかない。
そこに気づき、わたしのアドバイスを信頼して実践してくださったこの方には感謝してもしきれない。
真の意味での上達とは何かを、身をもって示していただいた思いだ。
このデュオのお二人がどんな思いで最後の舞台に上がられたかは察して余りある。
わたしはいつも通りに迎えるしかできなかった。
そしておふたりの表情にも、いつもと違った様子は少しもなかった。
渾身の演奏は、尻上がりに磨きがかかっていき、ついには最高のハーモニーとなった。
演奏が終わった時、もう一人の方がわたしと何度も握手を交わしながら自ら発した言葉は「楽しかったです」だった。
その一言がきょうの演奏についてだけではなく、これまでのオカリナライフに、夢見るガチョウと共にした時間すべてに寄せる一言であることは、すぐにわかった。
わたしはこれまで、これほど多くの思いが詰まった「楽しかったです」を聞いたことがない。
お二人が舞台を降りられてからも、この一言が何度も蘇ってきて胸を一杯にし続けた。
さて、楽しさにもいろいろある。
人の数だけあると言ってもいい。
それらが発表会の場に結集するとき、なぜカオスと化してしまわないのか?
何が五十人もの人々の、様々な思いを一つにまとめているのか?
そこにこそオカリナの、音楽の力を感じる。
曲は違っても、好みやスタイルは違っても、演奏力が違っても、オカリナが大好きなみんなが共に一日を過ごす。
その中心にはいつもオカリナがある。
オカリナがみんなをひとつにまとめている。
そしてそのオカリナの中は空っぽだ。
夢見るガチョウの中心は、なんにもない空っぽの小さな小さな空間だということだ。
が、空っぽの器だからこそ、空気の流れによって管が共鳴を起こし、良き音楽を生み出すことができる。
これはとても象徴的だ。
こんな風に、集う人々が響き合うには、中心が何も無い、誰もいない空っぽのスペースであることが必要なのではないだろうかとわたしは思う。
オカリナ倶楽部夢見るガチョウもまた、いつまでも、集う人々の思いが共鳴を起こし、世界中に素敵な音色を響かせることができる空っぽの器でありたい。
満月の夜が明け、翌朝早く、今年初めてのホトトギスの声が我が里山に響いた。
山の音楽会が夏を連れてきた。
「黄昏のホトトギス」 小品集「鳥の気持ちがわからない」より オカリナSF管にて
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おしまい。
16.05.27~28 記
16.05.27~28 記
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
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