揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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写真とは不思議なものだ。
ふだん何気なく見流している諸々も、写真という一枚のフレームに収めると、ときにはまったく違うものに見えてくる。
まるで、異次元を見通せる新しい目を手に入れたかのようにさえ思えてくる。
そこでは諸々の存在が、君が住んでいるこの世界はこんなに素晴らしいんだと語りかけてくる。
ふだん何気なく見流している諸々も、写真という一枚のフレームに収めると、ときにはまったく違うものに見えてくる。
まるで、異次元を見通せる新しい目を手に入れたかのようにさえ思えてくる。
そこでは諸々の存在が、君が住んでいるこの世界はこんなに素晴らしいんだと語りかけてくる。
実際、ふだん見えている諸々の像は、それらの真の姿ではないのかもしれない。
諸々の真の姿は、ふだんとは異なる目で見なければ見えないのかもしれない。
だからだろうか。
写真とは「真を写す」と書く。
写真という言葉には、写真に魅せられた多くの人々の思いと思想が込められている。
思わぬことから白黒写真を撮ることに魅かれてはや三ヶ月。
こんな風にあれこれ思いつつ写真を撮ることを楽しんでいる。
スローガンは「脱記念写真」w笑w
木をよく撮る。
最近写した写真の大半が木の姿だ。
が、冬枯れのむき出しの樹々の造形に心惹かれることは、一枚の写真を作り上げるプロセスの始まりに過ぎない。
シャッターを切ったその場では気づかなかった何ものかが、画像になると姿を現わすことがある。
それは、光であったり、影であったり、そのどちらともつかない何かであったり、あるいは意識してなかった造形であったりする。
それらは、ワタシの心を揺さぶる。
それらは心のどこかの、音楽とは少し違うところに働きかけてくるような気もする。
そして、樹々を取り巻く世界と自分とのつながりを新たにしてくれる。
そんなときに、ああ自分はこれを感じ、これを記録したかったのかと思う。
それが、ものの真の姿を見いだすことへとつながる何かであるとは限らないだろうが、そのような何かを直観していることはあるのかもしれない。
が、それをそのときそこで見た者は自分しかいない。
だから、「それをそのときそこで実際に感じたのか、後で画にする際に手を加えて作り上げたのか」はほとんどの他者にはわからない。わかる人にはわかると思うが。
だからこそ写真は、諸々との関係において偽りがないことを厳しく要求する。
さて、それらがなぜ心を揺さぶるのか、あるいは「それらは何なのか」
ワタシにはわからないし、今はわからなくていいと思っている。
もしかすると、それらはただの自分の心の投影に過ぎないのかもしれない。
いや、多くはそんな風なものだろうという気もする。
が、心惹かれるままに撮り続ければいいと思う。
ファインダーの向こうの何かがワタシと世界とのつながりを新たにしてくれると感じるうちは、ためらうことなく写真を撮ればいいのだろう。
友人のカメラマンがこう書いていた。
「画を作ることとモノを見ることは別のこと。画は誰でも作れるが、モノを見ることは出来るようで出来ない」
ワタシにとっては画を作ることも簡単ではないのだが、本当に「見る」ということは際立って難しいと思う。
本当に見ているとき、対象と自分との距離や区別は消え去るのだろう。
(そのことは、自分と音との関係を通して少しは理解できる)
そんな関係を写真にできたら素晴らしい。
彼が紹介していた別の写真家の言葉。
「花を写して花を写さず」
これこそ写真の極意だという友人の言葉に深く納得。
真に写すものは花の形や色ではなく、花と自分との関係である、また花を花たらしめている形無き何ものかである、というような意味だと捉えた。
であれば、その何ものかはおそらく、自分を自分たらしめている何ものかであり、この世界全体をあらしめている何ものかであることだろう。
ついついただの画作りに夢中になってしまうことがある。
そんなときは、ものをよく見ず、光や空気や静寂を十分に感じず、シャッターを切る行為そのものが目的になってしまっている。
で、心の感度が上がらないままシャッターを切っても、心を揺さぶるものは何も写らないのが写真の不思議なところだ。
この思いは、日増しに強くなっていっている。
(すべての写真は心霊写真か!)
最近写した写真の大半が木の姿だ。
が、冬枯れのむき出しの樹々の造形に心惹かれることは、一枚の写真を作り上げるプロセスの始まりに過ぎない。
シャッターを切ったその場では気づかなかった何ものかが、画像になると姿を現わすことがある。
それは、光であったり、影であったり、そのどちらともつかない何かであったり、あるいは意識してなかった造形であったりする。
それらは、ワタシの心を揺さぶる。
それらは心のどこかの、音楽とは少し違うところに働きかけてくるような気もする。
そして、樹々を取り巻く世界と自分とのつながりを新たにしてくれる。
そんなときに、ああ自分はこれを感じ、これを記録したかったのかと思う。
それが、ものの真の姿を見いだすことへとつながる何かであるとは限らないだろうが、そのような何かを直観していることはあるのかもしれない。
が、それをそのときそこで見た者は自分しかいない。
だから、「それをそのときそこで実際に感じたのか、後で画にする際に手を加えて作り上げたのか」はほとんどの他者にはわからない。わかる人にはわかると思うが。
だからこそ写真は、諸々との関係において偽りがないことを厳しく要求する。
さて、それらがなぜ心を揺さぶるのか、あるいは「それらは何なのか」
ワタシにはわからないし、今はわからなくていいと思っている。
もしかすると、それらはただの自分の心の投影に過ぎないのかもしれない。
いや、多くはそんな風なものだろうという気もする。
が、心惹かれるままに撮り続ければいいと思う。
ファインダーの向こうの何かがワタシと世界とのつながりを新たにしてくれると感じるうちは、ためらうことなく写真を撮ればいいのだろう。
友人のカメラマンがこう書いていた。
「画を作ることとモノを見ることは別のこと。画は誰でも作れるが、モノを見ることは出来るようで出来ない」
ワタシにとっては画を作ることも簡単ではないのだが、本当に「見る」ということは際立って難しいと思う。
本当に見ているとき、対象と自分との距離や区別は消え去るのだろう。
(そのことは、自分と音との関係を通して少しは理解できる)
そんな関係を写真にできたら素晴らしい。
彼が紹介していた別の写真家の言葉。
「花を写して花を写さず」
これこそ写真の極意だという友人の言葉に深く納得。
真に写すものは花の形や色ではなく、花と自分との関係である、また花を花たらしめている形無き何ものかである、というような意味だと捉えた。
であれば、その何ものかはおそらく、自分を自分たらしめている何ものかであり、この世界全体をあらしめている何ものかであることだろう。
ついついただの画作りに夢中になってしまうことがある。
そんなときは、ものをよく見ず、光や空気や静寂を十分に感じず、シャッターを切る行為そのものが目的になってしまっている。
で、心の感度が上がらないままシャッターを切っても、心を揺さぶるものは何も写らないのが写真の不思議なところだ。
この思いは、日増しに強くなっていっている。
(すべての写真は心霊写真か!)
おしまい。
14.01.26 記
14.01.26 記
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
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