揚琴、オカリナ & インディアンフルート奏者がつづるいろいろばなし。
音楽、田舎暮らし、自然・環境、時事、ほかいろいろ。
どうぞ、ごゆっくり。
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#597 アジなまね
今年もお米作りをすることになって、それはよかった。きのうからいよいよ、今シーズンの作業開始だ。これから何をどうするか、すべてはすでに頭の中にある。しかし、結果にはとらわれずにいたい。「綿密に計画し、おおらかに実行する」のココロだ。で、今年は田んぼについてここに書くことは少なくなるような気がしている。なんとなく。
今年もお米作りをすることになって、それはよかった。きのうからいよいよ、今シーズンの作業開始だ。これから何をどうするか、すべてはすでに頭の中にある。しかし、結果にはとらわれずにいたい。「綿密に計画し、おおらかに実行する」のココロだ。で、今年は田んぼについてここに書くことは少なくなるような気がしている。なんとなく。
なぜお米作りを始めたのか。よくよく考えれば、いや、よくよく考えなくても、いまだによくわからない。お米作りをしたくて田舎に移り住んだわけではない。頼み込んで田んぼを借りたわけでもない。むしろ、お米作りだなんてへんたいなことを自分ができるはずがないと思っていた。ただ縁があっただけのことだ。運命だ。ジャジャジャジャ〜ン。
それでいて、いざ始めると、たいへんなご執心だ。そこまでやるかと言われつつ、平気の平左でやり通した。わずかな理解者に支えられ、多くの誹謗中傷をやりすごし、穫れたお米はたったの三ヶ月分。それも特別おいしかったわけでもない。経済効率が高かったわけでもない。いいじゃないか。とにかく、自分の手で主食を作ったのだ。そして、お米作りの過程で様々なドラマを体験し、マイ・スピリチュアル・ライフはへんたい豊かになったのだから。その豊かさが、今年も田んぼ作業に執着させる。
だいたい、物事を始める動機なんて、よくよく考えてみればあいまいなものだ。食っていくためというのを別にすれば、誰しも諸事万事テキトーな気持ちで始めるのではないか。それでいいじゃないか。始める前からすべてがわかるはずもなし。で、気に入らなけりゃいつでもやめりゃいい。
まったく動力的機械を使わず、薬品も使わず、時代錯誤の手作業でお米作りをするワタシを見て聞いて、あいつは不便なことが好きなのだ、時代錯誤だ、自分を道徳的人間だと思い込んでいるのだ、ひと言で言えば変人だ、芸術家だ、芸術家とは要するにわけのわからん人間のことだ、などと揶揄する人々がいても不思議ではない。が、田んぼ作業においてワタシがいかに合理性と効率を追求しているかを、その人たちは知らない。
便利とは何か。それは、要するに、短時間で簡単に結果が出ることだ。そうして得た「時間」が多いことを、人は豊かさだと定義する。で、そうするために利用できるものがあるのに利用しない者はバカだということになる。が、田んぼで機械や農薬を使うことが、本当に豊かな時間をもたらしているのかどうか、ほとんどの人はかえり見ない。田んぼの機械化は、少なくとも素人ファーマーには、そして一般消費者には、何ひとつ豊かさを与えない。
その日の糧を得ることの意味、食べることの意味、それらは生きることの意味に通じるのだろうか。それは別にどちらでもいい。ただ、人は糧のすべてを太陽と水と土から得ていることを忘れては、真に生きているとは言えそうにない。この身の6割5分は水でできていて、死ねば誰しも土に還るのだ。その理を無視して、また自分の手で土と水に触れることなくして生きることを語るなかれ、と誰かがむかし言ったとか言わなかったとか。
田んぼ再開は景気のいいアジテーションで幕開けの様相。雨の匂いがしてきた。明日は田んぼはお休み模様でそれは残念。
それでいて、いざ始めると、たいへんなご執心だ。そこまでやるかと言われつつ、平気の平左でやり通した。わずかな理解者に支えられ、多くの誹謗中傷をやりすごし、穫れたお米はたったの三ヶ月分。それも特別おいしかったわけでもない。経済効率が高かったわけでもない。いいじゃないか。とにかく、自分の手で主食を作ったのだ。そして、お米作りの過程で様々なドラマを体験し、マイ・スピリチュアル・ライフはへんたい豊かになったのだから。その豊かさが、今年も田んぼ作業に執着させる。
だいたい、物事を始める動機なんて、よくよく考えてみればあいまいなものだ。食っていくためというのを別にすれば、誰しも諸事万事テキトーな気持ちで始めるのではないか。それでいいじゃないか。始める前からすべてがわかるはずもなし。で、気に入らなけりゃいつでもやめりゃいい。
まったく動力的機械を使わず、薬品も使わず、時代錯誤の手作業でお米作りをするワタシを見て聞いて、あいつは不便なことが好きなのだ、時代錯誤だ、自分を道徳的人間だと思い込んでいるのだ、ひと言で言えば変人だ、芸術家だ、芸術家とは要するにわけのわからん人間のことだ、などと揶揄する人々がいても不思議ではない。が、田んぼ作業においてワタシがいかに合理性と効率を追求しているかを、その人たちは知らない。
便利とは何か。それは、要するに、短時間で簡単に結果が出ることだ。そうして得た「時間」が多いことを、人は豊かさだと定義する。で、そうするために利用できるものがあるのに利用しない者はバカだということになる。が、田んぼで機械や農薬を使うことが、本当に豊かな時間をもたらしているのかどうか、ほとんどの人はかえり見ない。田んぼの機械化は、少なくとも素人ファーマーには、そして一般消費者には、何ひとつ豊かさを与えない。
その日の糧を得ることの意味、食べることの意味、それらは生きることの意味に通じるのだろうか。それは別にどちらでもいい。ただ、人は糧のすべてを太陽と水と土から得ていることを忘れては、真に生きているとは言えそうにない。この身の6割5分は水でできていて、死ねば誰しも土に還るのだ。その理を無視して、また自分の手で土と水に触れることなくして生きることを語るなかれ、と誰かがむかし言ったとか言わなかったとか。
田んぼ再開は景気のいいアジテーションで幕開けの様相。雨の匂いがしてきた。明日は田んぼはお休み模様でそれは残念。

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管理人について
HN:
巴だ リョウヘイ
性別:
非公開
職業:
揚琴・笛演奏屋 オカリナのセンセイ
趣味:
ほしい。
自己紹介:
演奏活動範囲/全国の都心から山間地まで。
演奏場所/ホールからお座敷まで。オカリナは野外歓迎。
演奏目的/オープニングセレモニーから追悼演奏まで。
演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
所属事務所/Magnolia Music(自分的オフィス)
コンタクト方法/上記のホームページ(HP)の「FAQ & Form」のページからどうぞ。
特 技/晴れ男であること。
オカリナ倶楽部 “夢見るガチョウ” 主宰。
2018年、京都府下農村から大阪府下住宅街に移住。
今も雨乞い師見習い。
今も自然農見習い。
ノアのおとうちゃん。
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演奏形態/独奏から異業種間共演まで。
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