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揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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つづいては、今年の全体の傾向はどうだったのか? という噺。
116組というとたいへんな出場者数だが、それらのオカリナ人のみなさんには、実にバラエティーに富んでいる面と、ある種の定型を感じる面がある。
今便では技術論を挿みつつ、おそらくは自らの手で定型を打ち破り個性を発揮するに至った人々にスポットを当ててみたい。


オカリナという楽器はその取っ付きやすさとは裏腹に、管楽器としてはかなり特殊なアプローチが要求されるわけだが、二日間のフェスティバルを通してつくづく思ったのは、その点に翻弄されている人がとても多いということだ。
と書けば「ああ、またピッチの話ね」とつぶやきながらお茶に手を伸ばす姿が目に浮かぶが、事はピッチの問題だけには留まらない。

オカリナは、強く吹けばピッチ(音の高低)は上がり、弱く吹けば下がる。
だから、それぞれの音のピッチの確保に適した息の強さで吹く必要がある。
しかも息は、低音域に進むほど弱く、高音域に進むほど強くされることが求められる。
こうした点が、他の大方の管楽器と決定的に異なる。

オカリナのこの特徴がどれだけ腑に落ちているか。
腑に落ちていない人たちが合奏すると、曲はただの音の混乱になりかねない。
大合奏すると大混乱になり、度が過ぎれば通報されるかもしれない。
そんな例がよく見られるこのオカリナフェスティバル。
今年もあった。
が、逆に、これだけの人数をよくここまでまとめたものだと驚かされるグループもあった。


香川県のグループは総勢19名だった。
指揮の下にアカペラで二曲を演奏されたが、適切なピッチが保たれた音ならではの厚みのあるサウンドが生みだされていた。
経験的にわかることは、みなさん他の楽器経験が豊富な人たちでも、特別に音楽教育を受けた人たちでもないということだ。
みなさんが、指揮者の方の下にピッチの安定のための練習にかなりの時間を割いてきたことが想像できた。

さて、ピッチの安定にもっとも大切なことは、安定した演奏姿勢だ。
演奏姿勢が崩れるとピッチも崩れることにどれだけの人が気付いているか?
そして安定した演奏姿勢とはどのようなものか?
こうした点は演奏を鑑賞する際には注目に値する点だと強調したい。

香川のグループのみなさんは、立ち姿に無理がなく、自然に前を向き、適度にやわらかさがあり、そして吹いているメロディーの音域の変化によっても姿勢は大きく崩れなかった。
これらの点が良いピッチ、厚いサウンドを作り出す基礎になっていたと思う。
そして、全員が自分たちの音をよく聴き、共有していた。


一方、別のあるグループもまた10名を越える編成だったのだが、音色の違いは歴然としていた。
その違いを生みだしていた最大の要因は、演奏姿勢だと見受けられた。
みなさん重心が安定しておらず、身体がふらつく。
低音域を吹くときはみんなうつむき、高音域のときは身体が固く収縮してしまう。
加えて、左右のふらつきが顕著だ。
で、音にはそうした姿勢がそのまま反映されていた。
さらに、お互いがまったく聴きあっていないのが残念だった。

時にはロビーで聴いているだけでも伝わってきてしまう問題点に、演奏姿勢の乱れと「演奏意識」の乱れがある。
演奏意識とは、演奏の際に何を大切にしているかということだ。
いくつかの大小のグループの演奏はばらばらだったが、それは取りも直さず演奏意識がばらばらなのだろう。
取り分け、お互いの音を聴き合っていない、全体の音を聴いて共有していないグループの音色は、固く、角があり、冷たくて、混乱していて、聴く人を疲れさせ困惑させてしまう。
だいたい、合奏で聴き合わないとはなんたることか。
合奏の楽しみのほとんどを始めから捨てちゃってるってことじゃないか。


合奏の楽しみ。
それを最大限表現していたグループと出会った。
浴衣姿もあでやかな6名の女性は、ノリノリで、表情豊かで、一所懸命で、みんなでひとつの曲を共有し、心から合奏を、音楽を楽しんでいた。
かなりの演奏力があるにも関わらずやさしい調のシンプルな編曲の曲が選ばれ、その中でみんなが自分の役どころに満足しているように感じられた。
会場全体が引き込まれた。
リーダーと思われる女性はかなりのテクニックの持ち主で、その聴かせどころもちゃんと用意されていた。
ピアノ伴奏担当の女性は、曲が8小節ほどオカリナだけになる間に立ち上がって踊りながら(ちょっとはにかみつつ)客席に手拍子のコールをした。
(最年少と思われるこの女性は、プログラムの名簿によるとリーダーの女性の娘さんだと思われた。)
わたしはこのグループに、忘れかけていた大切なことを思い出させてもらったように思った。


舞台へと進む




演奏姿勢は、演奏の基本というか第一歩だけれど、その大切さに気付くのに結構な年月がかかることが多いのかもしれない。もちろん センセイ はその間繰り返し伝えてるんだけど。
演奏姿勢は、昨今わたしの生徒さんたちの間のトピックのひとつでもある。
たいていはピッチの安定の問題から演奏姿勢の問題へと進む。
チューナーを見るときの体勢がピッチに影響することを指摘すると、はっと目が覚める人は多い。
運指と姿勢の関係についてもいつもずいぶん説明してきたけれど、こちらはなかなか腑に落ちる人が少ない。

