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揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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ターナー展を見る機会を得た。
ターナー(Joseph Mallord William Turner)の風景画は、光の陰影が作り出す空間の奥行きと色彩に大きな特徴がある。
そして、それらの作品に通底しているのが「崇高」という概念だという。
崇高の概念は、18世紀のヨーロッパで、大自然に対する畏怖と敬意から生まれ広がった。
ターナーの風景画は、山に、海に、空に広がる神秘と美そして崇高さを、時に人間存在との対比で描き出している。
二百年前の絵は今も少しも色あせることなく、前に立つ人々の目を心を強力に吸い寄せ続けていた。
それはターナーによれば、筆力ではなく自然の崇高さが為せる技だということになる。



ところで、ターナーの絵には、何度も用いられている構図があることに気が付いた…。

左右の上端あたりから中央に向けてV字型のラインが引かれる。
これは多くは山や大建造物の描写が作り出していた。
このV字ラインの上部には、色彩豊かな空や雲が描かれる。
絵の左右の下端は視野を閉ざすようにかなり暗い色調が占める。
そして、左から三分の一の位置に樹木が置かれる。
また、左から右に向けて川などの水の流れが描かれる。
人や動物はほとんどの場合は添景(点景)として前部に小さく描かれる。
そして、光は常に左から右へと射して来ている。

図解するとこんな感じ。


初期から晩年近くまで見られたこのような構図の絵を振り返るとき、二つのことが心を占めた。
ひとつは、ターナーが描こうとしたものの中心は、V字ラインの下にある事物ではなく、むしろ上に広がる空ではなかったかということだ。
添景としての人間は、多くの場合大自然が作り出す事物の壮大さを強調するための存在、またはそれを人の日常の言葉で描くためのストーリーテラーでしかなかった。
が、大自然が作り出す壮大な事物や強い存在感を放つ樹木、また巨大で壮麗な建造物ですら、空を描き出すための添景のように思える絵も多かったのだ。

「チャイルド・ハロルドの巡礼─イタリア」
V字型構図の典型のひとつ。





「ウォリスの岩壁付近のエイヴォン川」
ごく初期の水彩画。すでにV字型構図が現われている。


思うに画家は、生涯を通していかに多作であっても、描こうとしたもの、そして描くための構図は実は限られているのではないか。
ターナーの場合、描こうとしたものは光と色彩であり、代表的構図のひとつはV字型構図だった。
それはもしや、潜在意識の奥深くに刻まれた遠い遠い過去の記憶、原風景なのかもしれない。
空とは空間である。
空間とは無限である。
この世にあふれる光も色もまた無限である。
ターナーは、心眼にてそのような無限をこそ捉え、崇高の念を抱き、それゆえにそこから創出されたすべての事物にもまた崇高さを見いだしたのではないだろうか。

ベートーベンは生涯を通して、ただひとつ、カデンツ(旋律や和声の定型)だけを書き続けたという。
カデンツは、音楽を音楽たらしめるひとつの絶対的法則であった。

ちなみに、ターナーの絵は年とともに抽象的になり、ついには色彩と光のるつぼと化していったが、そこへ至る時間と共に現われる隠れた変化も見て取れた。
ひとつは、前述の絵の左右下部、手前側の暗い色調の部分だが、年とともに明るくなっていっていること。
もうひとつは、画角(視野)が広がっていっていること。
若い頃の絵の画角は、写真で言えば50mmの標準レンズで撮った画のようだ。
これは人の日常的な視野に近い画角だ。
それが、次第に視野が広がっていき、レンズは35mmとなり、晩年に近づくと28mmレンズを通して見たかのような広角的な画が多い。
視野の広角化と暗い部分が明るくなっていったことは無関係ではないだろう。
そしてそれらが行き着く果てが光と色彩のるつぼとなったのは必然だと言わざるを得ない。
それはあたかも、ターナーの眼前ですべてが次第に光彩に包まれていくプロセスのようだ。


さて、偉大な画家、写真家は、事物の奥を見通す眼を持っている。
そしてそれらは、齢を重ねるごとに磨かれていくのだ。
その絵や写真は、ますますシンプルでいて力強く崇高なものへと変貌していく。
ピカソしかり、ゴッホしかり、アンセル・アダムスしかり、上村松園しかり。
晩年のピカソは言った。
「やっと子どものような絵を描けるようになった」
これこそは尊敬と憧憬に値する。
抽象的な色彩だけが「塗りたくられた」油絵を、無意味な絵だと揶揄された晩年のターナーは言った。
「こう見えたからこう描いたまでだ」

凡夫の眼と心は、歳とともに曇り、濁ってゆくという。
いったい、偉大な画家は何が違うのだろう。
それはおそらく、歩んでいる道が違うのだ。
偉大なものにふれようとする人が歩む道は、先へ行くほど光にあふれ、影はますます人を讃える。
ターナーの絵は、そのことを如実に描き出していた。
願わくば、光の道を見いだし歩み続けたい。

 おしまい。 
14.03.01 記 

「湖に沈む夕陽」
これぞターナー。そこには光と色彩しかない。タイトルはほとんど意味を持たない。そこがどこであれ、それが何であれ、これは宇宙そのものだ。



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追記
だから、近頃は著作権管理が厳しくて。
巴だ EDIT
at : 2014/03/02(Sun) 22:25:36
おしらせ
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演奏活動歴/揚琴、27年。オカリナ、16年。
活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)

コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「Contact」のページからどうぞ。

特 技/晴れ男であること。

オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。

京都府下農村在住。
雨乞い師見習い。
自然農見習い。
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