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揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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前便では、オカリナ演奏の命は音色であり、それを得るために必要なことは全身で吹くことであること、オカリナ人の間でそれがほとんど実現されていないことを見てきた。
今便では、そのことを軸にして、オカリナと付き合う上で何が大切なのか、わたしたちはオカリナから何を得ることができるのかについてさらに考えてみたい。

拍手[4回]



さて、始めに今便のガイドラインを記すと、、、

 ・音色は楽器と奏者の関係が生み出す。

これはどんな楽器にもあてはまる。

・・・・・・・

全身で吹くことが、オカリナ人の垂涎の的であるいい音色を得るために欠かせない。
では、いい音色を得るためにはそれだけで十分なんだろうか?

どうしたらきれいな音が出せるか、どんな楽器を選べばいいのか、ワタシも年中たずねられている。
そのたびに、その人に必要だと思うアドバイスをする。
が、多くの人が、明快で簡単な処方箋があると信じて疑っていない。
または楽器に問題があると考えている。
またはセンセイに問題があると考えている(笑)

いい音色が得られない場合、口の形、舌の位置、オカリナの角度、息の入れ方、メンタルの問題など、その人個有の問題点が必ずある。
で、口や舌の形も指の長さも息の強さも聴力も様々なクセも、何もかも人それぞれだ。
それに、いい音色の定義が人それぞれだ。
それゆえ、いい音色を得るための固定した答は無い。
それが「音色は楽器と奏者の関係が生み出す」ということだ。
いい音をたくさん聴き、自分をよく観察し、工夫するしかない、とワタシは思う。
 たまにはセンセイの言うことも聞いてやるとかも(笑笑)

最高級の調理器具と材料をそろえれば誰でもおいしい料理を作れるのか。
最高級の筆を持てば誰でも達筆になるのか。
楽器と奏者の関係とは、基本的にそういうものだ。
楽器はいつも変わらないのだから、奏者が変わるしかない。

 自分の音をつぶさに聴く。
 吹いているときの自分の様子をよく観察する。
 吹く以前に、自分の心の状態、考え方、態度を顧みる。

・・・・・・・

さて、前便で、全身で吹けるようになり良い音色を得るためにはロングトーンの練習が欠かせないが、実行は難しそうだと書いた。
ここでいよいよ問いたい。
全身で吹く技術と良い音色は、本当に毎日のロングトーンの練習でしか得られないのか、と。

物事は、なんでもコツ次第だ。
極論すれば、百年間練習を続けたってコツがつかめなければ何もモノにできない。
で、コツをつかむこと自体は、一瞬の出来事だ。
もちろん、その一瞬へ至るまでにその下地作りのための厖大な時間が普通は必要なわけだが、工夫すれば、要領が良ければ、または運が良ければ、より短い時間で「コツを垣間見る」ことならできることもある。
秘密の館の中を窓からそっとのぞき見るように…。

では、どうすれば全身で吹くコツを垣間見ることができるか?
役に立つかどうかわからないけれど、ひとつのやり方をご紹介する。
 馬鹿馬鹿しかったら読み流してくださいな。

大きな音が周囲に迷惑をかけない所へ行く。
誰からも見えない所の方がいい。
そこに立ち、オカリナを持って(どの管でもいい)、可能な限り大きく、ゆったり、どっしりと構える。
気持ちをリラックスさせ、余計なことを一切考えず、全身の無駄な力を抜き去る。
特に膝をやわらかくする。
そしておもむろに好きな音を押さえて、「低く構え」、思い切り深く息を吸い込む。
で、恥も外聞もかなぐり捨てて、腹の底から「ゆっくり太く」息を出し、オカリナに吹き込んでいく。
出せる限りの大きな音を出す。
この際、タンギングはしない。
ピッチも一切気にしない。
ただ、音が割れてしまわないようにだけ気をつける。
…これを何度もくり返す。


 息を吸う際に肩が上がらないように。
 無駄な力、偏った力が入らないように常に気を配る。
 オカリナを響かせる気持ちで吹き続ける。
 身体が揺れてきたら揺れるにまかせる。
 ビブラートがかかり始めたらかかるにまかせる。
 何一つ固定しない。
 苦しくなるほど長く吹く必要は無い。
 自分の音と身体の変化を注意深く観察する。
 一音ごとに心身をリセットする。

言わば、無手勝流、八方破れで全身で吹いてみるわけだ。大真面目に。
すると、オカリナの音がどんどん変わっていくのがわかる。
で、今まで出したことがないほど大きくよく響く音を「何度か」出せたらしめたもの。
その音こそが自分のオカリナの本来の音色なのだ。
秘められた音を解き放つことで、全身で吹くコツとそこから生まれる音色を垣間見ることができたのだ。

その音と、その音が出せたときの身体の状態を心に刻み込む。
そして、その音を常にイメージし、実際の演奏の中で生かすことを目指してすべての練習を行なう。
タンギングも運指も、全身で行なう。
オカリナの出し入れも、譜面台を開く動作も、譜めくりも、あいさつも、ジャンケンも、すべて全身で行なう。


ワタシの場合は、オカリナを始めたばかりのあるとき、精神的に追い込まれて、自然にこのような心身の状態になり、この体験をしたことを記憶している。
そのときに、オカリナは口先で吹いていてもけっして本来の音色は出ないことがよくわかった。
揚琴と同じく全身で演奏しないと鳴らないという、楽器としてあたり前のことを実感したわけだ。
その後の演奏が根本的に変わったことは言うまでもない。
そして、新しいオカリナを手にするたびに、そのオカリナの本来の音色、自分との関係において最高の音色を探ることを最初の作業として、時間をかけて行なうようにしている。…イヤ、最初の作業は内部のそうじだった。

