揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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#621 アフター発表会
先日のオカリナのマイ生徒さんたちの発表会が終わった夜、なんだか吹き足りない、遊び足りない気分で帰路に着いた。いつものことだ。早朝から働き詰めだったのに、自分の元気に感心しつつ「きょうも元気だ、タバスコがうまいっ」と叫んだりした。が、二日経ったきょう、ぼちぼち疲れが出てきた。やはり疲れが時間差で出てくる歳になったか。
先日のオカリナのマイ生徒さんたちの発表会が終わった夜、なんだか吹き足りない、遊び足りない気分で帰路に着いた。いつものことだ。早朝から働き詰めだったのに、自分の元気に感心しつつ「きょうも元気だ、タバスコがうまいっ」と叫んだりした。が、二日経ったきょう、ぼちぼち疲れが出てきた。やはり疲れが時間差で出てくる歳になったか。
このたびの発表会、三日前まで入院していた人や、病院通いを続けている人など、体調不良の人の参加が多かった。生徒さんたちの平均年齢は、当然のことながら年々上がってきている。であるのに、この気合いと元気はなんなのだ。どこから来るのだらふ。どこへ行こうとしているのだらふ。
それにしても、みなさん、あんなにキンチョウするのに、あんなに眠れない夜を過ごすのに、どうして発表会なんかを楽しみにするんだらふ。やっぱり、舞台の照明と拍手は麻薬なんだらふか。
誰しも、子どもの頃から舞台を踏まされる。なんのためなんだろう。よくよく考えてみると、さっぱりわからない。そもそも、子どもが人前で何かをすることに抵抗を感じるようになるのはなぜなんだろう。自我の目覚めだろうか。では、そんな子どもたちに舞台を踏ませるのは、自我を落とさせるためなんだろうか。それとも自我と戦わせるためだろうか。あるいは、他者と競わせるためだろうか。先生方は明確な目的を持って子どもたちに舞台を踏ませてるんだろうか。
いずれにしても、われわれの舞台アレルギーそしてその裏返しである舞台中毒は、子どもの頃の教育に因るところがへんたい大きいと、ワタシはにらんでいる。
先生方は、口を開けば「子どもには目標を与えなければならない。目標を達成させねばならない」とおっしゃる。目標とは、人生に欠かせないものなんだろうか。ただ好きだからそれをするだけではいけないのだろうか。なんでもかんでも人並みに続け、できるようにならなければならないんだろうか。飽きても疲れてもやめてはいけないのはなぜなんだろう。
目標というものは、ときに人を実りなき道へと導くように思うのは、ワタシだけだらふか。
生徒さんたちが「楽しくやりたい」とくり返し訴えるのは、目標漬けだったこれまでの半生の反動に映る。
ワタシは誰にも一度も目標を持てと言ったことはない。発表会を目標にすべしと言ったことはない。ワタシは発表会を、練習の一形態として考えているだけだ。ただ、ワタシが設定する発表会を目標にする人がいれば、それはそれで結構だと思う。と言うか、たぶん全生徒さんがそうしている。
が、目標を持つことで苦しんでいる人を、ワタシはなんとか救いたいと思いつづけている。そんな人は、たいてい何か目標がなければ力が抜けてしまうタイプの人だ。今この瞬間に関わることの素晴らしさをこそ、なんとか伝えたいんだけどな。
発表会を終えた今、参加者だったみなさんはどんな時間を過ごしているんだろう。ワタシと同じく充実感に浸りながらも時間差疲労に襲われているんだらふか。こんな風に舞台についてテツガクしてるんだらふか。自信を取り戻したんだらふか。自信をなくしたんだらふか。意気揚々としてるんだらふか。意気消沈してるんだらふか。息も絶え絶えなんだらふか。息つく間もなく早速次を目指してるんだらふか。行き過ぎた個人主義なんだらふか。行き当たりばったりなんだらふか。行き倒れてるんだらふか。
疲れた頭ではわからんな。
明日は、苗代で芽を出した稲たちと話して、元気をもらってこよう。
それにしても、みなさん、あんなにキンチョウするのに、あんなに眠れない夜を過ごすのに、どうして発表会なんかを楽しみにするんだらふ。やっぱり、舞台の照明と拍手は麻薬なんだらふか。
誰しも、子どもの頃から舞台を踏まされる。なんのためなんだろう。よくよく考えてみると、さっぱりわからない。そもそも、子どもが人前で何かをすることに抵抗を感じるようになるのはなぜなんだろう。自我の目覚めだろうか。では、そんな子どもたちに舞台を踏ませるのは、自我を落とさせるためなんだろうか。それとも自我と戦わせるためだろうか。あるいは、他者と競わせるためだろうか。先生方は明確な目的を持って子どもたちに舞台を踏ませてるんだろうか。
いずれにしても、われわれの舞台アレルギーそしてその裏返しである舞台中毒は、子どもの頃の教育に因るところがへんたい大きいと、ワタシはにらんでいる。
先生方は、口を開けば「子どもには目標を与えなければならない。目標を達成させねばならない」とおっしゃる。目標とは、人生に欠かせないものなんだろうか。ただ好きだからそれをするだけではいけないのだろうか。なんでもかんでも人並みに続け、できるようにならなければならないんだろうか。飽きても疲れてもやめてはいけないのはなぜなんだろう。
目標というものは、ときに人を実りなき道へと導くように思うのは、ワタシだけだらふか。
生徒さんたちが「楽しくやりたい」とくり返し訴えるのは、目標漬けだったこれまでの半生の反動に映る。
ワタシは誰にも一度も目標を持てと言ったことはない。発表会を目標にすべしと言ったことはない。ワタシは発表会を、練習の一形態として考えているだけだ。ただ、ワタシが設定する発表会を目標にする人がいれば、それはそれで結構だと思う。と言うか、たぶん全生徒さんがそうしている。
が、目標を持つことで苦しんでいる人を、ワタシはなんとか救いたいと思いつづけている。そんな人は、たいてい何か目標がなければ力が抜けてしまうタイプの人だ。今この瞬間に関わることの素晴らしさをこそ、なんとか伝えたいんだけどな。
発表会を終えた今、参加者だったみなさんはどんな時間を過ごしているんだろう。ワタシと同じく充実感に浸りながらも時間差疲労に襲われているんだらふか。こんな風に舞台についてテツガクしてるんだらふか。自信を取り戻したんだらふか。自信をなくしたんだらふか。意気揚々としてるんだらふか。意気消沈してるんだらふか。息も絶え絶えなんだらふか。息つく間もなく早速次を目指してるんだらふか。行き過ぎた個人主義なんだらふか。行き当たりばったりなんだらふか。行き倒れてるんだらふか。
疲れた頭ではわからんな。
明日は、苗代で芽を出した稲たちと話して、元気をもらってこよう。
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
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