揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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「ミツバチの羽音と地球の回転」というちょっと風変わりなタイトルの映画。
8月に訪れた瀬戸内海の祝島とスウェーデンが舞台のドキュメンタリーだ。
いよいよきょう観ることができた。
映画は、祝島島民の暮らしと上関原発建設問題、阻止行動の記録を中心に進む。
途中かなりの時間を、スウェーデンの再貧村と首都ストックホルム、第二の都市イエテボリのエネルギー事情の紹介に裂いている。
このふたつの地域の環境問題とエネルギー事情を対比することで、日本の来るべきエネルギー社会のあり方を提示しようとする意図だ。
8月に訪れた瀬戸内海の祝島とスウェーデンが舞台のドキュメンタリーだ。
いよいよきょう観ることができた。
映画は、祝島島民の暮らしと上関原発建設問題、阻止行動の記録を中心に進む。
途中かなりの時間を、スウェーデンの再貧村と首都ストックホルム、第二の都市イエテボリのエネルギー事情の紹介に裂いている。
このふたつの地域の環境問題とエネルギー事情を対比することで、日本の来るべきエネルギー社会のあり方を提示しようとする意図だ。
祝島島民と中国電力の海上での攻防戦は圧巻だった。
中電「一次産業だけで島は良くなりますか?お年寄ばかりになっていくのに」
島民「今、一次産業だけで食ってるんやっ。これからもこれでええのやっ」(大意)
中電「皆さんの中にももう帰りたいと思ってる人がいるんじゃないですか」
島民「帰りたかったら、誰がここまで来るかっ」
「お年寄ばかりになっていくのに」とはなんだっ。
何歳になっても生き様を見せることはできる、と、祝島のおっちゃん、おばちゃんたちは示してくれている。
撮影当時の祝島島民の会代表の山戸貞夫さんが、ただいま上関町長選に出馬中だ。
「漁業補償金5億数千万が中国電力から勝手に振り込まれてきた。すぐに突き返した」
ちなみに、「命をかけて」上関原発建設阻止の戦いを続けている祝島の人々は、決意と行動の理由として、埋め立てと森林伐採と温排水によって海が大打撃を受けることを上げている。
原発事故の危険性については、映画ではほとんど触れられていない。
鎌仲ひとみ監督は、祝島にとっての上関原発問題を環境問題として描いている。
そして、この映画と「祝の島」という二つの映画を観終えた今、それは実際その通りなのだろうと思う。
そこには、祝島の人々の「海はいのち」という確たる思いがある。
それは海が死ぬときは自分たちが死ぬときだという思いだ。
したがって、原発による海の汚染と原発事故は、祝島の人にとっては同等なのだ。
だから、祝島のおっちゃん、おばちゃんが「命がけ」なのは、誇張でも物の例えでもなく、まったくもって当然のホンモノなのだと、今のワタシは確信を持って言える。
ところで、祝島のおばちゃんたちが中電の社員に向かって口々に自分たちの生き様を言葉にしてぶつけた時、場内ではたびたび笑い声が起こった。
それらは主に、きょうの会場の主流だったご年配のみなさんのものだった。
非常に違和感を感じる笑いだった。
スクリーンに映されている出来事は、この人たちにとってはまだまだひとごとなのだろうか。
それはともかく、、、
スウェーデン社会にすでに根付いている発送電分離と電力自由化、バイオマスや工場の排熱の熱源利用。
国民の資質の違いを感じた。
スウェーデン人の特質と思われる「一人一人が自分で考え行動する」資質は、地域分散型のエネルギー自治が根付きやすい精神風土だと思った。
祝島人の特質はと言えば、これがやはり「一人一人が自分で考え行動する」資質なのだ と、へんたい明確に見えた気がする。
それと、明るさだ!
