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揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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 タイトル、「よりどりみどり」と読んでください。
 6月11日と13日に、京都洛西の「野鳥遊園」で演奏した。ここは京都市西部の西山に位置する、緑がいっぱいで、大きな池があって、野鳥がいっぱい訪れる場所だ。園内の池のほとりの「観鳥櫻」には大きな窓沿いに高倍率の望遠鏡と双眼鏡がいくつも常備してあり、池と周囲の山を訪れる鳥たちの姿をたっぷりと楽しむことができる。この野鳥遊園の一角の芝生をしつらえたスペースでのオカリナの野外コンサートは、これぞオカリナのためにあるような空間と言っていいほどの、最高に気持ちのいいスペースでの演奏となった。このコンサート、午後7時30分頃から園内に舞い始めるホタルを待つコンサートという意味合いもあった。なので最後の曲は、もちろん「ほーっ、ほーっ、ほーたるこい」

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 こんなサイトを見つけた。外国人から見た日本のすばらしい水環境と、その価値をわからない現代日本人についての示唆に富んだ短文。エントリ18=#81でふれたことにつながっている。

http://www.yorozubp.com/0703/070329.htm

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 ナマズが地震を起こすという説は科学的には証明されていない。科学的以外にも証明されていない。要するにだれも信じていない。ナマズが地震を起こすなどと誰が言い出したのだろう。が、とても愉快な発想だ。ところがこの説の真意は、ナマズに地震予知能力があるらしいということなのだ。

 大分で震度4程度の地震が連続的に起こった。ここ数日は注意が必要との気象庁の呼び掛けであったが、あれから三日がたった。
 大地震の予兆を思わせるニュースにふれたとき、関西人なら誰しも阪神淡路大震災を思い出す。そして中越地震やインド洋大津波や能登半島地震など最近の地震の生々しい情報が記憶から引出される。
 ところがこのたびの大分の不安な一報にふれたとき、あろうことか、萩焼きとして有名な地元の数々の窯元と陶器屋さんでは今、たくさんの作品が地震で壊れてしまうことに備える作業にたいへんだろうな、などと些末なことを最初に考えてしまっていた。
 自分の中から震災の記憶が徐々に後退しているのを感じてがく然とした。毎年「兵庫県南部地震物故衆生追悼演奏会」を任されているというのに、だ。

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 小泉氏がまたテレビに出てきた。環境問題の重要性を訴えていた。総理のイスに再び座るつもりにちがいないこの方は、今度はゴア氏よろしく人道的テーマの部屋にずかずかと上がり込んできて、新たな市民・無党派層の獲得に乗り出したというわけだ。

 それはそうと、環境問題を云々するならば、いちばん身近な環境をまず大切にするべきだろう。それは何かとたずねたら、自分の身体にきまっとる。
 人間は身体ではない。身体は入れ物だから、部屋のような家のようなものだと言っていい。つまり健康に気を配るというということは、環境を大切にすることになる。
 また、何を食べるかが環境を守りもし、壊しもする。大量の家畜の肉を食べようと思えば、家畜の食べ物を得るために広大な用地が必要になる。森林は伐採され、二酸化炭素は増える。水量の減った川はにごり、血液もにごる。
 よって、健康問題は環境問題のコトハジメであるということに。

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 先日、植木等さんが亡くなった。ワタシは大ファンだった。氏の芸の上での硬軟の使い分けは、人間の深みを感じさせた。青島幸男さんとのコンビで数々の名コピーを世に輩出されたが、中でも「わかっちゃいるけどやめられない」というフレーズが、ワタシは大好きだった。これほど人間の本質を、誰にでもわかる言葉で、一言で語っている言葉は少ない。青島氏の才能もさることながら、このフレーズを完全に自分のものにして、さらに独自の世界観を付与して説得力を倍増させたのは、やはり植木等という人の類い稀なる才能だと思う。

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 1697。なんの数字でせう?

 藤原真理さんのチェロコンサートに行ってきた。ワタシに無上のインスピレーションと安らぎと高揚感を与えてくれる、バッハの無伴奏チェロ曲を中心にしたすばらしい演奏だった。
 で、1697 とは、西暦1,697年のことで、実はこの年は、藤原さんのチェロがイタリアで作られた年なのだ。御年310才の楽器とは!
 コンサートの会場であった京都の法然院は、これまた歴史あるお寺だ。演奏会場となった本堂は1,688年に建てられたものだそうだ。そして、バッハが生まれたのが1,685年。つまり、藤原さんのチェロ、法然院の本堂、バッハは同時代の産物だということになる。

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 ウチの裏の栗林の入口に、高さ7 m ほどの名も知らぬ木が、ただ一本生えている。その木が、ちょうど今、白い花を満開に咲かせている。アジサイのように小さな花がこんもりと集まって咲く。その数たるやたいへんなもので、無数の白い花が幹も枝も葉も覆い隠してしまうほどなのだ。
 近付いてみると、ミツバチの羽音がその木をすっぽりと覆っている。
 さらに近付いて花をのぞいてみると、ミツバチに混じって緑色をした小さなハナムグリが、白い花にへばりついてじっとしている。午後の陽の光が背中に反射して、その奥行きのある複雑な光沢を十分に表現している。蜜をたらふくなめて、幸せの絶頂という感じだ。

