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揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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京都・獅子谷法然院での「兵庫県南部地震物故衆生追悼の集い」が終わった。
同会では発災翌年の第一回から毎年追悼演奏をお任せいただいてきた。
その間、ご参列の皆様のお心に沿う演奏とは何かを問い続けてきた。
それはわたし自身にとって、震災を問い続けることと同義であった。
いまだに確たる答は出ていないが、毎年何らかの小さな答を演奏のテーマという形に託して臨んだ。
今年の演奏のテーマのひとつは、揚琴の調律に純正律を採用することだった。


高さが異なる音を同時に鳴らすと、うなりが生じる。
良き響きを得るためにうなりを適度に加減する作業のことを調律=チューニングと言う。
ゆらぎと呼べるような適度なうなりは耳に心地よいが、度を過ぎると不快になる。
純正律は、まったくうなりを生じない響きとやや不自然な響きが混在した音律だ。
現在の世界では、ピアノなどに施される十二平均律という反自然的な音律が最も一般的で、権威的にすらなっている。
が、純正律は、オーケストラの中においても弦楽器や管楽器、また声楽の演奏家たちには欠かすべからざるものとして息づいていることはあまり知られていない。
純正律の上で作られる和音は、それは美しく溶け合うからだ。

さて、わたしはこれまで揚琴のチューニングにおいては、ピタゴラス音律に十二平均律の手法を取り入れた調律法を用いてきた。独自の調律。
ピタゴラス音律は最も歴史が古く単純明快な音律だが、いくつかの和音では響きが不自然になる。
たとえば長三度の音(ドに対してミの音)が自然音律よりやや高くなるので、根音(ド)と長三度(ミ)の和音が少なからず不自然なうなりを生じる。
一方純正律では、根音と長三度や長六度(ラ)の和音はまったくうなりを生じない。
その響きの「純正」さは例えようがない。

で、揚琴を純正律に合わせると、そこにまったく異なる音世界が現われる。
いくつかのの和音から生じていたうなりが姿を消すだけで、これほどまでに響きが変わってしまうのかと驚くばかりだ。
それをわたしの言葉で言うと「響きが固まってしまった」となる。
なんだか響きが悪くなってしまったかのような言いようだが、実はそうなのだ。
いつものピタゴラス的音律が生み出していた心地よいうなり=ゆらぎ=音の動き、が揚琴にとっていかに大切なものであったかを実感する。
揚琴は音が減衰する楽器でしかも音量がさほど大きくないものだから、響きにゆらぎがないと「カンコン」というアタック音ばかりが目立って音の余韻の味わいがたいへん乏しくなってしまう。
弦が震えず、音が針のように耳に突き刺さってくるような印象だ。
ところが、ある程度時間が経つと、揚琴に施された純正律は変化し始める。
揚琴の宿命として弦の調子が微妙に変わり始め、それゆえに誠に得も言えない精妙なゆらぎが生じるのだ。
それは純正律がそれ自身を超えたかのような出来事だ。

わたしが揚琴を始めた頃、「f分の1のゆらぎ」という言葉が市民権を得始めていた。
その流行の端緒に接した当時のわたしは、自分が揚琴で目指していたもの、音のゆらぎを音楽の要にするというアプローチに間違いがないと確信したものだった。
揚琴の百二十本の弦が生み出す響きとゆらぎ。
それは聴く人の心を様々な想念から解放する一助になってきたと、今も思う。
音の微妙なゆらぎは、メロディーの一連の激しい動きとはまた違った、穏やかな安心感を心に与える。
安心とは、想念からの解放にほかならない。

あれから二十数年。
人はより精妙な響きを求め始めているように感じているのは、きっとわたしだけではないことだらふ。

ある大災害からきょうで二十年が経った。
その間にも数々の大災害が起こった。
救いはあるのか。
無力感が広がっている。
復興は、震災は終わっていない。
終わらない震災と、次なる災害に備える中で、また次なる災害後に、人はどのように生きるのか。
その考察は真の人と人との関わり合い、人と物との関わりを探求することと何ら違わない。
そしてその考察を深めるには、自分と向き合い自分を知ることが欠かせない。

いつの世も、恐らくは世界の片隅で、自分を見つめ続ける人がいたにちがいない。
自分の心の動き、隠された想い、心が捏造した未来等々を見つめ続ける。
それらを見切ったときに、それらから解放される。
その時その場で、真実と共に生き始めることができる。
人が助け合うことができる。
その人たちはそのことを知っていた。
何が本当のことなのかだけを知りたい。
そのために、無数の想念からの解放を願う人、人、人。


楽器の調律作業は、自分をチューニングしていく作業でもある。
音の濁り、うなり、ゆらぎを静めていくことで、心が鎮まっていく。
鎮まり切った所にこそ、本当の音楽が息づいている、そう感じて来る日も来る日も調律を続ける。
そして本当の音楽が在る所には、本当のことがあるにちがいない。
何が本当のことなのか、それだけを知りたい・・・。
純正律はその方向を象徴的に指し示している。
何が本当のことなのか。
 真 善 美
人はそれを人の世が迷走を続ける今こそ強烈に求めているように感じるのは、きっとわたしだけではないことだらふ。

何が本当のことなのか。
それを求める心は、音楽に関わる際にはより精妙な響きを求めるように思える。
澄んだ響きは、心を映す鏡となるのだから。


 揚琴において純正律は、自然に少しずつゆらぎを生み出す。
 心地よいゆらぎ、それは求めるものではなかった。
 鎮まった音の場、鎮まった心に贈られるギフトだったのだ。

最後に逆説的になるが、楽器に純正律や自然律を施すことで音楽が変わるのではない。
音楽は楽器の中にあるのではないからだ。
音楽は、人の内にある。
即ち調律が、音階が音楽を作るのではない。
音楽が音階を選ぶのだ。

 おしまい。 


15.01.17 記 

また野間の大欅に寄り道してしまった。


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管理人について

HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
 
演奏活動歴/揚琴、27年。オカリナ、16年。
活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)

コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「Contact」のページからどうぞ。

特 技/晴れ男であること。

オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。

京都府下農村在住。
雨乞い師見習い。
自然農見習い。
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