揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
#322 ら族の季節
ここ数日、突然寒くなった。はだしで歩き、パンツ一丁でうろうろできる日々は終わった(家の中での話ですよ)。夏は好きだ。裸族の季節だ。野生が目覚め、原始に還る。そんな季節の終わりは淋しい。年中裸族で暮らせたらどんなに気持ちがいいことか。
ここ数日、突然寒くなった。はだしで歩き、パンツ一丁でうろうろできる日々は終わった(家の中での話ですよ)。夏は好きだ。裸族の季節だ。野生が目覚め、原始に還る。そんな季節の終わりは淋しい。年中裸族で暮らせたらどんなに気持ちがいいことか。
ところで、裸族の季節が終わったことと一見なんの脈絡もない話題だが、近ごろ日本語の危機が声高に叫ばれている。いや、これは何十年も前からいつも叫ばれている。えらい学者先生やインテリの人々は、常に若い世代の言葉の乱れを嘆いておられる。
それはそうと、きのう故岡本太郎が言ってた。
「インテリというのは、ヨーロッパでは、知識だけではなくて芸術的センスも持っている人のことを言うが、日本では逆で、センスがまったくなくて、『ただ発言する人』のことになっている」
で、そのインテリさんや学者センセイのご心配をよそに、日本語はどんどん変化していってる。「変化」であるのか「乱れ」であるのか。
ここ数年取りざたされているのは、「見ることができる」という意味の言葉だ。
これは「見られる」と言うべきだが、若い人は「見れる」と言う、けしからん、というわけだ。
同様に、「食べられる」は「食べれる」と言われている。
が、「られる」を「れる」とする言い方は、若い人以外にも広まっている。年配の人でも「食べれない」「借りれる」などと言う。
大辞林ではこうなっている。
『見れる/[動ラ下一]上一段動詞「見る」の可能動詞で、五段動詞「書く」「読む」の可能動詞「書ける」「読める」などからの類推でできた語。本来は「みられる」というべきもの。見ることができる』
大辞泉では、こう。
『見れる/[動ラ下一]見ることができる。上一段活用の「み(見)る」を可能動詞化したもの。「みられる」(「みる」の未然形+可能の助動詞「られる」)が本来の言い方』
なんだ、一応辞書にも載ってる言葉じゃないか。
ここで誰にともなくおたずねしたいが、「読める」はもともとは「読まれる」だったのだろうか。「聞ける」は、もともとは「聞かれる」だったのだろうか。
「読まれる」「聞かれる」という「聞く」「読む」の未然形 + 助動詞は、もっぱら受け身の表現として用いられている。であるのに、「見る」「食べる」の未然形 + 助動詞の「見られる」「食べられる」は受け身の表現でもあり可能の表現でもある。
「見る」「食べる」の可能の表現を、すっきりと「見れる」「食べれる」という可能動詞として認めた方が、かえって受け身との区別がはっきりとするように思うのだが。
と言いつつ、ワタシはどうしても「食べれる」と自然に言えない。口からは常に「食べられる」という言葉しか出てこない。「ら」を省くことがなかなかできない。
ワタシのように融通が利かない人種を「ら族」と呼ぼう。・・・ひどいオチだな。
それはそうと、きのう故岡本太郎が言ってた。
「インテリというのは、ヨーロッパでは、知識だけではなくて芸術的センスも持っている人のことを言うが、日本では逆で、センスがまったくなくて、『ただ発言する人』のことになっている」
で、そのインテリさんや学者センセイのご心配をよそに、日本語はどんどん変化していってる。「変化」であるのか「乱れ」であるのか。
ここ数年取りざたされているのは、「見ることができる」という意味の言葉だ。
これは「見られる」と言うべきだが、若い人は「見れる」と言う、けしからん、というわけだ。
同様に、「食べられる」は「食べれる」と言われている。
が、「られる」を「れる」とする言い方は、若い人以外にも広まっている。年配の人でも「食べれない」「借りれる」などと言う。
大辞林ではこうなっている。
『見れる/[動ラ下一]上一段動詞「見る」の可能動詞で、五段動詞「書く」「読む」の可能動詞「書ける」「読める」などからの類推でできた語。本来は「みられる」というべきもの。見ることができる』
大辞泉では、こう。
『見れる/[動ラ下一]見ることができる。上一段活用の「み(見)る」を可能動詞化したもの。「みられる」(「みる」の未然形+可能の助動詞「られる」)が本来の言い方』
なんだ、一応辞書にも載ってる言葉じゃないか。
ここで誰にともなくおたずねしたいが、「読める」はもともとは「読まれる」だったのだろうか。「聞ける」は、もともとは「聞かれる」だったのだろうか。
「読まれる」「聞かれる」という「聞く」「読む」の未然形 + 助動詞は、もっぱら受け身の表現として用いられている。であるのに、「見る」「食べる」の未然形 + 助動詞の「見られる」「食べられる」は受け身の表現でもあり可能の表現でもある。
「見る」「食べる」の可能の表現を、すっきりと「見れる」「食べれる」という可能動詞として認めた方が、かえって受け身との区別がはっきりとするように思うのだが。
と言いつつ、ワタシはどうしても「食べれる」と自然に言えない。口からは常に「食べられる」という言葉しか出てこない。「ら」を省くことがなかなかできない。
ワタシのように融通が利かない人種を「ら族」と呼ぼう。・・・ひどいオチだな。
Chategory
太 陽 暦
12 | 2025/01 | 02 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
New Entry
(08/20)
(04/18)
(05/17)
(09/04)
(08/31)
(04/24)
(04/19)
New Comments
※ 非公開を希望される方はその旨お書きください。
[09/10 水戸ふぢ]
[09/05 森下知子]
[07/17 Kitty]
[05/31 Kitty]
[04/17 Kitty]
[03/13 巴だ]
[12/08 栗美]
ブログ内検索
New Track Back
Archives
ようこそ