いずれも、ワタシに深い感銘と大きな希望を与えてくれる。
さて、この映画は、新エネルギーと発送電分離による電源の地域分散化という日本の社会の新しい仕組みについての明確なメッセージを発している。
が、そのことと祝島の人々の暮らしとを関連づけるという表現手法には、少々強引さを感じた。
確かに祝島の暮らしには、現代日本が失ってしまった自然と一体化した暮らしがある。
また、「自主性」「独立心」「平等」がある。
が、それらは、祝島の人々が進歩発展を望んだがために得られたものではない。
あくまで、風土を愛し感謝することによって自然に育まれたものなのだ。
だから、鎌仲監督らが現代日本人が目指すべきとする新エネルギー社会とは、生い立ちも目的も別次元にあるのだと、ワタシは思う。
そしてその次元の壁は、おそらくは、社会システムの改革によってではなく、個人の精神的飛躍によってのみ越えることができるのではないかと思う。
もちろん、「こちら側」から祝島へ、だ。
祝島の人々の自給自足的生活とエネルギー自給の動きは、目的ではなく結果である。
一方スウェーデンのエネルギー体制は(それは現代日本が採るべき道だとされている)、経済的安定という目的を達するための手段として存在していた。
祝島は「金じゃないっ」というわけだ。
祝島に息づきスウェーデンで希薄なものは「知足」だと悟ったとさ。
中電「一次産業だけで島は良くなりますか?お年寄ばかりになっていくのに」
島民「今、一次産業だけで食ってるんやっ。これからもこれでええのやっ」(大意)
中電「皆さんの中にももう帰りたいと思ってる人がいるんじゃないですか」
島民「帰りたかったら、誰がここまで来るかっ」
「お年寄ばかりになっていくのに」とはなんだっ。
何歳になっても生き様を見せることはできる、と、祝島のおっちゃん、おばちゃんたちは示してくれている。
撮影当時の祝島島民の会代表の山戸貞夫さんが、ただいま上関町長選に出馬中だ。
「漁業補償金5億数千万が中国電力から勝手に振り込まれてきた。すぐに突き返した」
ちなみに、「命をかけて」上関原発建設阻止の戦いを続けている祝島の人々は、決意と行動の理由として、埋め立てと森林伐採と温排水によって海が大打撃を受けることを上げている。
原発事故の危険性については、映画ではほとんど触れられていない。
鎌仲ひとみ監督は、祝島にとっての上関原発問題を環境問題として描いている。
そして、この映画と「祝の島」という二つの映画を観終えた今、それは実際その通りなのだろうと思う。
そこには、祝島の人々の「海はいのち」という確たる思いがある。
それは海が死ぬときは自分たちが死ぬときだという思いだ。
したがって、原発による海の汚染と原発事故は、祝島の人にとっては同等なのだ。
だから、祝島のおっちゃん、おばちゃんが「命がけ」なのは、誇張でも物の例えでもなく、まったくもって当然のホンモノなのだと、今のワタシは確信を持って言える。
ところで、祝島のおばちゃんたちが中電の社員に向かって口々に自分たちの生き様を言葉にしてぶつけた時、場内ではたびたび笑い声が起こった。
それらは主に、きょうの会場の主流だったご年配のみなさんのものだった。
非常に違和感を感じる笑いだった。
スクリーンに映されている出来事は、この人たちにとってはまだまだひとごとなのだろうか。
それはともかく、、、
スウェーデン社会にすでに根付いている発送電分離と電力自由化、バイオマスや工場の排熱の熱源利用。
国民の資質の違いを感じた。
スウェーデン人の特質と思われる「一人一人が自分で考え行動する」資質は、地域分散型のエネルギー自治が根付きやすい精神風土だと思った。
祝島人の特質はと言えば、これがやはり「一人一人が自分で考え行動する」資質なのだ と、へんたい明確に見えた気がする。
それと、明るさだ!
いずれも、ワタシに深い感銘と大きな希望を与えてくれる。
さて、この映画は、新エネルギーと発送電分離による電源の地域分散化という日本の社会の新しい仕組みについての明確なメッセージを発している。
が、そのことと祝島の人々の暮らしとを関連づけるという表現手法には、少々強引さを感じた。
確かに祝島の暮らしには、現代日本が失ってしまった自然と一体化した暮らしがある。
また、「自主性」「独立心」「平等」がある。
が、それらは、祝島の人々が進歩発展を望んだがために得られたものではない。
あくまで、風土を愛し感謝することによって自然に育まれたものなのだ。
だから、鎌仲監督らが現代日本人が目指すべきとする新エネルギー社会とは、生い立ちも目的も別次元にあるのだと、ワタシは思う。
そしてその次元の壁は、おそらくは、社会システムの改革によってではなく、個人の精神的飛躍によってのみ越えることができるのではないかと思う。
もちろん、「こちら側」から祝島へ、だ。
祝島の人々の自給自足的生活とエネルギー自給の動きは、目的ではなく結果である。
一方スウェーデンのエネルギー体制は(それは現代日本が採るべき道だとされている)、経済的安定という目的を達するための手段として存在していた。
祝島は「金じゃないっ」というわけだ。
祝島に息づきスウェーデンで希薄なものは「知足」だと悟ったとさ。
おしまい。
11.09.23 記
11.09.23 記
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
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オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
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