#741 のびる

#741　のびる

　京都・寺町通にある民族楽器店のコイズミさんの前に、去年の夏、トルコのアイスクリームの屋台が出ていた。エスニックな楽器がたくさん並ぶお店の前でトルコ人が行なう実演販売のパフォーマンスは、実にはまっていた。このアイス、一風変わっていて、なぜか引っ張るとものすごく伸びる。それを「のび〜〜〜る、アイスクリームっ」と実演していたわけだ。

　この「のび～～～る」という間延びした節回し、妙にすっとぼけていて味があった。聞けば誰もが思わず足を止めてしまう。で、「のび～～～る」を聞いて思い出したのが、なぜかカセットテープだった。昨今ではもはや押し入れを探さねば見つからなくなったこの録音メディアのかつての王様。一体、世界中に何十億本のカセットテープが流通しただらふ。そして、それらはどこへ行ってしまったのだらふ。

　カセットテープは、それまで主力録音メディアだったオープンリールに比べて劇的に使いやすく、しかも安価なメディアの誕生として迎えられた。が、CDの発売が始まったのが今から29年前だから、カセットの全盛時代は意外に短かかったわけだ。ほんの10年ほどか。
　CDやMDがレコードやカセットと比べて優れている点として、音質が劣化しないことが上げられる。それにカセットは、再生を重ねるうちに、いずれテープが伸びてしまう。伸びてしまったカセットテープは、音がなんだか波打つように揺れる。間延びして聴こえる。すっとぼけた音になってしまう。
　で、トルコのアイスクリーム売りの「のび～～～る」というすっとぼけたイントネーションを聴いたとき、思わず伸びたカセットテープを思い出してしまったワタシ。

　さて、また「みみコピ」の話になって申し訳なく候。CD登場以前のみみコピは、レコードをカセットに落として行なう手法が主流だった。高価なレコードの消耗を防ぐためだ。が、何回も同じ箇所を再生していると、カセットテープはすぐに伸びてしまう。すると、正しい音がわからなくなる。しかも、酷使されるカセットプレイヤーも寿命を縮める。それゆえに、何十回でも聴けばいいなどと悠長なことは、実は言ってられない。お金のない若きミュージシャンのたまごたちは、が然集中して一気にみみコピするしかなかった。

　CDでみみコピをする場合、このような心配はない。それこそ、一万回でも聴ける。が、それゆえに、集中力が高まらないという面は否めない気がする。
　ワープロを使うようになって漢字を忘れる、電子レンジを使うようになって火加減の技術を失う、車に乗るようになって足腰が衰える、CDでみみコピするようになって音を聴く集中力が落ちる、という次第だ。が、もちろん、ワープロを使うようになったので憶えた漢字もあるし、電子レンジを使うようになったからできるようになったメニューもあれば、車に乗るようになったから気軽に行けるようになった場所もある。そして、CDのリピート再生で何十回も聴けるようになったがゆえに拾えるようになった音もある。つまり物は、文明は、つきあい方次第で毒にも薬にもなるってことが、みみコピにおいても真理だというわけだ。

　問題は、文明の毒は、たいていはゆっくりと目に見えない速さで人をむしばんでいくことやもしれない。「のび～～～る」という現象は、アナログそのものだ。古来の手作り的アナログ文化も、寿命と感性の瑞々しさも、永く「のび～～～る」といいのにな。

　おしまい。　
11.03.02 記　

ひな祭りの前夜、当地は雪が積もりました。
　

2011/03/03 (Thu) 音　楽 TRACKBACK() COMMENT(0)