揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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#249 ゆでたまごはやさしいか
すばらしい陽気がつづいているのに、心の隅にひっかかる小さな出来事がある。三日前から親鳥が帰らなくなった巣の中の小さな小さな卵は、きょうも親鳥を待っているのだろうか、とふと考えてしまう。が、自分が何者であるかもしらない卵が何かを待つなどということがあろうはずもない。どこまでも感情移入しつづける自分にあきれている。
すばらしい陽気がつづいているのに、心の隅にひっかかる小さな出来事がある。三日前から親鳥が帰らなくなった巣の中の小さな小さな卵は、きょうも親鳥を待っているのだろうか、とふと考えてしまう。が、自分が何者であるかもしらない卵が何かを待つなどということがあろうはずもない。どこまでも感情移入しつづける自分にあきれている。
思い切って巣の中をじっくりとのぞきこんでみた。親指の先ほどしかない小さな卵は、全部で5個あった。灰色の斑点に見えていたものはゴミや汚れで、卵の殻はまっしろだった。互いに折り重なることなく、ほぼ五角形に整然と並べられ、いずれも先端が内側を向いている。体温がまんべんなく伝わるようにとの親鳥の配慮にちがいない。
巣からいつも頭を出し、数日間とはいえ、しじゅう周囲を警戒しながら卵を抱き続けた親鳥は、なぜ突然巣に帰らなくなったのか。本当のところはもはやわからないままだ。ここでまた、親鳥は巣に帰れなくなってどんな気持ちでいるのだろう、と感情移入してしまう。
対象に自分を投影することこそ、感情移入の根っこにある心の動きだ。人は対象に自分を投影することで自分を確認しようとする。その際にそこにどんな優しい思い入れ、つまり感情移入があったとしても、それは自分の願望や過去の記憶を投影しているにすぎない。
実際、もっとも優しいまなざしとは、くもりのない無垢なまなざしのことではないだろうか。目の前にある現実がどんなに残酷なものであっても、あるがままに、なんの感情も込めずに見つめることからこそ、ほんとうの優しさ、すなわち共感と適確さが生まれるのではないだろうか。自分の願望や過去を投影しているうちは、人は真に優しくはなれないのだと思う。
卵をどうするべきか。くもりきった心で思案してもせんないが、もはや傍観者ではなくなってしまったワタシは思いをめぐらせた。
⦿なんらかの方法で自分の手で温めて、いわゆる人工ふ化をさせる。
これは、よしんばヒナが孵ったとしても、その後どうやって育てるのかという問題が起こる。育てられないのならば、始めから不自然な方法によって生を与えるべきではない。
⦿ゆでたまごにして食べる。
仕方なく殺してしまった生き物をせめて食べてやることで成仏させるという行ないは、ワタシもたびたび行なってきた。が、相手は卵だ。無理して食べてやることが、せめてもの救い・償いになるのかどうか疑問だ。
⦿他の場所へ移動し、他の生き物の糧になるようにする。
これには、周囲の生態系を乱す恐れがついて回る。草刈りに比べればたいしたことではないが、自分が生きて行くために必要な行ないではないので控えるべきだろう。
⦿廃屋となった巣とともにこのまま放置する。
何事も、最後には自然にゆだねるのが最良であることは言うまでもない。放置された巣と卵を自然にゆだねるには、この方法がもっともいいだろう。
ということで、巣と卵はこのまま放置されることとなった。卵は他の生き物の食べ物になるやもしれないし、ならなければその場で土に還り、植物の糧となるだろう。廃屋となった巣は、他の小鳥が再利用することもあるやもしれないし、なければこのまま元のただの枯れ草としての当たり前の運命をたどることになる。
いずれにしても、そこに巣と卵がありつづける限り、ワタシのちっぽけな自問自答もつづくのやもしれない。
巣からいつも頭を出し、数日間とはいえ、しじゅう周囲を警戒しながら卵を抱き続けた親鳥は、なぜ突然巣に帰らなくなったのか。本当のところはもはやわからないままだ。ここでまた、親鳥は巣に帰れなくなってどんな気持ちでいるのだろう、と感情移入してしまう。
対象に自分を投影することこそ、感情移入の根っこにある心の動きだ。人は対象に自分を投影することで自分を確認しようとする。その際にそこにどんな優しい思い入れ、つまり感情移入があったとしても、それは自分の願望や過去の記憶を投影しているにすぎない。
実際、もっとも優しいまなざしとは、くもりのない無垢なまなざしのことではないだろうか。目の前にある現実がどんなに残酷なものであっても、あるがままに、なんの感情も込めずに見つめることからこそ、ほんとうの優しさ、すなわち共感と適確さが生まれるのではないだろうか。自分の願望や過去を投影しているうちは、人は真に優しくはなれないのだと思う。
卵をどうするべきか。くもりきった心で思案してもせんないが、もはや傍観者ではなくなってしまったワタシは思いをめぐらせた。
⦿なんらかの方法で自分の手で温めて、いわゆる人工ふ化をさせる。
これは、よしんばヒナが孵ったとしても、その後どうやって育てるのかという問題が起こる。育てられないのならば、始めから不自然な方法によって生を与えるべきではない。
⦿ゆでたまごにして食べる。
仕方なく殺してしまった生き物をせめて食べてやることで成仏させるという行ないは、ワタシもたびたび行なってきた。が、相手は卵だ。無理して食べてやることが、せめてもの救い・償いになるのかどうか疑問だ。
⦿他の場所へ移動し、他の生き物の糧になるようにする。
これには、周囲の生態系を乱す恐れがついて回る。草刈りに比べればたいしたことではないが、自分が生きて行くために必要な行ないではないので控えるべきだろう。
⦿廃屋となった巣とともにこのまま放置する。
何事も、最後には自然にゆだねるのが最良であることは言うまでもない。放置された巣と卵を自然にゆだねるには、この方法がもっともいいだろう。
ということで、巣と卵はこのまま放置されることとなった。卵は他の生き物の食べ物になるやもしれないし、ならなければその場で土に還り、植物の糧となるだろう。廃屋となった巣は、他の小鳥が再利用することもあるやもしれないし、なければこのまま元のただの枯れ草としての当たり前の運命をたどることになる。
いずれにしても、そこに巣と卵がありつづける限り、ワタシのちっぽけな自問自答もつづくのやもしれない。
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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
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