#710 各々鹿々

#710　各々鹿々

　なんて濃い霧なんだ。今夜は急に冷え込んだからだな。視界１０ｍあるかどうか。のろのろ運転で山中のダム湖の横の細い道を走っていると、右手の山側で何かが動いた。田舎暮らしもかれこれ十七年ほどのワタシ。確かめるまでもない。夜にこんな所で動く物体の正体はわかっている。わかってはいるが、避けられるとは限らない。急ブレーキを踏みつつ回避運動をとった。

　フォグライトに照らし出されたのは、案の定鹿だった。それも、立派な角を持つ大きな雄鹿だ。間一髪避けたマイAWD車は、軽いきしみ音を立ててエビぞった。危うくボンネットかフェンダーがへこみ、明日は修理屋さんと保険屋さんのお世話にならねばならない所だった。それだけならばまだいいが、ハンドルを切り損なったりすべったりすれば、あるいはダム湖の湖底の様子をこの目で見ることになったやもしれない。

　霧の夜は、鹿の行動範囲が広がる。霧にまぎれて自分の姿が天敵から守られるという本能が脈打っているのだろう。が、狼が絶滅した現代日本での鹿の天敵は、猟師と自動車なのだ。猟師が自分たちにとって危険な存在であることは、十分に鹿に認知されている。が、自動車が天敵であることは、どうもまだ鹿の DNA には刻み込まれていないようだ。山中に伸びる「平らな石の道」は、車が自分だけが走るために作った道であることを、鹿は知らない。したがって、鹿の交通事故は後を絶たない。

　鹿は、車のライトもクラクションも恐れない。車の前に立ちはだかって平気でいる。じっとこちらを見る。大人の雄鹿も子鹿も、今にもぶつかりそうな距離に車が近づくまで、悠然としている。
　きょうは、鹿のこの悠然とした態度に救われた。もしも鹿がタヌキのようにパニックになってライトに向かって飛び込んで来たら、マイ車は避けることができなかったにちがいない。

　あれはいつのことだったか。雪が深く積もった国道をゆるゆると走っていると、前方から五、六頭の鹿が一列縦隊でこちらへ突進して来る。何かにおびえているようだ。マイ車は十分な距離を置いて停止したが、鹿は止まらない。クラクションも耳に入らない様子だ。とうとう先頭の一頭が、マイ車の右側面後部に突っ込んだ。あとの群れは避けてくれたが、一頭の突入は、ボディーを無惨にへこませるに十分な衝撃だった。

　その後も、何度か鹿の突入を受けた。どうでもいいことだが、このような事故で車がへこんだ場合、こちらが止まっていても、自動車保険では自損事故として扱われるのがおもしろい。いや、おもしろくない。鹿に弁償してほしいよ。

　かくかくしかじか。山の霧は運転手に格段の緊張を強いる。今夜は、レッスン会場からウチまでの約 40km の道のりで、10頭ほどの鹿と遭遇した。霧の中から突然現れる長い首と角は、あの世からの使者のように運転手を眩惑する。各々鹿々たち、この車は君たちの天敵であることを、早く DNA に刷り込んでくださいな。

　おしまい。　
10.12.14 記　

ミヤマノイチゴ

2010/12/15 (Wed) 自然・環境 TRACKBACK() COMMENT(0)