演奏姿勢と共にトピックになりつつあるのが、フレージングの問題だ。
言い換えれば、音と音との音楽的なつながりのことだ。
メロディーにいかに表情を与え意味を持たせるかという課題でもある。
管楽器においてフレージングと密接な関係を持つ技術のひとつが、息の使い方であることは想像に難くないと思う。
ことにオカリナでは、息の配分を誤るとフレージングはこわれてしまう。
神戸のオカリナフェスティバルでも、この点をしっかりと身につけている人はなかなか見つからない。
が、今回は、特にソロで吹いた人に、美しいフレージングを作り出している人が多かった。

フレージングは、最も音楽的素養が問われる技術だと思う。
フィーリングと理解力と表現力、それに基礎技術が問われる。
自分で問わなければそれでいいんだけれど。

で、肝要なのはここから。
良きフレージングに求められる基礎技術としても、演奏姿勢は大切だという件だ。
重心の安定、全身の柔軟度、適切なスタンスと楽器の持ち方、顔が向く方向、などなど。

メロディーを吹き始めてすぐに重心が上がってしまうと、その先の音は死んでしまう。
死んだ音では良いフレーズは作れないし人の心にも届かない。
だから、重心を安定させ、コントロールする必要がある。
達者なソロ奏者さんたちは、この点が優れていた。
フレーズのピークで自然に音に力がこもりピッチが多少上がっても、重心が安定していれば無理なくひとつのフレーズを終えて次のフレーズにつないでゆくことができる。
ブレスもしやすくなる。
こういうわけで、フレージングを創造するためにも演奏姿勢は大切なのだ。

ソロ奏者さんたちの多くは、感情移入たっぷりに身体を動かしながら吹く。
が、音は乱れない。
逆にひとつひとつの音が動きに合わせてパワーが増していく。
それは、重心と身体の軸が安定しているからだ。
それゆえに無駄な力が抜け、音にパワーが集中される。
身体の動きは、音にパワーを込めるための助走、または吹くという行為だけでは処理し切れない感情の発露なのだ。(この点については賛否あると思う)
感情にまかせてやみくもに身体を動かせば、重心と身体の軸がふらつき、音もふらつく。
重心が高く軸が歪んだコマがすぐに倒れてしまうようなものだ。

が、たぶん、演奏姿勢とフレージングがある程度のレベルで出来上がっているソロ奏者さんたちは、みなさん他の管楽器の経験がある人のようだ。
そういう人たちはまた、たいてい若い頃に何らかの音楽の指導を受けている。
うまいはずだよ。

では四十・五十の手習いさんはあきらめるしかないのか?!

歳をとるほど「訓練」が苦痛になる。
だから、若いときからやってきた素質あふれる人と同じ土俵で勝負するのは難しい。
でも、思うようには演奏できないまでも、正しく練習することならできそうだ。
そしてそれだけで音は劇的に変わる。
だから、正しい演奏姿勢、そして何よりまず、音をよく聴くことを心がける。
心がけることに年齢差はない。
というより、年配者のアドバンテージはここにこそあるのでは?
前述の「演奏意識」の問題だ。


となりの公園の石碑に刻まれた古代文字?




ソロといえば、昨年もエントリ「#916 独奏仕様的心臓」で紹介させていただいた神戸のご主人。
今年も当選して、二日目の終幕近くに満員の客席の前にアルトC管一本だけを手に、ただひとり飄々と登場された。
登場の時点から、昨年と比べてさらに力が抜け、さりげなかった。
で、一曲目のアインザッツ。
お~っ、これはさりげなくてやわらかい。
…が、さりげなさすぎて少々ふぬけ気味だよ。
去年の「無駄な力が抜けたら必要な力まで抜けちゃった。気合いが入ったら無駄な力も入ってピッチがあがっちゃった」という状況が思い出されてちょっぴり心配になってきた。

曲はいつもの通りアカペラでの歌曲の演奏だったが、音の伸ばし方と切り方と次の音の出だしのタイミングが作り出す有機的時間的間隙、要するに「間」に、ますます磨きがかかっておられた。
音色の方はと言えば、曲が進むに連れて次第に気持ちが入って身体にも自然に力が入ってきたために張りが出てきた。
さりげなさはもっぱら間合いの取り方に生かされていた。
無理して音を引っ張らない。
そのふっと音を切る様には、無心が感じられた。
やはり禅の悟りの境地だ。
で、ためらうことなく次のフレーズへと進む。
あくまでさりげなく。
演奏フォームはけっして模範的なお方ではないが、重心は終始安定感があったので問題ないと思う。
わたしは次第に演奏に引き込まれていった。

終わってみれば、淡々とした、それでいて説得力のある、いい演奏となっていた。
逃げるように舞台から去られたが、それはただの照れ隠しではなく、登場のときの飄々とふるまわれる様と同様、そのような態度に終始することで、固くなって無駄な力が入るのを防ごうとする、この方なりの方法論なのだろうと想像している。
が、演奏のスタイルもまた着実に出来上がりつつあるとお見受けした。
いずれ飄々とした中にも大地とのつながりを感じさせる音色を届けてくださるにちがいないと予感している。
 さらにつづく。
 

16.07.26 記 
暑い日も寒い日も

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管理人について

HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
 
演奏活動歴/揚琴、27年。オカリナ、16年。
活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)

コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「Contact」のページからどうぞ。

特 技/晴れ男であること。

オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。

京都府下農村在住。
雨乞い師見習い。
自然農見習い。
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