揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
#623 お稽古ノススメ
マイオカリナ的生徒さんたちの発表会が終わった後は、よく生徒さんからコメントが寄せられる。よかった、楽しかった、感謝します的なものから、落ち込んだ的なもの、強がりから懺悔密告までいろいろだ。すべてにまともに取り合っていては身が持たないと思いつつ、取り合ってしまう。で、総括をガチョウ通信にして配布する。そこではほめたり落としたり感謝したり右往左往だ。
マイオカリナ的生徒さんたちの発表会が終わった後は、よく生徒さんからコメントが寄せられる。よかった、楽しかった、感謝します的なものから、落ち込んだ的なもの、強がりから懺悔密告までいろいろだ。すべてにまともに取り合っていては身が持たないと思いつつ、取り合ってしまう。で、総括をガチョウ通信にして配布する。そこではほめたり落としたり感謝したり右往左往だ。
発表会というものは普段の練習の成果を披露する場であるとされている。それはだいたいその通りだと思う。が、コンクールじゃないんだから、打ち上げ花火のごとくにぱーっと盛り上がって「爆発だーっ」てな感じにしたいと、センセイたるワタシは常々思っている。が、マジメな生徒さんはなかなかそうはいかない。
「間違ったら他のメンバーに申し訳ないわ」
「間違ったらセンセイに申し訳ないです」
「アガッテしまったら、なんのための練習だったのかわからないわ」
こうした切実な思いを波々とたたえて、発表会は進行していく。で、みなさんのいちばんの関心事は、いかに楽しむかなのだが、終わってみれば、いつも「どうすればアガラナイか」になってしまうようだ。十年前からずっとだ。百年前も、千年前もそうだった。ああああっ。
今号のガチョウ通信には、プレッシャーから解放されたくば『目標』を捨てるべしという、およそ世間では認知されていないワタシの見解をつづった。おそらく多くの生徒さんが伊予柑を持たれたことだらふ。ちがった、違和感を持たれたことだらふ。
『目標』という言葉は、一種の崇高さを持っている。人に進むべき道を示し、力と充実感を与えるのが『目標』だとされている。『目標』達成とは、聖域への参入を意味するかのごときだ。それを捨てろというワタシは異端の徒だらふか。が、ワタシにはどうしても『目標』がプレッシャーを生んでいると思えるのだ。
『目標』という言葉には、達成されねばならないという言外の含みがある。「ねばならない」と言うとき、それは当然心理的に負担になる。嵩じればプレッシャーとなって人を苦しめる。で、プレッシャーに打ち勝って目標を達成することこそが、崇高な生き方であると、多くの人が信じている。それは時として、ほとんど宗教的熱狂に見える。
その一方で人は「楽しくやりたい」と言う。が、『目標』達成のため努力を払うことと「楽しくやる」とは、どう見ても矛盾している。なぜなら、『目標』達成とは今この時の自分とは違う自分になることであり、「楽しくやる」とはあるがままの自分でいて初めて出来ることだからだ。
目標を達成し、ワンランク上の自分になったと思えたとき、満足感が生まれる。が、あるがままの自分は相変わらずそこにいる。で、次から次へと、果てしなく『目標』を作り出しては、さらに上のランクの自分になろうとする。が、あるがままの自分はあいかわらずあるがままでそれはよかった。
楽しくやりたけりゃ、目標を捨てればいい、簡単なことじゃないか、と言ってしまっては身もフタもないだらふか。
「じゃあ、わたしは何を楽しみに練習をすればいいの」
そうか、練習を楽しめないから本番が『目標』になっちゃうのか。
で、『目標』があるから練習に耐えられる・・・こういう図式なんだな、きっと。
そうか、「練習」って言うから、何かきびしい感じがするんだ。これからは「お稽古」と呼ぼう。
・・・たいして変わらんか。でも、お稽古って言葉の響き、好きだなー。
「師匠っ、稽古をお願いしますっ」
だなんて。・・・なんだ、師匠って呼ばれたいだけか。
「間違ったら他のメンバーに申し訳ないわ」
「間違ったらセンセイに申し訳ないです」
「アガッテしまったら、なんのための練習だったのかわからないわ」
こうした切実な思いを波々とたたえて、発表会は進行していく。で、みなさんのいちばんの関心事は、いかに楽しむかなのだが、終わってみれば、いつも「どうすればアガラナイか」になってしまうようだ。十年前からずっとだ。百年前も、千年前もそうだった。ああああっ。
今号のガチョウ通信には、プレッシャーから解放されたくば『目標』を捨てるべしという、およそ世間では認知されていないワタシの見解をつづった。おそらく多くの生徒さんが伊予柑を持たれたことだらふ。ちがった、違和感を持たれたことだらふ。
『目標』という言葉は、一種の崇高さを持っている。人に進むべき道を示し、力と充実感を与えるのが『目標』だとされている。『目標』達成とは、聖域への参入を意味するかのごときだ。それを捨てろというワタシは異端の徒だらふか。が、ワタシにはどうしても『目標』がプレッシャーを生んでいると思えるのだ。
『目標』という言葉には、達成されねばならないという言外の含みがある。「ねばならない」と言うとき、それは当然心理的に負担になる。嵩じればプレッシャーとなって人を苦しめる。で、プレッシャーに打ち勝って目標を達成することこそが、崇高な生き方であると、多くの人が信じている。それは時として、ほとんど宗教的熱狂に見える。
その一方で人は「楽しくやりたい」と言う。が、『目標』達成のため努力を払うことと「楽しくやる」とは、どう見ても矛盾している。なぜなら、『目標』達成とは今この時の自分とは違う自分になることであり、「楽しくやる」とはあるがままの自分でいて初めて出来ることだからだ。
目標を達成し、ワンランク上の自分になったと思えたとき、満足感が生まれる。が、あるがままの自分は相変わらずそこにいる。で、次から次へと、果てしなく『目標』を作り出しては、さらに上のランクの自分になろうとする。が、あるがままの自分はあいかわらずあるがままでそれはよかった。
楽しくやりたけりゃ、目標を捨てればいい、簡単なことじゃないか、と言ってしまっては身もフタもないだらふか。
「じゃあ、わたしは何を楽しみに練習をすればいいの」
そうか、練習を楽しめないから本番が『目標』になっちゃうのか。
で、『目標』があるから練習に耐えられる・・・こういう図式なんだな、きっと。
そうか、「練習」って言うから、何かきびしい感じがするんだ。これからは「お稽古」と呼ぼう。
・・・たいして変わらんか。でも、お稽古って言葉の響き、好きだなー。
「師匠っ、稽古をお願いしますっ」
だなんて。・・・なんだ、師匠って呼ばれたいだけか。

Chategory
太 陽 暦
02 | 2025/03 | 04 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 | 31 |
管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
New Entry
(08/20)
(04/18)
(05/17)
(09/04)
(08/31)
(04/24)
(04/19)
New Comments
※ 非公開を希望される方はその旨お書きください。
[09/10 水戸ふぢ]
[09/05 森下知子]
[07/17 Kitty]
[05/31 Kitty]
[04/17 Kitty]
[03/13 巴だ]
[12/08 栗美]
ブログ内検索
New Track Back
Archives
ようこそ