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 ずいぶん以前だが、京都のあるお寺を訪れたとき、たまたまそのお寺で開催していたあるアーティストの個展会場となっていた一室を訪ねた。庭から踏み石を踏んで、その白壁の部屋の敷居を一歩またいだとき、空気が外とまったく違っていることに気づいた。それは、そこに漂っていた音楽のせいだった。
 それは、カザルスによるバッハの無伴奏チェロ曲であった。
 ほんの数小節聴いただけでそれとわかるカザルスの演奏。であるのに、鑑賞体験の記憶は聴くたびにきれいに一掃されてしまい、常に新たな、いや、永遠のカザルスの音世界へと導かれてしまう。
 そこで聴いたカザルスは、カザルスであると同時にバッハであり、人間を超えた何者かでもあり、その音は日常の領域に属さない、別の領域、異次元を現出していた。そこでは自身の肉体は忘れ去られ、時間は消え去り、ただ過去と未来を同時に現在として表現してしまう音楽だけが漂っている。その音楽は、まさに「結界」であった。

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 むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんが、ふたりでなかよく暮らしておりました。
 ある朝、おじいさんがおばあさんに言いました。
「ゆうべ、みろくぼさつさまが夢枕に立たれてな。わしがこの間なくしたコンタクトな、見つかるとおっしゃるんじゃ」
「ほう、どこで見つかるとな」
「ここから西へ三里、南へ三里行ったところに松の木が二本あってな、その間にあるから見つかるまで探してみるがよい、と、こうおっしゃるんじゃ」
「ほだば、さっそく行ってみるべえ」
「さっそく行ってみるべえ」
 信心深いおじいさんとおばあさんは、朝ごはんも食べずに、握り飯を持って出かけました。

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 染色作家の志村ふくみさんが、著書の中に、素晴らしい絵画は、それがそこにあるだけで空間に「結界」を作り出してしまうと書いておられた。そこに一歩立ち入った者の心の有り様をすっかり変えてしまい、そこが聖なる領域であることを「一瞬にして」心身に理解させてしまう空間、それが結界である。志村さんは、フェルメールの絵を例に、このことを語っておられた。

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「ホオの花が満開になってきたよ」
「ほお」
「ホオはすらーっと細長い幹なのに、花はすっごく大きいんだよ」
「ほお」
「ホオの花は真っ白で、緑の山の中にぽつりぽつりと見え隠れするんだ」
「ほお」
「でも、花はとても高いところに付くから、なかなか近くで見られないんだ」
「ほお」

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 チェロの巨匠パブロ・カザルスが、その最晩年、1971年10月24日の「国連の日」にニューヨーク国連本部に招かれて演奏した。その日カザルスには、国連平和賞が授与された。
 演奏した曲は、カザルスの出身地であるスペインのカタロニア地方に伝わる「鳥の歌」であった。歴史に残ることとなったこの演奏の前に、カザルスは会場に向かってこう語りかけた。
「『鳥の歌』は、カタロニア人の魂の歌なのです」「カタロニアの鳥は『ピース、ピース』と鳴くのです」

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 去る5月13日のガチョウコンサート(関連記事)に、近所のおじさんが来てくださっていた。
 後日、おじさんから、ワタシの演奏に対するご感想が寄せられた。

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 これから夏至にかけて、植物がもっとも良く育つ時節だ。それは、当たり前のことだが、植物が育つ条件が整うからだ。植物も動物も、育つ条件が整えば、放っておいても育つ。

 人間は大地を利用して、植物を育てる。そのときに邪魔になる植物は駆除する。そして、望む植物が育ちやすい条件を、できるだけ整える。
 手をかけすぎると、ぜい弱になってしまう。かと言って放ったらかしであれば、大方は野生の中に埋没してしまう。この加減が大切であるというわけだ。

 ここまでを、人間の生育、教育になぞらえて考えていたあなた。ここで立ち止まらないでください。

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 いつか紹介せねばと思いつつ日を重ねてしまった、揚琴についての新しいお話。

 近江八幡市は、琵琶湖のほとりにある歴史ある街だ。その昔ながらの町並みが残る通りに面した「Tea Space 茶楽(さらく)」で、去る4月7日にコンサートを開いていただいた。
 その日は、地元の陶芸作家さんたちのグループ展も開催されていた。そのひとりで、コンサートの企画の中心になってくださったツジタカコさんから、揚琴の名前にまつわる興味深いお話を聞いた。話のとっかかりは、琵琶湖の名の由来である琵琶だ。

miyakogusa.jpg
  ミヤコグサ

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管理人について

HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
 
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)

コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。

特 技/晴れ男であること。

オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。

2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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