・・・・・・・

このようなオカリナへの取り組み方が、次第にオカリナとの関係を変えてゆく。
全身で吹けるようになるに連れて、オカリナとの、仲間の音との一体感が増していく。
それでは、自分とオカリナとの良き関係を築く上で、ほかに何が大切なのか。
長いリポートの最後に考えてみたい。

いい音色を出すためにここまで探求してきたオカリナとの関係は、物理的・外面的関係だ。
ここで関係のもうひとつの側面、心理的・内面的関係についても考えてみたい。
なぜなら、オカリナとの内面的関係もまた、その人の音色を作るとても大きな要素だと思うから。

コンクールで優勝したデュオは、おふたりともサックス奏者だ。
サックス奏者がなぜオカリナを手にし、ドレスを着てコンクールにまで出場されたかはワタシにはわからない。
遊び心の延長線上の出来事なのかもしれないし、そうであれば、それはそれでいいと思う。
あれほどの技術がありあれほどの音を出す人たちであれば、楽器はなんでもいいだろうし、詮索する必要も感じない。
ただ、こういう人たちと比べられたら、一般的趣味的オカリナ人はちょっと気の毒な気もする。

さて、ワタシに強い印象を与えたもうひとつの女性デュオグループは、普段着のようなリラックスした出で立ちで現われた。
徒歩十五秒のお隣同士の主婦だそうだ。
演奏は、それぞれの奏者がオカリナと一体で、しかも二人の音が溶け合っていた。
その音色は、空間にパステルカラーでやわらかな線を描くようだった。
それは、二人の心と身体の動きがやわらかく、自然に融合していたことに由来していた。
二人とも吹き始めは緊張のあまり音がぶれていたが、尻上がりにいい音になっていき、ついには夢中で、無心で吹いていた。
二人の魂がつながっているかのような合奏だった。
それがいつもの二人の姿、自分たち自身の有様なのだろうと想像できた。
(※ 十数年前から知っている岡山のグループですが、長い間聴いてませんでした。今回二位受賞でした)

これらのことは、こういう問いかけにつながっている。
「オカリナからどれくらい大切なものを得ているか?」
さらに、こうなる。
「本当にオカリナが好きか?」
これらの問いに対する答こそが、その人とオカリナとの本当の関係を表す言葉であり、その人の演奏と練習の行方を決める最大の要素であり、その人の音色を湧き出させる泉にもつながっているのではないかとワタシは思っている。

もちろん、この答は一人一人の中で常に変化し続けていることだろう。
それに、何事もそれが好きであることがそれとの関係において最善であるとは限らない。
要は、自分とオカリナとの関係をどのように理解し、日々に生かしているかということだと思う。
だから、答そのものよりもむしろ問いかけ続けることに意味がある。
この視点からコンクールの出場者を振り返れば、ワタシの中では各部門の順位、そしてコンクールの意味は崩壊してしまうことを申し添えて、今便を終わらせていただく。

 おしまい。 

14.02.13 記 


 追 記・・・・・

当便を一度投稿してからほどなく、マイ生徒さんからメールで情報をいただいた。
オカリナコンクールで優勝したデュオグループについてだった。

お二人はサックス奏者だと書いたが、それはワタシが当日の会場でのアナウンスから得た断片的情報だった。
グループ名すらよく聴こえなかったのだ。
で、マイ生徒さんによると、お二人はプロのサックス奏者だそうだ。
それも一人は以前神戸のオカリナフェスティバルにご主人の大島忠則さんと共にゲスト出演され、ワタシもそこで聴いていた森下知子さんだったという。
ワタシは会場の最後方の招待者席にいて遠目だったこと、入場の際になぜかプログラムをいただけなかったこと、プロは出ない会だと思い込んでいたこと、演奏曲が大島さんの作品だとのアナウンスが聴こえてきたこと、会場に大島さんの姿が見えていたことが原因で、お二人とも森下さんか大島さんの優秀すぎる生徒さんだと思い込んでいた。
優秀すぎるはずだ!! \\˚˚˚◎∆◎˚˚˚//

今便の終わり近くの「ただ、こういう人たちと比べられたら、一般的趣味的オカリナ人はちょっと気の毒な気もする。」という一文を読み返すと「ちょっと気の毒というレベルじゃないだろうが!」と、失笑してしまう。

でした。


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今回は私達のためにご足労頂き、ありがとうございました。このブログは私たちへのメッセージだと(勝手に思って?)受け取り、指針にしていきたいと思います。いろんな意味で出場してよかったです。
今後のオカリナライフが充実しそうな位
今、新鮮な自分がいます。
檸檬・・・M EDIT
at : 2014/02/14(Fri) 22:38:10
Re:無題
檸檬・・・M さま

練習から本番まで、いろんなことを考えたことでしょうね。
そして、様々な思いが今も去来していることと思います。
だからこそ、全力で打ち込んだからこそ、多くのことを読み取ってもらえたのだな、と。
ありがとう、です。

新鮮な檸檬の香り、またお裾分けしてください。

巴だ 
at : 2014/02/14 23:32
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巴だ リョウヘイ
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職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
 
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)

コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。

特 技/晴れ男であること。

オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。

2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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