揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ファシズムなムラの物語である。
このムラに住み始めて何年になるかな。
まあ、このムラもあのムラも、ムラには変わりはなかったな。
「昔からこう決まっている」
「お上からこう言われた」
「みんなこうしている」
「今さらやめられない」
「他所ものはいつまでも他所もの扱い」
これ、ムラの五大行動原則なり。
このムラに住み始めて何年になるかな。
まあ、このムラもあのムラも、ムラには変わりはなかったな。
「昔からこう決まっている」
「お上からこう言われた」
「みんなこうしている」
「今さらやめられない」
「他所ものはいつまでも他所もの扱い」
これ、ムラの五大行動原則なり。
明治になって、国がひとつのムラになったな。
ムラの住人になれない人々もいたな。
そんな人々は、迫害されたな。
岡本太郎なんかも、戦前に日本で表で活動していたら、しょっぴかれていただろな。
小沢征爾さんなんかも、日本ムラの住民には見えないな。
二人とも、思想や才能の違いと言うより気質が違いすぎる。
この違いは、何が育んだのだらふ。
ああいうとてつもない力を持った人は、正直に生きることで成功を収めることもできる。
が、それなりの力の人々は、正直に生きるほど苦労ばかり多くなるやもしれんな。
農耕民族と狩猟漁撈採集民族という括りがすべてではないだらふな。
弥生人と縄文人、か。
大和 vs, 熊襲、蝦夷か。
今では血も何もかも入り交じってしまっているから、単純な括り方はできないな。
とにかく、ムラは全体主義だな。
と言ってもこの全体主義は、体制というより民族の気質的なものだと感じている。
だから、欧州のファシズムとは毛色が違う気がする。
イデオロギー的色彩が薄い。
どっちにしても、全体主義は、排他的だからいかん。
それと、ある地点で考えるのを簡単にやめちゃうのがいかん。
人は人同士を単純な括りで縛り合っては生きていけない。
多様性こそがこの世の自然な有り様なのだ、とずっと思ってきた。
全体主義とは、繁殖力が強い征服民族が作り出そうとした単色的な世界にふさわしいあり方なのやもしれない。
このムラにずっと住みたいものだ。
が、全体主義は御免だな。
人は、ともすれば全体主義に走ってしまう。
安心・安全の求め方のひとつだらふな。
心の拠り所を何に求めるかが大事だな。
力、お仕着せの自尊心、所有、便利、快適に求めると、簡単に全体主義に走ってしまうのではなかろうか。
所有、便利、快適は、一見人々をバラバラに分断するように見える。
が、バラバラに分断された心ほど、全体主義に走りやすいと思うのだ。
ワタシは、この国の風土風景に心の拠り所を求めたいな。
で、願わくば、みんながそうあってほしい。
風土と共に有る心同士のつながりは、全体主義ではないからだ。
そんな心のつながりは、けっして排他的ではないからだ。
自分が由って立つものを常に見つめているからだ。
立ち止まってじっくり考える自由があるからだ。
ムラの住人になれない人々もいたな。
そんな人々は、迫害されたな。
岡本太郎なんかも、戦前に日本で表で活動していたら、しょっぴかれていただろな。
小沢征爾さんなんかも、日本ムラの住民には見えないな。
二人とも、思想や才能の違いと言うより気質が違いすぎる。
この違いは、何が育んだのだらふ。
ああいうとてつもない力を持った人は、正直に生きることで成功を収めることもできる。
が、それなりの力の人々は、正直に生きるほど苦労ばかり多くなるやもしれんな。
農耕民族と狩猟漁撈採集民族という括りがすべてではないだらふな。
弥生人と縄文人、か。
大和 vs, 熊襲、蝦夷か。
今では血も何もかも入り交じってしまっているから、単純な括り方はできないな。
とにかく、ムラは全体主義だな。
と言ってもこの全体主義は、体制というより民族の気質的なものだと感じている。
だから、欧州のファシズムとは毛色が違う気がする。
イデオロギー的色彩が薄い。
どっちにしても、全体主義は、排他的だからいかん。
それと、ある地点で考えるのを簡単にやめちゃうのがいかん。
人は人同士を単純な括りで縛り合っては生きていけない。
多様性こそがこの世の自然な有り様なのだ、とずっと思ってきた。
全体主義とは、繁殖力が強い征服民族が作り出そうとした単色的な世界にふさわしいあり方なのやもしれない。
このムラにずっと住みたいものだ。
が、全体主義は御免だな。
人は、ともすれば全体主義に走ってしまう。
安心・安全の求め方のひとつだらふな。
心の拠り所を何に求めるかが大事だな。
力、お仕着せの自尊心、所有、便利、快適に求めると、簡単に全体主義に走ってしまうのではなかろうか。
所有、便利、快適は、一見人々をバラバラに分断するように見える。
が、バラバラに分断された心ほど、全体主義に走りやすいと思うのだ。
ワタシは、この国の風土風景に心の拠り所を求めたいな。
で、願わくば、みんながそうあってほしい。
風土と共に有る心同士のつながりは、全体主義ではないからだ。
そんな心のつながりは、けっして排他的ではないからだ。
自分が由って立つものを常に見つめているからだ。
立ち止まってじっくり考える自由があるからだ。
おしまい。
11.07.07 記
11.07.07 記
PR
Chategory
太 陽 暦
12 | 2025/01 | 02 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
New Entry
(08/20)
(04/18)
(05/17)
(09/04)
(08/31)
(04/24)
(04/19)
New Comments
※ 非公開を希望される方はその旨お書きください。
[09/10 水戸ふぢ]
[09/05 森下知子]
[07/17 Kitty]
[05/31 Kitty]
[04/17 Kitty]
[03/13 巴だ]
[12/08 栗美]
ブログ内検索
New Track Back
Archives
ようこそ