揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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#744 分 類
前便で、最高の曲は永遠に未完成だと書いた。未完成の曲は常に姿を変え続ける。が、すべての曲には名前がある。曲名は、その曲がその曲である証左のひとつだと言ってよい。演奏者には、曲名が必要だ。でなければ「ジャジャンジャツトトン、ツィーッ、ヒャラリ~って曲の、ダバディビダって所から演ろうか」などと、へんたいなやりとりがつづいてしまう。
前便で、最高の曲は永遠に未完成だと書いた。未完成の曲は常に姿を変え続ける。が、すべての曲には名前がある。曲名は、その曲がその曲である証左のひとつだと言ってよい。演奏者には、曲名が必要だ。でなければ「ジャジャンジャツトトン、ツィーッ、ヒャラリ~って曲の、ダバディビダって所から演ろうか」などと、へんたいなやりとりがつづいてしまう。
ミヒャエル・エンデは「モモ」の中で、命名の大切さについて書いた。物皆全て、名付けることで個性が認知され、尊厳が確立され、引いては命が「かけがえのないもの」として擁護されると言うのだ。しかり、しかり。曲もおんなじだ。
が、聴く人は名前だけでは満足しない。その曲がクラシックであるのか、ポップスであるのか、ジャズなのか演歌なのか民族音楽なのか呪いの歌なのか地底人の歌なのかキリンの歌なのか、ジャンル分けしなければ気が済まない。
Aさんが、ある曲を初めて聴いた。
「これって、ジャズなんですかー」
Bさんはいつどこでだか言った。
「なんだか民族音楽っぽいね」
この手の話は枚挙にいとまがない。
ジャンル分けは、命名とはまるで異なる行ないだ。天と地ほどちがう。命名が個の価値の認知であるのに対して、ジャンル分けは個の否定だ。ジャンル分けとは、要するにじゅっぱひとからげなのだ。曲に限らずなんでもかんでも、ジャンル分けする人は、そうとは知らずに行なっている。
バッハはバッハだ。ベートーベンはベートーベンであり、モーツァルトはモーツァルト以外の何者でもない。彼ら自身はクラシックというジャンルを知らなかったし、自分たちの音楽がクラシックと呼ばれることになるなどとは、夢想だにしなかった。バッハの音楽は、ヨハン・セバスチャン・バッハと名付けられた人が作った空前絶後の音楽であり、それ以外の何物でもない。それを、多くの人がクラシックと呼ぶ。エリック・サティーをクラシックと呼び、バッハをもまたクラシックと呼ぶ。
ロックというのも音楽のひとつのジャンルだ。使う楽器、リズム感、ハーモニー感、感情の出し方、ファッション、全体の雰囲気などによってそのように分類される。が、さらに、いろんな「流派」がある。前便で紹介した Yes というグループは、プログレッシブ・ロックというジャンルで括られている。訳せば進歩的ロックということになる。が、彼らのたとえばこの曲の中に、ロックを見いだすことは極めて難しいことに同意していただけると思う。
が、聴く人は名前だけでは満足しない。その曲がクラシックであるのか、ポップスであるのか、ジャズなのか演歌なのか民族音楽なのか呪いの歌なのか地底人の歌なのかキリンの歌なのか、ジャンル分けしなければ気が済まない。
Aさんが、ある曲を初めて聴いた。
「これって、ジャズなんですかー」
Bさんはいつどこでだか言った。
「なんだか民族音楽っぽいね」
この手の話は枚挙にいとまがない。
ジャンル分けは、命名とはまるで異なる行ないだ。天と地ほどちがう。命名が個の価値の認知であるのに対して、ジャンル分けは個の否定だ。ジャンル分けとは、要するにじゅっぱひとからげなのだ。曲に限らずなんでもかんでも、ジャンル分けする人は、そうとは知らずに行なっている。
バッハはバッハだ。ベートーベンはベートーベンであり、モーツァルトはモーツァルト以外の何者でもない。彼ら自身はクラシックというジャンルを知らなかったし、自分たちの音楽がクラシックと呼ばれることになるなどとは、夢想だにしなかった。バッハの音楽は、ヨハン・セバスチャン・バッハと名付けられた人が作った空前絶後の音楽であり、それ以外の何物でもない。それを、多くの人がクラシックと呼ぶ。エリック・サティーをクラシックと呼び、バッハをもまたクラシックと呼ぶ。
ロックというのも音楽のひとつのジャンルだ。使う楽器、リズム感、ハーモニー感、感情の出し方、ファッション、全体の雰囲気などによってそのように分類される。が、さらに、いろんな「流派」がある。前便で紹介した Yes というグループは、プログレッシブ・ロックというジャンルで括られている。訳せば進歩的ロックということになる。が、彼らのたとえばこの曲の中に、ロックを見いだすことは極めて難しいことに同意していただけると思う。
Turn of the Century(世紀の曲がり角) 動画は投稿者の創作
ここで見いだせる「ロック」は、楽器だけだと言っても過言ではない。そう、バッハがバッハ以外の何者でもないように、Yes は Yes 以外の何者でもない。もちろん、ロックから生まれた Yes の音楽のベースがロックであることは間違いないが、それもまた「Yes 化したロック」なのだ。ジャンル分けなどくそくらえだ。
・・・おっと、つい熱くなってお下品な言葉をのたまってしまいましてございまする。おあとがよろしいようで。
ここで見いだせる「ロック」は、楽器だけだと言っても過言ではない。そう、バッハがバッハ以外の何者でもないように、Yes は Yes 以外の何者でもない。もちろん、ロックから生まれた Yes の音楽のベースがロックであることは間違いないが、それもまた「Yes 化したロック」なのだ。ジャンル分けなどくそくらえだ。
・・・おっと、つい熱くなってお下品な言葉をのたまってしまいましてございまする。おあとがよろしいようで。
おしまい。
11.03.09 記
11.03.09 記
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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